自傷癖バンドガールの私、奇跡みたいな毒電波に乗せられて世界的な歌手になってた

無常アイ情

歪像のプリズム、あるいは残響のカタストロフィ

1.


夜光虫の微睡むようなライブハウスの暗がりで、メイコは弦を掻き鳴らす。歪んだギターリフが、まるで液化したネオンサインのように空間に滲み、聴衆の鼓膜を震わせる。それは、月の裏側に置き忘れられた衛星が発する、孤独な信号にも似ていた。スポットライトの光芒が、彼女の顔にかかる影を、まるでバタフライ・エフェクトの予兆のように揺らす。21グラムの魂が、音の粒子となって霧散し、また凝集する。そんな刹那の連続が、彼女にとっての生の実感だった。


「……また、音が歪む。この景色も、私の輪郭も、滲んで、溶けて、まるで焦点(ピント)の合わない古い映画(フィルム)みたい。身体は鉛みたいに重くて、心はもうずっと前に凍りついたはずなのに……不思議。歌っている間だけ、忘れようとした痛みが、胸の奥で小さな棘みたいに疼くの。あれは、私を縛った鎖の残響? それとも、呼び覚まされたくない記憶の残像(ゴースト)?」


マイクに吐息を乗せると、その言葉は祈りとなり、呪詛となり、そして解毒剤にもなった。声帯は、時間のフラクタルな分岐点をなぞるように震え、メロディは、決定論的な宇宙における自由意志の不確かさを体現する。親からの虐待という名の暗黒星雲は、今も彼女の精神の地平線にわだかまり、時折、予測不可能な重力波となって意識を揺さぶる。解離、うつ、強迫観念、失感情、離人、自責、原因不明の体調不良──それらは、彼女という存在を構成する不安定な同位体だった。音楽は、その半減期を無限に引き延ばすための、唯一の触媒。


彼女の指先が、フェルマーの最終定理の証明を探す数学者のように、フレットボードの上を彷徨う。繰り出されるコード進行は、時にカオス理論の描くストレンジアトラクターのように複雑で、時に黄金比の美しさで調和する。観客の視線が、素粒子シャワーのように降り注ぐ。その中には、熱狂という名の正のフィードバックもあれば、無理解という名の負のエネルギーもあるだろう。だが、ステージ上の彼女は、それらを量子的な重ね合わせの状態として認識し、ただひたすらに音の量子もつれの中へと没入していく。


ガラスケースの蝶は 夢を見る

羽化できないサナギの まま

燐光の鱗粉(りんぷん)を 撒き散らし

窒息しそうな 透明の中

ココロ、シンドローム ねぇダーリン?

偽物の息で 踊りましょう

カミソリのキスで 確かめて

ワタシがまだここに いるコトを


かつて、生きるという実感を求めて、自らDV男というブラックホールに吸い込まれた時期があった。殴られる痛みが、まるで存在証明の刻印のように、希薄な自己を繋ぎ止めた。それは、暗黒物質に満たされた宇宙で、唯一観測可能な重力レンズ効果のようなものだったのかもしれない。その過ちから、彼女は学んだ。「自分をいじめていいのは自分だけ」──それは、痛みの所有権を取り戻すための、悲痛な独立宣言。時折、虚無という名の絶対零度が押し寄せ、唐突な希死念慮が思考のシナプスをショートさせる。そんな時、彼女は縄で自らを緊縛し、あるいは分厚い着ぐるみに身を包み、ラテックスのスーツとガスマスクで外界を遮断し、酸素供給量を極限まで絞る。窒息寸前の苦痛と圧迫感だけが、死への誘惑に対する唯一のカウンターフォースだった。それは、高圧環境に生息する深海魚が、水圧によってその形態を維持するのに似ていた。


彼女の歌声は、か細いシルクの糸でありながら、ダイヤモンドの硬度を秘めている。それは、超新星爆発の後に残された中性子星のように、極限まで凝縮されたエネルギーのきらめき。フロアの一部で、カルト的な信奉者たちが、まるでブラウン運動のように不規則なノリで身体を揺らしている。彼らは、メイコの音楽という特異点に引き寄せられた、孤独な星々だった。


ギターソロが炸裂する。それは、宇宙マイクロ波背景放射に残された、ビッグバンの残響をトレースするような旋律。ペンタトニックスケールとブルーノートが織りなす音のタペストリーは、エントロピー増大の法則に抗う、ささやかな秩序の試み。彼女の瞳には、この現実と夢の狭間を漂う、クラゲのような浮遊感があった。このメロディだけが、エントロピーから解放された一時的なネゲントロピーの状態を、彼女の心にもたらす。たとえそれが、借り物の息だとしても、今は、それでよかった。


2.


