追跡者たち

《ここまでの話》

黒猫レヴナントが喫茶Paradisoから姿を消した。

偶然出会った黒人の、声帯の無いろうあ者のおばあさん、「ミセス・ウィークエンド」の占いに従って、「私」たちは猫を探し始める。

魚釣り、ペットボトル・ロケットの打ち上げ、ニトリでのバグ技じみた行為――色々あった末、占いが示す「すべき事」はこれで完遂した。

黒猫は見つかるのか。そして端々で見え隠れする、ミセス・ウィークエンドの本当の姿とは。


主な登場人物

・私(語り手) 

Y市の高校一年生。新作ゲームにうつつを抜かし、年末の中間テストで散々な結果を残した。

・ケイ(長良 景子)

Y市の高校一年生。「私」のクラスメイト。くせ毛気味の黒髪ショートヘア。ちっこい。いつもやる気の無いジト目と平坦な声をしていて、何を考えているのか分かりづらい。

・サキ

Y市の高校一年生。「私」たちのひとつ隣のクラス。良く下校時に二人に置いていかれる。長い金髪をポニーテールにしている。スラッとしていて、朗らかな笑顔と目の持ち主でクラスの人気者。喫茶店Paradisoの店主の娘で、忙しい時は店の手伝いをする。喫茶店で黒猫レヴナントを飼っている。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 木曜日になると、サキちゃんがようやく登校してきた。朝早くに彼女から、私とケイのグループLINEにこんな連絡が来た。


「お騒がせしました! 本日から復帰させて頂きます!」

 私は家の最寄り駅で電車を待ちながら、返事をした。

「もう大丈夫なの?」

 私がそう送ると、サキちゃんは「地獄のミサワ(謝罪編)」の、うっとおしい格好で謝罪するスーツ男のスタンプを返しながら、こう続けた。

「心配かけてごめん! 今日はお母さんに車で送ってもらって登校する! また学校でね!」

 そのような文章が三つに小分けにされて送られてくる。いつもサキちゃんが使うミサワのスタンプは「片手で、ダルい謝罪ポーズを取るスーツ男」だったが、今日のは「両手で、鼻に付く謝罪ポーズをとるスーツ男」だった。その後ろめたさが伝わってくる。

