第4話:沈黙のリハ
スタジオの壁は、いつもより白く見えた。
蛍光灯の光が強すぎるせいかもしれないし、空気が澄みすぎていたからかもしれない。
音が、なかった。
綾菜はドラムセットの前に座っていた。
でも、スティックを構えようとしなかった。
代わりに、指先でリムを軽く叩いていた。音にならないリズム。
まるで、言葉にならない何かを、掘り起こそうとしているみたいに。
凌太はアンプの前でしゃがみ込み、キャビネットの埃を指でなぞっていた。
弾く様子もなく、ただ、目の前の“機械”を見ていた。
弦を張る気力が、どこかに落ちてしまったようだった。
裕翔は遅れて入ってきた。
ギターケースを背負ったまま、何も言わず、何も求めず、ただ「そこにいた」。
いつものふざけた調子も、軽口もなかった。
私も、何も言えなかった。
「……あのね、今日は……来てくれて、ありがとう」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど小さかった。
誰も返事はしなかった。
でも、誰も帰ろうとはしなかった。
それだけで、何かがまだ“終わっていない”ことを感じられた。
私はギターを取り出し、そっとコードを鳴らしてみた。
それは、ほんの小さな音で、空気を震わせるには足りないほどだった。
それでも、綾菜が顔を上げた。
凌太が、目だけこちらに向けた。
裕翔の手が、無意識にポケットの中で拳を握っていた。
――誰も口にはしなかったけれど、あのとき、確かにひとつの合図があった。
私は新しい曲の譜面を、誰にも渡さなかった。
ただ、自分の中で鳴る旋律を、信じていた。
もし、誰かがそれを“感じ取ってくれる”のなら。
もし、音楽というものが、本当に心をつなぐものなら。
言葉がなくても、伝わるかもしれない。
帰り道、夜風が頬を撫でた。
私は小さく呟いた。
「……これで、終わってもいい。でも、終わらせないってこともできるかもしれない」
そして、空を見上げた。
雲の切れ間から、星が一つだけ見えていた。
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