ケイの部屋は、デジタルな砂漠に咲いた一輪のサボテンのようだった。モニターの青白い光が、壁に貼られた古びたアニメのポスターや、積み上げられた文学全集の背表紙を、ぼんやりと照らし出す。20歳の彼は、自らの存在をデータ化し、電脳空間という名の培養液に漂わせることで、かろうじて世界のノイズから身を守っていた。彼の配信は、視聴者にとっては一種の精神的な避難シェルターであり、彼自身にとっては、内省という名の自己セラピーだった。


「…壊れたカセットテープみたいに、同じ後悔が頭の中でリピートしてる。それって、僕の魂に刻まれたタトゥーなんだろうな。消せないインクで、存在の不確かさを、何度も上書きしてる感じ。中学生の頃、友達とすごく、なんていうか、エントロピーが最大になったような喧嘩をしてさ。そのまま、関係性が熱的死を迎えちゃったんだ。あの時、ちゃんと謝るとか、もっと違う選択肢があったんじゃないかって、今でも時々、シュレーディンガーの猫が箱の中で生きてるか死んでるか気にするみたいに、頭の片隅で考えてる」


キーボードを叩く音が、まるで彼の思考の断片をリアルタイムでテキスト化していくかのように、小気味よく響く。彼は、自分の内面を、極めて個人的な宇宙論として展開する。その語り口は、時に量子力学の不確定性原理のように捉えどころがなく、時にフラクタル幾何学のように自己相似形を繰り返した。


人間不信という名の分厚いバリアを纏いながらも、彼の心は、どこかで誰かとの真の接続を渇望していた。それは、ダークマターのように目には見えないが、確かに彼の宇宙を膨張させている力だった。恋愛対象は女性。しかし、過去には男性と関係を持ったこともあった。その記憶は、彼の内なる銀河系に時折出現する、予測不可能な彗星のように、彼の心をかき乱した。後悔という名の重力に引きずられ、自己嫌悪という名のブラックホールに飲み込まれそうになる夜もあった。


「空っぽの自分を隠すために、僕はピエロみたいに踊ってただけだった。本当の顔なんて、鏡で見ても、そこにはノイズ混じりのモザイクしか映ってないんじゃないかなって思う時がある。…そう、星の磁場が狂ったみたいな夜もあった。惹かれるはずのない引力に身を任せて、気づけば知らない銀河を漂流してた。そんな航海日誌、誰にも読ませられないよな、なんて。だって、それは僕自身のパラドックスを露呈するだけだから」


彼の容姿は、まるで月の女神アルテミスがうっかり地上に落としたスケッチのように、どこか中性的で、可憐な雰囲気を漂わせていた。「かわいい」という言葉は、彼にとって両刃の剣だった。それは時に親密さの橋渡しとなり、時に無理解の壁となった。だが、数々の経験と後悔の堆積層を経て、彼は一つの指針を見出していた。「自分の行いには自分がやって後悔しない選択を取る」。それは、カオスな世界における、彼なりのナビゲーションシステムだった。


高校受験の失敗と、そこからの猛勉強による逆転合格。それは、彼の人生における小さなビッグバンだった。惰性という名の定常宇宙論を打ち破り、努力という名の加速膨張宇宙へとシフトした瞬間。だが、最難関大学という名の特異点には到達できなかった。数学、物理、化学という名の基礎定数が、どうしても彼には理解不能な領域だったのだ。まるで、我々の宇宙とは物理法則の異なるパラレルワールドの学問のように。しかし、語学の才能は、まるで彼に搭載された超光速航行エンジンのように、彼を異文化の海へと誘った。英語、フランス語、中国語、アラビア語、ヒンディー語。それらの言語は、彼にとって異なる次元へのゲートウェイだった。


文学やアニメ、漫画は、彼の精神宇宙を構成する重要な星雲群だった。そこには、彼が現実世界で見つけられなかった共感や、理解のヒントが散りばめられていた。高校卒業後、彼は配信と動画投稿という新たな銀河系を発見し、そこを自らの開拓地と定めた。まるで、自分専用のシミュレーション空間を構築するように、彼はその世界に没頭した。


