トロル転生【辺境生活編~迷いの森のプリンセス~】
悠神唯
第1話
点滴だらけの腕は細く青白かった。
それもなんとか見えてるだけで、少しずつ視界はブラックアウトしていく。
私は死に瀕していた。それも恐らく死亡までカウントダウンが始まりそうなくらいぎりぎりの。
元より余り頑丈な性質ではない上、病院での生活が長かった私は、世界的流行病にとどめを刺された。
重篤な肺炎でなけなしの体力はレッドゾーンを振り切ったらしい。……せめて高校は卒業したかった。
先生方、そして窓の外で泣く両親にも申し訳ない。弱い身体に産んでしまってごめんなさい、なんて慟哭は何度も聞きたいものではないのだ。
もし神様がいるなら、次の人生は丈夫な身体でお願いしたい所である。
ああ、そんな益体もない考えすらも深い闇に包まれて薄れて霞んで溶けていくようだった。
―――こうして私、ヒイラギ ナナハの人生は終わった。……筈だった。
◇◆◇
「グロォオオオオオオオォアッ!」
生誕から約3年あまり。私と組み合うのは今生の父。逞しい巨体、野太い四肢、灰褐色の肌。獣の生皮を纏っているその体躯はまさに怪物と言っていいだろう。
そんな筋肉の塊のような父と、私はがっぷり四つ手に組み合う。
相当な圧力であるが、押し返す私の力もそう簡単に負けるものじゃない。
「ふんぬぁら!」
気合一閃。圧し掛かる力をいなし、投げ飛ばす。ズズンと洞窟の壁に激突した父は目を回している。
前世では考えられないほど恵まれた体躯だ。
それもそのはず。洞窟に住み、闇に親しみ、生命力に一目置かれるが、知性では劣る種族。ファンタジー世界定番のトロルなのだ、私たちは。
確かに丈夫な身体を願った。病気知らずで体力は底なし。力と筋力とパワーにおいては並ぶものも同族以外では稀だ。容姿は…トロルの中では整っている方だろう。しかし、髪くらいは欲しかった。つるつるの頭を撫でて嘆息する。
『いやぁ。すごいね。王サマ投げちゃった』
ふよふよと漂う光の塊、妖精めいた小人サイズの少年。私の相棒でもある精霊、ブラウンが笑う。
なにせ、父の名は
「いい加減慣れたよ。それよりブラウン、縫物はできたの」
『当然! ボクらをなんだと思ってるのさ。
頭に張り付かれ、魔力を吸われる。多少吸われても影響はない。ブラウンたち精霊は魔力を対価に魔法を行使する。
『あ、キングが農場入り口のドア吹っ飛ばしてたから修理してよ?』
「また? 結構丈夫に作ったのになぁ」
精霊は司る場で力が強くなる。この洞窟を家と認めるには、まだ色々足りないものが多いらしい。
私も、生活環境を整えるのに否はないので日々DIYに励んではいるのだ。
「木板の在庫もそんなにないし。フローリングは夢のまた夢だね」
どうにも頭に前世でのあれこれが思い浮かぶので、目指しているのは現代日本の田舎程度の生活なのだが現状は足りないものが多すぎる。
『ちょっと申し訳ないね。君ら、地べただろうが何の問題もないし』
「雨風は流石に堪えるよ。ちょっとだけだけど」
頑丈すぎるトロルは穴倉暮らしの原始生活をしてても消耗する気配すらない。むしろ拠点があるだけ贅沢なんじゃないだろうか。
「グゥ……んん。プリンセ……」
逆さまだったキングが起き上がる。
キングもまた精霊と会話できるので、そこから取られたであろう文化的な名前である。意外とインテリなのだ、我が父は。
「おで、おで……はらへった!」
インテリなのだ……トロルの中では。
キングに伴われ食堂代わりにしている横穴へと向かうと、岩塊のような母が石窯から肉塊を引っ張り出していた。素手だ。トロルの表皮は分厚い。
丸ごと焼かれた猪を、私の作った木の大皿に盛る。火を使い、食器に盛る。
まさしくその名、
父王、仲間たち、そして私に皿が渡る。食べる時は床に座って車座だ。
いただきますの挨拶すらないが、ちゃんと全員で食べ物は分け合って食べる。
賑やかな、賑やかすぎる食卓ではあるが、この雰囲気は嫌いではない。
「プリンセ、食う。食う」
