笠原氏が藤崎氏へ語る体験談。
それが本作の体裁です。
定年間近の彼へ所属するメガバンクが命じたのは、出張所の閉鎖業務。
〝狼妖峠出張所〟
そう呼ばれる任地は、兵庫県の六甲山の山中にありました。
同氏がこの場所で経験した世にも稀なる事柄とは。
そして語られる、この銀行の出張所の長い因果と因縁と奇縁の物語とは。
まずは作品冒頭。
詩情溢れる景色のなかに建つ、赤と黒の色彩のコントラスをまとう木造平屋である狼妖峠出張所。
そこへ、いたる道程には梔子の香が漂います。
小野塚さんの描かれる世界には、いつも彩りと、植物の香りが備わっています。
この深い情趣のなかで現し世と幽世の端境、あわいの際にて、物語は展開するのです。
怪事を語りながらも、どこか優しい滑稽味を覚える。
本作は、そんな物怪録です。
忙しない日常を離れ、心の散策を存分に楽しめる一作。
どうぞ、ご覧くださいますように。
お帰りになれるかは、保証しかねますけれども。
メガバンクにおいて役職定年となる知名を迎えた笠原陽彦氏は、関西にある得体の知れない出張所の閉店を所長待遇で任されることになりました。得体の知れない出張所とは、その名も『狼妖峠出張所』。
このいかにも怪しげな名を聞けば、怪異好きでなくとも、大いに興味をそそられるのではないでしょうか。そもそも、なぜ六甲の山中にメガバンクの出張所が必要なのか。利用者はいるのか、そしてそれは人間なのか……
聞けば、出張所の歴史は古く、百年以上前の取り決めで設置されていたとのこと。
赴任する道中から、お手並み拝見とばかりに手厚い「お出迎え」を受けますが、一向に動じない笠原氏。これこそが店じまいを敢行するのに不可欠とされる能力でした。
白い花を撓わに付けた梔子が暗闇の中からのぞき、山道を点々と続く提灯の明かりのなか、茫と浮かび上がる『狼妖峠出張所』の四角く黒い平屋建て。漆黒に塗られた木造家屋には紅殻格子の引き戸がつき、その横には酷く不釣り合いな、メガバンクのロゴが書かれた看板が下がっています。
自分のいる場所を一瞬忘れてしまうような、小粋で風情あるたたずまいに、普通の感覚の持ち主ならば、強烈な違和感と底知れぬ恐怖を感じてしまうかもしれません。それでも、見てみたい、そう思わせる妖しさ満載の出張所です。
不遇にも閉店の憂き目を見ましたが、この出張所跡は、現在、『狼妖峠古美術館』として新たな六甲の観光スポットとなっているようです。お近くにいらしたときには、ぜひ足をのばし、ここで行われてきた、人ならざる者たちとの古い交流に思いをはせてみてください。
定年目前の銀行員に与えられた、最後の任務。
それは、兵庫・六甲山中にある謎の支店——《狼妖峠出張所》の『閉鎖』。
そこは地図にも載らず、支店の誰も詳しく語りたがらない。
「百年を越える契約」「お化けが出る」「呼んではならぬ名」
まるで都市伝説を地で行くようなその支店に、男はただ一人、送り込まれる。
薄暗い山道を抜けた先、灯る提灯の列。
梔子の香とともに現れたのは、漆黒の平屋と銀行のロゴが掲げられた看板。
そして、パーティションに浮かぶ『人の目玉』——それは、ほんの序章にすぎなかった。
この峠には、確かに『何か』がいる。
それは幽霊か、因習か、それとも……この国が長い時をかけて埋めた『闇』なのか。
異界は、案外近くにある。
日常のすぐ裏側、名もなき出張所のその扉の先に。