「だから今は、世界のノイズに耳を塞いで、自分の心臓のBPMだけを信じる。浮遊してるみたいな毎日だけど、この足が地につく瞬間は、僕自身が選んだ一歩じゃなきゃ意味がない。誰かのせいにできる未来なんて、もう欲しくないんだ。たとえこのメロディが、誰にも理解されないグランジロックだったとしても、自分で奏でる限り、きっと偽物じゃないって信じてる」


親からの愛は、確かにもらっていた。それは太陽光のように普遍的で、空気のように当たり前のものとして。しかし、コミュニケーションという名の光合成が不足していたため、彼の心はどこか栄養失調だった。父親は、彼にとって理解不能な存在だった。パチンコ、タバコのポイ捨て、短気、癇癪。それらは、ケイの美意識とは対極にある、粗雑なピクセルで構成された現実だった。父親は、反面教師という名の、負の触媒として、ケイの自我形成に影響を与えた。時折、親への殺意という名のダークエネルギーが、彼の心の宇宙を満たした。だが、配信という行為が、その過剰なエネルギーを放出するための、安全弁となっていた。愛と憎悪のメビウスの輪。それが、彼にとっての家族の定義なのかもしれない。


配信は、彼の天職だった。内省的で哲学的な彼の言葉は、孤独な魂たちの共振周波数と同期し、小さなコミュニティという名の生態系を形成していた。その視聴者の中に、メイコという名の、ひときわ異彩を放つ恒星の存在を、彼はまだ知らない。しかし、彼の無意識の海流は、確実にその引力圏へと向かっていた。彼の再生リストには、最近見つけたインディーズバンドの曲がリピートされていた。か弱く、しかし力強い、どこか切実な歌声。それは、メイコの歌だった。その歌は、彼の心の砂漠に染み込む雨のように、静かに彼を潤し始めていた。まるで、遠い宇宙から届いた、未知の元素で構成された隕石のように、それは彼の心に確かな痕跡を残しつつあった。


3.


アカリの部屋は、論理回路の美しさで満たされていた。壁一面の本棚には、半導体工学の専門書、数学の洋書、そして量子コンピュータに関する最新の研究論文が、背表紙のタイトルだけで知的なプレッシャーを放つように整然と並んでいる。彼女の思考は、常に0と1の二進法で最適解を導き出すCPUのように、明晰かつ効率的だった。20歳、大学一年生。その若さで、既に彼女の脳内には、次世代のプロセッサ設計図が何百通りもシミュレーションされているかのようだった。


「ムーアの法則が限界に近づきつつある今、新しいパラダイムが必要よ。シリコンの先、量子ビットの揺らぎ、あるいはニューロモーフィック・コンピューティングの可能性…」


呟きは、独り言というよりも、未来の学会発表に向けたリハーサルのようだ。父はそこそこ売れている作家、母は高校教師。創造性と教育という、異なるベクトルの知性が交差する家庭で、アカリは独自の軌道を描いた。父の収入だけでは心許ない、というよりも、彼女自身の野心が、家計という小さなシステムへの能動的介入を促した。高校一年で父を説得し、その資金で始めた投資は、市場のボラティリティを巧みに読み解き、既に資産を三倍に増やしていた。それは、確率論とゲーム理論を応用した、彼女なりのアルゴリズム取引だった。


母は、娘の頭脳に宿る非凡な演算能力を早期に見抜いていた。幼少期に与えられたパソコンは、アカリにとって世界へのゲートウェイであり、思考の実験室となった。独学でプログラミング言語をマスターし、ハイスクールレベルの物理や化学の教科書を、まるでライトノベルでも読むように数日で読破した。大学の教養課程など、彼女にとっては既に既知の定数を再確認する作業に過ぎなかった。LLM(大規模言語モデル)の複雑な数式群も、彼女にとっては美しい詩の一節のように、その構造的合理性を理解できてしまう。


「ケイの配信、たまに見るけど…彼の思考って、なんだかブラウン運動みたいよね。ランダムで、予測不能で、でも時々、ハッとするようなパターンを描き出す。ある意味、カオス的魅力、かしら」