母の。そして父や仲間たちの眼差しは愛情に溢れている。食事は塩だけのローストであるが、不満はないのだ。
トロルは食事は大好きだが、それでも誰も食いはぐれたりはしない。
群れは20体強。当初素裸だった彼らも、私とブラウンの努力で腰巻や胸覆い、貫頭衣を身につけている。王家に仕える近衛騎士であり貴族なのだから見栄えも大切だ。脱ぎ散らかす者もいない。
トロルの生活は狩猟採集が主。素材の皮は手に入るが、鞣すのは私かブラウン。植物繊維から布を織るよりマシだが、体が大きいので必要量が多い。
「交易も視野に入れるべきかなぁ」
『難しくない? トロルの旅商人なんて見たことないよ』
5より大きい数を数えられるトロルは歴史に名を遺す大賢者である。
当然、他所で目にする機会などあろうはずもない。
「
『可能性はあるけど、対価になるものがないんじゃない? 炭や煉瓦、毛皮は嵩張るし』
来て貰うまでは運任せでいいが、取引の材料も無いなら商売の遣りようもない。
ちらりとシャークトレードという悪い単語が脳裏を過ぎるが、まがりなりも姫と呼ばれる身。強盗にジョブチェンジするつもりはない。
『前々から計画していた、金属の精錬を進めるといいんじゃないかな。鉱石っぽいのは見つけてるんでしょ?』
「ちょっと大変だけれど、それがいいかなぁ」
手製の
『応援してるよ。後できたら釘や蝶番も作ってよ』
中々に要求水準の高い相棒様である。
「がんばってみるよ。めざせ、健康で文化的な最低限度の生活ね」
◇◆◇
我が家は森の中の岩山に穿たれた洞穴が元である。
石筍を折り、光取りの穴をあけ、生活空間を確保した。
一角は私の実験農場と工房で、父以外は入ってこない。
今日は金属製の道具作りが目標だ。
「炉を組んで、と。なんかピザ窯みたいだけどこれでいけるかな?」
窯に鉱石を放り込み、木炭を詰めて火をつける。私は精霊使いだ。
「八本足の
呪文は適当。意志さえ伝われば、精霊は願った通りに動いてくれる。
大昔に交わされたという定型文のような魔法もあるが、そちらは戦闘用がほとんどだ。
ふいごを吹かし続けると鉱石が赤熱するが、溶けはしない。融点の低い金属ではなかったか。銅や錫に類するものなら楽だったのだけれど。
何度か石鎚で叩いてみるも、返ってくる手応えが手強い。
「か、固った。やっぱ熱量が足りない感じ? けど、一応は変形してるっぽい……」
ならば根気勝負。とにかく力任せに叩きまくる!
「こ、のっ! あき、らめて! まと、まれ! 乙女、なめんなっ!」
ガンガンと槌を振るい続ければ、鉱石はなんとか延びてくれた。
無垢なる祈りに応えてくれたのだと思っておこう。トロルの怪力に根負けしたのではない筈だ、うん多分。
再度加熱し、小分けにして形成する。包丁、ナイフ、斧の頭、鍋、リクエストの釘。残りは棒状に。とにかく固い金属で、焼き入れは不要そうだ。
流石に蝶番は無理! そこまで細かい細工をするには硬すぎる。
打ち終えた道具類は、若干緑がかった銀色で鉄より軽い感じだった。
なんとなくだけど、清廉で存在感がある佇まいだ。貴金属の一種だったのだろうか。
「ふしぎ金属。トロル銀とでも呼ぼうかな」
叩いても叩いても堪えない頑丈さは親近感が湧くものだ。こっちは比べ物にならないくらい美麗でもあるのだが。
『お疲れ様。それにしても器用だね、プリンセ』
「こっちに生まれて、ものづくり三昧だもの。慣れだよ」
何かを作り上げるのは楽しく、時を忘れて没頭してしまう。
こういった腕力や体力の必要なDIYは、前世において憧れていたものだ。
「あとは研ぎだね。そっちは手伝ってよ、ブラウン」
『まぁ、うん。家事の内かな、多分きっと……』
それはそれとして反復作業は面倒でもあるのだ。
名を交わした精霊が
きっとね。
◇◆◇
文明の利器、鍋を手に入れた。煮炊きで有用になる動植物は多い。
「一応野生種なんだけれど立派なもんだよね。こっちのお野菜」
カブっぽい野菜の皮を剝き、鍋に放り込む。隣で母が覗き込んでいる。彼女は一度で石窯の使い方を覚えたトロルの才媛だ。鍋程度、容易く使いこなすだろう。
