【長編版】六花の護睡
安崎依代
うち霧らし
序
「さぁ、取引だ。
低く笑いながら、それは言い放った。
赤くて黒い装束を、私の兄だった者の血でどす黒く染めながら。
「俺の
今まで六年間。年に一度、冬至の夜にだけ。
異界にて刃を向け合い、一方的に言葉を投げ続けてきた『災禍』は今、この現実の地を踏み、私の耳朶を肉声で震わせながら言葉を紡いでいる。
「つまらん代役なんぞを送り込んで、せっかくの逢瀬を台無しにされたんだ」
それがヒタリ、ヒタリと歩を進めるたびに、ピチャリ、ピチャリと水音をともなった足音が響く。その水音を生み出しているのは、積み上げられた同朋達の死体から滴った鮮血だった。
「その二択を突き付け、実行するくらい、許されるだろう? うん?」
そんな地獄のような光景を作り出した張本人でありながら、それはあくまで無邪気に、無垢とまで言える顔で私に微笑みかけてくる。
私はそれを、ヒタリと見据えていた。
表情ひとつ、視線ひとつ、揺らがせないまま。
真っ白な巫女服と、その上に重ねられた千早と。さらにその上に不香の血筋を示す長い白髪を引き連れて。
場を染め上げる
心は不思議と静かだった。目の前にした男に、兄を殺されていると分かっているはずなのに。さらに言えば近しい血筋の人間が、何人かここに沈んでいると分かっているのに。
それなのに私が心に抱いたのは『だからやめておけば良かったのに』という一言だった。
──封印師である不香の人間は、その心に冬を飼うと言う。
深く凍てついた心は、何にも揺らぐことなく、粛々と務めを果たす。その心に飼う冬で万物を凍て付かせ、全てを止める責を負う。
そんなところまで、きっと、私は完璧な『不香』でありすぎた。
これはただきっと、それだけのこと。
兄ではなく私がそうであったから。それだけが理由で引き起こされた、あまりにも大きすぎる悲劇。
──ならば私は、その責を負わなければならない。
「……分かりました」
私はソヨリとも揺らがないまま唇を開いた。
今まで六度顔を合わせてきて、それに対して口を利いたのは初めてだった。私の肉声を初めて耳にしたそれは、朱殷の瞳を喜色に輝かせる。
「責任を取りましょう」
フワリと、手を差し伸べる。白に白を重ねた衣が、その瞬間だけフワリと、蕾が花弁を開くかのように揺れた。
「不香の巫女として。……あなたの午睡を守れなかった者として」
私が手を差し伸べても、場を満たす血臭は消えない。鮮血の川も、死体の山も消えない。
不香は、香のない花。真冬に空から降り注ぐ冷気の使者。全てを凍て付かせて、眠らせる、万物の寝具。
雪の異名を背負う私達は、永年を生きるそれから見れば、その名の通りに一瞬で時の流れに溶けゆく氷の結晶に過ぎない。
それでも。
「契約を。『
その瞬間を生きるモノとして、果たさねばならない責務がある。
「我が器をお前の贄に。我が身をお前の伴侶に」
歌うように告げた瞬間、それは酷く満たされたように笑った。
あるいは、愚かなヒトの子の選択を
「その声に応えよう」
フワリと、それは軽く地面をひと蹴りしただけで、私の前まで飛んできた。
「汝、名を告げよ。それで契約は成立だ」
私の手に乗せられた手は、雪のように冷たかった。それでもゾクリと背筋を震わせる熱が体に走ったのはきっと、『
その震えさえをも
「不香
「不香、梓」
それは、……『炎羅』と冠された禍神は、……私の先祖達が命を賭して封印し続け、私の愚かな兄と血族達が解き放ってしまった『災禍』は、私の名前を噛み締めるように口にした。
「ああ、やっと」
その上で、彼は笑う。
花が咲き誇るかのように。彼が知らぬはずである春を、その身で体現するかのように。
「やっとお前の、名を知れた」
あるいは彼は、そのためだけに私の血族を
そんな幻想を抱くくらいに。
その笑顔だけは、疑いようがないくらいに、無邪気だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます