プリン
麦とお米
五月の下旬はとても心地がいい。真夏ほど暑くもなく、だからといって寒いこともない。風からはもはや花の甘いなんかはすっかり無くなって、新緑の豊かな香りが僅かに残っている。
こういう日は、ベランダでゆっくりと読書をするに限る。日陰で、背の低いテーブルには紅茶の入ったティーカップを置いて、イスに腰かける。
読んでいるのはアメリカ人の作家の、第一次世界大戦の時の体験をもとにした恋と悲惨さの物語である。
翻訳なので、実際はどうかは分からないが、少なくともこの日本語の文体は当時の哀愁というものを表しているように思われる。
僕は大抵、読書に耽る。それ以外に特別に何かあるわけではない。退屈な高校生活に心を許せる友達なんていないし、ましてや今読んでいる小説のように、誰かに恋をしているわけでもない。
僕は僕で、他人は他人。ただそれだけのことなのだ。
読書はいい。僕にない体験をさせてくれる。今回は戦争の要素が含まれるが、他のジャンルを手繰り寄せれば、星の世界、海の世界、魔法の世界。どこにだって行けるんだ。主人公は仲間と出逢って、一生に一度しか行けないような、素敵な冒険をするのだ。僕はいつだって、主人公と自分を重ね合わせてきた。
今まで出会ってきた物語を想うと、現実世界というものがどれだけ退屈で無味無臭だろう。
読書で疲れた目を休めるため、ベランダから見える柿の木を見下ろし、紅茶を一口啜った。きっとこの時の僕の顔は、どこまでも詰まらなそうな顔をしていたと思う。
その時、調子の抜けるような、電子音がかすかにした。
僕の家は古い。だから、誰かが呼び鈴なんかをならせば、なんとも間の抜けた音が家のどこにいても聞こえるのである。
「宅配なんか頼んでないんだけどな」
何度も鳴らされる呼び鈴に僕はボソッと呟き、階下へと降りた。
開き戸はガラスでできており、人影が見えた。その陰には見覚えがあった。
戸を開けると、そこには僕の小学校時代からの親友である春樹が立っていた。
「よっ!」
片手をあげた春樹は、制服ではなく、半袖にジーンズを履いた私服姿であった。もう片方の手にはビニール袋を持っていた。
「どうしたの?何かあったの?」
「誕生日だろ?祝いに来たぜ」
意外な言葉だった。彼が私の誕生日に、事前に連絡することなくいきなり来ることがあるなんて、今までには無かった。そういうタイプでもないと思っていた。せいぜいスマホのチャット「おめでとう」とメッセージと送ってくれるぐらいだ。
だからこそ、彼のこの行動には驚かされた。
そして惜しいとも思った。
「いや、嬉しいけど。誕生日三日後なんよ。今日じゃないんよ」
ここで、僕ははっとした。
どうやら僕には、他人が言った言葉を細かいことまで指摘してしまう悪癖があるのだ。そのため、人と会話するときに若干嫌がられている気がすることがある。
今回もやってしまったかと思い、彼の顔を見ると、彼はニコニコしてこちらを見ていた。
そして徐に、持っていたビニール袋を掲げて見せた。
「あ、そうだっけ。まあ、いいや。プレゼント買ってきたで」
中に入っていたのはカッププリンが一個のようで、ビニール越しにうっすらと見えた。
僕はなんだか、嬉しくなった。
ちょっと前にも会っていたはずなのに、なんだか久しぶりな気がして、そして何よりも誕生日を祝いに来てくれたことが僕の感情を高ぶらせた。
どうせ来てくれたのなら、家でゆっくり話をしていって欲しいと思い、うちに上がるように勧めた。
春樹は快く了承してくれた。
「おじゃましまーす」。
僕は部屋を軽く片付け二人分座れるスペースを確保した。
黒い炬燵の上で、春樹は私にカッププリンを渡してくれた。
「お誕生日おめでとう」と言葉を添えて。
目に熱いものを感じた。
恐らくはコンビニか、スーパーかで買ってきたもので、友人間でよくあるお菓子交換のような感覚で渡してくれたのだろうが、しかしながら、この時の僕にとっては言葉にし難いものだった。
「ねぇ、二人で食べよう。春樹も一緒に半分こにしようよ」
僕は階段を駆け下りて、小皿一つと銀の匙二つを持って春樹のところへ戻った。
「お待たせー」
「おーお皿持ってきたんか」
「こうしたほうが食べやすいでしょ」
僕はテーブルにお皿を置くと、カッププリンの蓋を外して匙で半分に割った。
春樹が手伝ってくれて、滑らせるようにして、片方をお皿に移した。
僕と春樹の間に、二つのプリンが並べられている。
「じゃ、いただきます」
「おう、いただきます」
二人で会話をしながら、味を楽しむためにゆっくりとプリンを食べた。
甘い。濃厚なプリン本体の味とキャラメルが上手くマッチしていて、冷たくて、美味しい。
恐らく、これは僕の中で最高の誕生日プレゼントだろう。
プリン 麦とお米 @mugitookome
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