ぐつぐつとカブ似の野菜を茹でる。灰汁が出るので煮汁を濾し、灰を振り、上澄みを集めて煮詰めれば。
「完成。ブラウンシュガー」
「グゴォオオオオォォッ!!」
味見させたら母が吠えた。糖分は大体の生物が好むものであるのだ。
人工的に作られた甘味料など、口にしたことのないトロルにとっては衝撃だろう。
「プリンセ、食う。食う」
それでいて、その衝撃的な甘味を作った私にも食べろと促す。
トロルらしからぬ私を、母も父も一族の誰もが気にしていない。単に理解が及ばず、比較する知識もないのだろうけれど。
客観的に見れば醜い巨体の怪物だが、親しく名を呼ばれ、頭を撫でられるたびに、ああ私はこの群れの一員なのだなと実感が増す。
「待ってね。このお砂糖で大学芋モドキにするから」
サツマイモに似た芋がある。輝く芋はトロルを魅了するだろう。晩餐が楽しみだ。
◇◆◇
「さて、今日は本格的にリフォームするよ」
『おお、やったね! ボク暖炉付きの書斎とか素敵だと思うんだ!』
元気良くのたまう
うちにそんな無用の長物に費やせる資材はありません。
材料の丸太は父たちが運んでくれる。トロル銀の斧で、板だろうが柱だろうがお茶の子さいさいだ。
「大広間と、厨房兼食堂。道具置き場に、水場と。ねぇ、各自の個室って要るかな?」
『あっても使わないんじゃない?』
「実験農場と工房は、うっかり作物を食べられると困るけど、扉で十分かな」
『なら、家畜小屋は? 野山羊とかならいけると思うよ』
肉や乳が定期的に手に入るのは大きい。
「……なんか、私たちよりいい暮らしになる気がする」
『なら、ベットでも作ろうよ。ついでに食卓と椅子も』
「うーん、ベンチ式ならいける、かな?」
輪切りにした丸太が一番だろう。
『そうだ! 玉座はどうかな。王様に相応しいどっしりとしたやつ!』
「どこに置くのよそんなの。床でみんなでご飯食べてる時が一番幸せそうだものね、父さん」
思えばご飯さえ食べれれば、とりあえずの生活環境はどうとでもなっているのだ。
「あとは……見張り台ね。できれば、馬防柵も」
『必要なの? プリンセ以外は多分使えないよ』
まだ目にしたことはないが、いつか人族に目を付けられるかもしれない。そうなれば、我々トロルに交渉の機会など与えられるだろうか。
「せめて、備えだけはしとくべきかなって」
『うーん。けどま、旅商人は来やすくなるかな。目印になるし』
◇◆◇
「おで、おで。めし、いっぱいくう! うまい!」
キングが丸太の腰掛から立ち上がり宣言する。生活環境改善の結果だ。
母は鍋で汁物を供してくれるようになった。レシピもなく、勘だけで作っている筈なのに実に美味い。
「父さん、なんかでかくなってない?」
縦にも横にも1.3倍くらいに。他のトロルも一回り大柄になっている。栄養状態改善の成果か。
「プリンセ、ま、まだちいさい。もっとくう。プリンセ、でかくなる!」
頭を撫でられる。あまり急に育つと服が追い付かない。今の父の装束は寸足らずで局部がぶらぶらしている。
「やっぱり、もうちょっと畑も拡張、かな?」
狩りの成果も上がったが消費も増えた。「はらへった」はトロルに生まれた者たち全員がのたまう言葉だ。
「さて、畑の拡張―――と言いたい所なんだけれど」
現状は洞窟天井に穴のある区画でのプランター栽培。規模を広げるなら地面を耕したいが。
『岩山の周りに作らないの?』
「……目についた端から、うちの身内が引き抜いて行きそうで」
栽培中の作物と野生種の区別などトロルに出来ようはずもない。
「なので、上に伸ばそうと思います。こっちの区画は手出し無用をみんな守ってくれてるし」
天井の穴へ丸太の梯子を立てかけ登る。遮るもののない日光に目がくらむ。
思った以上に平坦で、バスケットコート程の広さ。壁面から水も流れている。
『へぇ、上ってこんなになってたんだ。あ、これなら見張り台とか要らなくない?』