ケイは高校の同級生だった。教室の隅で、いつも窓の外の非ユークリッド幾何学的な雲の形を眺めていた、あの捉えどころのない少年。彼の配信は、アカリにとって、厳密な論理の世界とは異なる、ある種の「ノイズ」だった。しかし、そのノイズの中には、時折、彼女の数式では導き出せない人間の感情の綾や、非合理的な美が存在した。それは、完璧なアルゴリズムでは生成できない、バグから生まれる芸術のようでもあった。


来年からアメリカに留学する。世界最先端の半導体研究機関が集う、シリコンバレーという名の聖地へ。彼女の頭脳は、ナノメートルの回路線幅よりも微細な未来への期待と、超高純度シリコンウェハーのように一点の曇りもない自信に満ち溢れていた。彼女の視線の先には、ムーアの法則の終焉ではなく、新たな物理法則に基づくコンピューティングの夜明けが、鮮明なCGのように映し出されている。


0と1の間に 揺れるghost

アルゴリズムじゃ 割り切れない sentiment

ロジック回路の向こう側 きっとあるはずなの

フワフワ浮かぶ 甘い電子雲 (kawaii pop type lyrics)

バグってもいいじゃん? 計算外のキセキ

コンパイルしてよ 私の未来図(ミライマップ)


彼女は時折、ケイの配信に現れる、ある種の熱狂的なコメント群に気づいていた。その中には、ケイ自身もまだ気づいていない、別の周波数で共鳴している魂がいるような気がした。それは、非干渉性の光が、特定の条件下で干渉縞を描き出すような、不思議な現象に思えた。


4.


リクの日常は、高度な擬態の連続だった。19歳、医学部一年生。彼の脳は、平均的な人間が一生かかっても処理しきれない情報量を、常にバックグラウンドで演算し続けている。高すぎる知能は、時に周囲との間に断絶という名の高周波ノイズを生む。だから彼は、カメレオンが保護色を纏うように、周囲の期待する「平均的な人間」のペルソナを精密にシミュレーションし、それを演じることで社会との摩擦を最小限に抑えていた。


彼の内宇宙は、常人には想像もつかないほど複雑で、豊潤な情報で満たされている。父親は宇宙開発事業のエンジニア、母親は考古学者。一方は未来のフロンティアへ、もう一方は過去の深淵へと知的好奇心を伸ばす両親の遺伝子は、リクの中で奇妙なハイブリッドとして発現していた。宇宙の起源と人類の進化、その両端を繋ぐミッシングリンクが、彼の思考の中では常に探求の対象だった。


「ケイさんの配信は、僕にとって…そうですね、カオスの中の秩序、あるいは秩序の縁をなぞるカオス、みたいなものです。彼の言葉の揺らぎは、まるで量子の重ね合わせ状態を観察しているような感覚に陥るんです。観測するまで、どちらに転ぶかわからない、その不確かさが心地よい」


中性的な顔立ちは、まるでジェンダーという概念がまだ分化する前の、原初の生命体のようだった。両親は多忙を極め、家族団欒という名の暖かい恒星系は、彼の記憶にはほとんど存在しない。それは、広大な宇宙空間にぽつんと浮かぶ、孤独な惑星のようだった。だが、彼はそれを寂しいとは思わなかった。孤独は、彼にとって思索を深めるための静寂であり、内なる宇宙を探検するための必須条件だった。


ケイの配信は、彼にとって数少ない、擬態を解いてリラックスできるオアシスだった。ケイの言葉は、時に哲学的な問いを投げかけ、時に文学的な比喩を散りばめ、時に科学的な概念を不意に引用する。そのランダム性と多層性が、リクの複雑な思考回路と奇妙に共振した。それは、特定の周波数でしか開かない、秘密の扉のようだった。彼はコメントを残すことは稀だが、画面の向こうで、ケイの言葉の一つ一つを、まるで貴重な鉱石を分析するように、じっくりと吟味している。


医学部を選んだのは、生命という最も複雑なシステムへの知的好奇心からだった。人体の精巧なメカニズム、遺伝子の暗号、脳という小宇宙。それらは、彼にとって解き明かすべき壮大なパズルだった。だが、時折、患者の非論理的な感情や、医療を取り巻く社会の非合理性に直面すると、彼のシミュレーションはエラーを起こした。そんな時、ケイの配信が、彼の精神のデフラグメンテーションを助けてくれるのだった。


彼は、ケイの言葉の端々に現れる「メイコ」という名前の断片に、微かな関心を抱き始めていた。ケイが時折口ずさむ、力強くも儚い旋律。その音源を探し当て、聴いた時、リクの脳内に普段とは異なる電気信号が走った。それは、論理では説明できない、しかし確実に彼の深層心理を揺さぶる何かだった。まるで、未知の文明から発せられた、解読不能なメッセージを受け取ったような感覚。その歌声は、彼の擬態という名の硬い甲殻を、わずかに貫通する可能性を秘めているように思えた。


5.