 私は、「謝らなくても、大丈夫。無事で何よりだよ」とだけ返して、少しでも彼女の申し訳無さが解消されることを願った。

 なおケイからの反応は、一連のやり取りの数分後に貼られた、横山光輝の三国志に出てくるモブキャラの「ウム!」というスタンプひとつだけだった。


 期待とは異なり、校内でサキちゃんに会う機会は無かった。

 私は何度も彼女と接触を図った。授業と授業の合間の休憩時間――その度に私とケイは隣のクラスを訪れたが、彼女の姿を見ることはなかった。

 サキちゃんのクラスメイトに聞くと、「さっきまでいたけど、いつの間にかいなくなってる」という回答ばかりが返ってくる。まるでゲームのNPCのようだった。


 そうこうしているうちに、結局、昼休みになってしまった。

 今回もケイと一緒に隣の教室を訪問したが、やはりサキちゃんの姿は無かった。私が彼女に電話をすると、普通に繋がった。

「もしも~し」という、いつも通りの、朗らかだがどことなく抜けている調子の声が聞こえた。私は訊ねた。

「今、どこにいるの?」

「逆にどこにいるでしょう?」

「……学校」

「正解! じゃなくて――まあいっか! えとね、今ミセス・ウィークエンドから来たLINEの言う通りにしてるんだ」

 サキちゃんが電話越しに言う。

「今朝LINEが来たんだ。これが最後の指示です、って。一人で秘密裏にやること、って書いてあったから、何してるかは伝えられないや。ごめんね!」


……胸騒ぎがした。私が低い声で「それ、もう終わりそう?」と聞くと、けろっとした感じで返事が来た。

「学校でやれる事はこれで最後かな。でもまだ、放課後に一個だけやらなきゃいけない事があるから、今日は一緒に帰れないや! あ、どうせあたし置いてかれるか!」

「……いつも、ごめんなさい」

 私が敬語で謝ると、サキちゃんは電話越しに「へへっ!」という、少年漫画の勝ち気なキャラが、伊達っぽく指で鼻の下を擦りながら言いそうな感じの相槌を打った。


……どうも調子を崩される。真面目さを維持できない。そんな私を尻目に、サキちゃんは言った。

「という訳で! それが終わったらParadisoに戻って来るからさ! そこで待っててよ! 多分、そんなに時間かからなそうだし」


――そういう事になった。


 放課後になった。ホームルームが終わると、私は廊下端の昇降口とは反対側にある階段の陰に陣取った。

 ケイは用事があるとかでしなくてはいけないらしい。薄情者め。


 ケイはここ数日、目の下のクマが酷い。どうせゲームのせいだろう。新作に没頭している時はいつもそうだ。

 きっと今日も“向こうの世界”で冒険を繰り広げているのだろう。


 という事で、私一人だった。いつも通りであるなら、サキちゃんのクラスはうちのクラスより10分以上、帰りのホームルームが長い。と言うより恐らくどのクラス、どの学年より長い。


 ひとえに担任のキャラ差だった。彼女のクラスの担任は、帰り際に何か教訓めいた現代の寓話的な話を、ホームルームの最後に盛り込むのが好きらしい。教師としての矜持と、職務への溢れ出る情熱がそうさせるのか。