「んー。端っこに展望台みたいに作ろうかな」
残る平地は屋上菜園だ。
「やぐらを組んでクレーン……それよりも、バケツリレーの方が早いかな」
トラック数台分の土が必要だろうが、逞しき身内なら2、3日で農場になるはずだ。
『姫様の秘密の花園だね』
「植えるのは芋や大根だけどね」
若いトロルが重い生木の丸太を担ぎ上げてくる。
「ンガ。プリンセ、もってきた」
「ありがと。そこに置いといてね」
丸太と土砂をトロル海戦術で屋上に運ぶ。溜まったら地均しし、水平を取る。木枠と土で出来た舞台のようだ。
『立派なもんだねぇ。増やすのは豆とお芋?』
そら豆のような何か、ジャガイモめいた何か、サツマイモもどき、謎カブ。
「常々思ってたんだけれど、こっちの植物って変じゃない?」
野生種なのに品種改良された栽培種並みに美味で可食部も多い。
『大地の女神様の御業らしいよ。昔、飢えに苦しむ生き物を哀れみ流した涙を受けた植物が、大きく強く美味しく育つようになったとか』
「慈悲深い神様だね。おかげで助かってる」
『闇と光の姉弟神、それに四大属性の神々を加えた六柱が一般的な信仰対象かな。闇の神殿だけはないけど』
「なんで……あ、そう言う事?」
闇の属性を持つ種族と言えば―――我らトロル。
「……ねぇ、ブラウン。闇の姉神様の聖名は?」
『プロセルピナ様だよ』
不憫な女神様に祈る。眷属が我らで本当に申し訳ない。
「収穫が上がるようになったら、お供え物とかしてみよっか」
『いいんじゃないかな、喜んでくれると思うよ』
◇◆◇
「プリンセ。おで、てつだう。ヤギ、とる」
珍しく父さんが提案してきた。家畜化計画の生け捕りにチャレンジだ。
野山羊は別の岩山に住み着き、急斜面を器用に登る。中々賢しいものだ。
外敵に襲われ辛い急峻を住処とするとはなかなかに侮れない。
「グォオオオオオッ!!」
それに対し、咆哮し、岩肌に肩から突撃する我が父よ。
地揺れで山羊を落とそうというのだ。あまりの知略の落差にめまいがする。
しかし、信じられない事に体格も増した父のぶちかましは効果を上げ、数匹の山羊が落ちてくる。
慌てて首根っこを捕まえる。
『凄いね、王サマ。上位魔法だ』
「魔法?」
ついて来ていたブラウンが声を漏らす。父の周りに強い大地の精霊の気配がする。
『”大地よ目覚め震えよ《アースクエイク》”。使えるのは、
「魔法使い……」
父は得意げに口の端を歪める。
「おで、おで。ヤギ、もっとおとす!」
再び突撃し、山羊が落ちてくる。雄々しく吠える王の局部はぶらぶら揺れている。
『立派な父さんだね。その、色んな意味で』
娘に良いところを見せようと張り切る彼は善良な父だ。だが、確保より逃げる山羊が多い。
調子に乗る父を止めるべく、確保した山羊を振りかぶる。空飛ぶ山羊は見事に王への忠言を届けてみせた。
◇◆◇
「べぇ~」
「よしよし、なんとか落ち着いてくれたね」
旧実験農場に繋がれた、お腹を大きくした黒山羊を撫でる。負傷なく済んだこの子を飼育する。
『大丈夫? 食べられちゃわない?』
「暫くは平気じゃないかな。焼肉パーティ大盛況だったし」
傷ついた山羊たちは美味しくいただいた。特に空を飛んだ山羊のローストは絶品だった。
「扉も新しく直したからね。ちゃんと繋いどけば逃げる心配もないし」
『それは良いけどさ、王サマに言い聞かせとかないと』
山羊は普段から食べるので、この子だけ特別と理解してもらえるか怪しい。
「よし、なら特別な特徴があればいいわけだ」
白い山羊の皮革でケープマントを作り、黒山羊に着せる。
『なるほどね。”服を着てるのは食べちゃダメ”、分かりやすくていいんじゃない?』
「みんなの衣装に回す分が減っちゃうのは、痛い所なんだけどね」
「君と君の子の命を守るためだからね。ちゃんと身につけておくように」
「べぇ~」
インパクトは十分だろう。できるだけ長生きして欲しいものだ。
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