アヤミは、ステージ袖の薄暗がりで、メイコの背中を見つめていた。ベースのストラップが肩に食い込む重さを感じながら、彼女は祈るような気持ちでいた。22歳。面倒見の良い性格は、この危うさを内包したバンド「アストラル・ノヴァ」の、バランサーとしての役割を彼女に与えていた。メイコという、いつ砕け散るかもしれないガラス細工のような存在を、彼女は常に気にかけていた。


「メイコ、今日のMC、ちょっと攻めすぎじゃない…? フロア、少し引いてた気もするけど…」

ライブ後、楽屋でアヤミが声をかけると、メイコは虚ろな目でタバコの煙を吐き出した。

「……そう? いつも通りでしょ。言葉なんて、どうせ歪んで伝わるんだから、最初から歪ませておいた方が、むしろ誠実じゃない?」

その答えは、メイコ特有の屈折した論理だった。アヤミは、それ以上何も言わず、そっとメイコの隣に座った。


母も父も会社員という安定した家庭で、真っ直ぐな愛情を注がれて育ったアヤミにとって、メイコの抱える闇は、理解しきれない深淵だった。地方の国立大学で学業に励む傍ら、このバンド活動に情熱を注いでいる。その二重生活は、まるで波と粒子の二重性のように、彼女の中で奇妙なバランスを保っていた。


「…ねぇ、アヤミ。私の歌って、ちゃんと届いてるのかな。誰かに」

不意に、メイコが弱音とも取れる言葉を漏らす。アヤミは、少し驚きながらも、優しく微笑んだ。

「届いてるよ、絶対に。今日のフロアだって、最後はみんな、メイコの世界に引きずり込まれてたじゃない。それに…ほら、私にも、ちゃんと届いてる」

そう言って、アヤミはメイコの肩を軽く叩いた。それは、恒星の引力圏を外れそうな惑星を、そっと軌道に戻すような、穏やかな力だった。


彼女の心には、将来への迷いが常に渦巻いていた。就職して、親が望むような「安定した人生」という名の静止軌道に乗るか。それとも、この不確かで、しかし抗いがたい魅力を持つバンド活動という名の彗星の軌跡を追い続けるか。親には、心配をかけたくない一心で、バンドのことは内緒にしている。その罪悪感が、時折、彼女のベースラインに微かな不協和音を紛れ込ませる。


メイコの作る楽曲は、難解で、時に攻撃的で、しかし、その根底には途方もない純粋さと、救済への渇望が流れていた。アヤミは、そのメロディと歌詞に、他の誰よりも早く共感し、自らのベースラインでその世界観を補強する。彼女のベースは、メイコの不安定な歌声を支える、大地のようであり、また、共に暗い宇宙を旅する宇宙船のハル(船体)のようでもあった。


キミの声 電波に乗って チリチリ胸を焦がすの

画面越しじゃ足りないよ

次元の壁 飛び越えて今すぐ会いたい

バーチャルなリアルが 交差するクロスロード

ピコピコ鳴ってる ハートはもう限界

インストールしてよ My sweet program

エラーだって恋のうち!


アヤミは、メイコのファンだというケイという配信者の存在を、SNS経由で知っていた。彼の言葉の断片が、メイコの歌詞の世界観と共鳴していることに、薄々気づいてもいた。そして、ケイの配信を見ているという、アカリという才媛のことも。さらには、そのケイの配信に静かに耳を傾ける、リクという謎めいた医学生の存在も、風の噂で耳にしたことがあった。


点と点だった彼らの存在が、アヤミの認識の中で、徐々に線で結ばれようとしていた。それはまるで、バラバラに見えた星々が、ある視点から見た時に、壮大な星座を形作るように。この歪んだ世界で、それぞれの孤独を抱えた魂たちが、メイコの音楽という触媒を通して、見えない糸で繋がり始めている。その予感が、アヤミの胸を微かに高鳴らせていた。それは、新しいコード進行を発見した時のような、小さな興奮だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る