 そしていつもサキちゃんだけ置いていかれるのは、これが一番の理由だった。


 私が階段の角からこそこそしていると、やがてサキちゃんのクラスメイトが教室からどっと溢れ出てきた。

 その様子はというより、という単語の方が適切に見えた。

 一秒でも早くあの空間から外へ出てしまいたい、そのような言外の総意が彼らを外へ押し出すのだろう。


 違和感に気が付いたのは、その時だった。廊下の遙か先、ちょうど反対側の階段がある角――そこに私と同じように、間抜けな感じで身を隠す生徒の姿があった。

 サキちゃんのクラスメイト数人が、その生徒を不思議そうに一度見やってから階段を降りていく。

 彼らとその生徒の身長差で、私は理解した。ケイだった。彼女も私と同じことを考えているようだった。

 だけど、そっち側って……

 そっちは下り階段にモロに直結している位置だった。

――そのハイドはバレるよ、ケイ。


 とうとうサキちゃんが教室から出てきた。一人だった。

 彼女が廊下を降りるために角を曲がるとケイは角の窪んだ位置らしき箇所に身を潜める。バレなかったらしい。から。

 私ではああは行くまい、と思った。明確な、私とケイとのキャラ差だった。


 私は学校を出て、通学路に沿って歩くサキちゃんの背後を取り続けた。そのまま尾行を続けると、駅前に差し掛かる。ケイの姿はどこにも見えない。隠れるのが上手いらしい。 

 サキちゃんは交差点を横断し、商店街を迷いなく進み続けた。駅前の小さな信号で一度立ち止まり、そのまま駅へと続く高架を渡った。

 私は20m以上の間隔を保ったまま、サキちゃんの後をつけ、駅の上りホームに降り立った。


 数分後に電車が来て、彼女が前から4両目の車両に乗り込む。私はこそこそしながら5両目に乗った。

 車両を繋ぐ扉越しに彼女の姿が見える。数駅分、電車に揺られたのち、サキちゃんが降りた。私も慌てて後を追う。


 YC駅。Y市有数の繁華街。と言っても正直、だいぶ寂れているけれど……


 サキちゃんはホームから改札に向かう階段を降り、角を曲がると私の視界から消えた。私は慌てて追いすがって見つからないよう、注意深く時間を置いてから階段を降りた。


 私がサキちゃんの姿を再び見つけたのは、彼女が改札にICカードを通しているタイミングだった。

 少し遅れて私もICカードを通すと、残高不足で警告された。泣きそうになりながら、慌てて精算機でチャージを済ましゲートをくぐる。

 数メートル先でサキちゃんの姿を捉えた。駅前広場にもなっている大きな歩道橋の端。彼女はその階段を降りつつあった。

 私は小走りで距離を縮めた。彼女に続いて折り返し型の小さな階段を降りると、少し先の歩道上でサキちゃんが立ち止まっていた。

 私は脇にある小さな路地の角に身を潜めた。


 彼女との距離は、ある程度取ったつもりだ。最初と同じく20mくらい。

 サキちゃんは仰ぐようにやや顎を上げ、その場に立ち尽くしていた。彼女の金色のポニーテールが、妙に映えていた。

……何か、サブカル系の雑誌の表紙のようだった。絵になる女子と、取り壊されたビル跡を囲う黄色のフェンス。何らかのトキメキが生まれる、そんなシチュエーション。

 だが、この瞬間においては別の意味合いにおけるトキメキが存在した。ここは火災のあった、あのビルがあった場所だった。


 サキちゃんは長い間の状態だった。遠くてよく分からなかったが、目元はどこか虚ろに見える。世の中を渦巻く倦怠感とはおよそ無縁そうな、いつものくりくりした目では無い。

 彼女は細めた目でかつてビルがあった場所を見つめ続けていた。そのまま、ただ時間だけが過ぎていく。

 時折、彼女の口元が小さく動いているように見えたが、何を呟いているかは分からなかった。


 また胸騒ぎがした。私が声をかけるべきか迷っていると、私とは反対側の歩道から歩いてきた人物に、サキちゃんが声をかけられた。

 うちの高校の男子生徒だった。見覚えがあった。彼は立ちすくむサキちゃんにいくつか声をかけたようだった。

 サキちゃんは無反応だった。その男子生徒は何ら反応を示さないサキちゃんを見て、次第に感情が昂ったように声量が上がっていく。実態はわからないが、何となく言葉の輪郭は聞こえてきた。

「ちょっとお! 失礼なのは承知なんですけど、せめて何か――」

もしくは、「我々は、SCP部って言ってぇ――」みたいな言葉。

ん? SCP部?


……思い出した。あの男子生徒、4月に見た。

 その時も彼はあんな感じだった。学校にほど近いK駅の前で、私のクラスメイトの姉に絡んでいたのだ。

 あの半泣きの表情――あの時と同じだった。


 私が、流石に無視できないと一歩踏み出したその時、私の右肩を突風が通り過ぎた。自然の物ではない事はすぐに分かった。

 私のすぐ傍を、誰かが疾風のごとく駆けたのだ。目にも止まらぬ疾走。

 その風の背中は、すごくちっこかった。

 ケイだった。


 彼女の行く先はあの男子生徒だった。疾風は彼めがけて突進し、その勢いの全てを叩きつけた。

 ドロップキックだった。

 彼女の全体重を乗せた渾身の一撃。あれをまともに喰らって無事な人間はいまい。

 案の定、それを腹に受けた男子生徒は、情けなく身体をくの字に曲げ、溢れんばかりに両の目を見開きながら、数メートル先まで爽快に吹っ飛んでいった。

 周囲の通行人が怪訝な目で彼らを見つめ、ざわついている。サキちゃんはその間も無反応だった。


 倒れた男に、無造作ヘアの男子生徒と青髪の女子生徒が駆け付けた――これもあの時と同じ。

 蹴り飛ばされた男は妙にタフで、無造作ヘアの助けを借りながら、へろへろではあるが見事、自らの二本足で立ち上がってみせた。


 その三人組はケイと何やら言い争いを始めた。と、思ったら彼らは血相を変えてこちらの方向に逃げてくる。何があったのかは分からないが、彼らの必死さは本物だった。

 青ざめた三つの顔面がこちらにやってきて、私の横を過ぎ去っていく。するとケイも彼らの追跡を始めたので、私は慌てて角に隠れる。

 私のすぐ横をケイが走りすぎていく瞬間、彼女は私の方を見もせずこう言った。

「あとはまかせた」


……バレていた。私はケイが、気だるそうにNARUTOの忍者走りみたいに走り去る、その後ろ姿をしばらく見つめていた。

 振り返ると、サキちゃんがいなくなっていた。慌てて彼女が立っていた位置まで移動すると、ここを曲がった先にある横断歩道で、信号待ちをしている姿が目に入った。

 安堵の息を漏らしたのもつかの間、彼女は信号が赤にも関わらず、一歩歩みを進めた。向かいの車線から車がやってきている。私は無我夢中で走っていって、彼女の手を取った。力の限りぐいと引っ張ると、目の前を黒い車が悠然と過ぎ去っていった。

 減速も無しに――


 私はその場で崩折れ、しばらく目を閉じて息を整えた。座り込んだままサキちゃんの無事を確認すると、彼女の姿はどこにも無かった。

「大丈夫!?」と、どういう訳か歩道の内側からサキちゃんの声が聞こえた。私がゆっくりと立ち上がると、心配そうに私を覗き込む彼女の顔と目があった。


 その背後には「井の頭クリニック」という病院の看板が見えた。そしてどうしてかは分からなかったが、サキちゃんは私服だった。

 話を聞いてみると、今朝方、風邪の症状が収まったので明日から登校出来るかどうかを、医者に相談しに来た、その帰りらしかった。

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