大人は嘘吐きだ

うたた寝

第1話


 嘘を吐いてはいけません、と大人は子供に教える。

 だけど、そんな大人は平然と子供に嘘を吐く。

 優しい嘘、と彼らは言う。子供の夢を壊さないための嘘と彼らは言う。

 そんなバカな話はない。それはただの大人のエゴだ。

 嘘は嘘だ。彼らが教えた、吐いてはいけない嘘だ。

 誰かを慰める嘘なら分かる。誰かを元気づける、誰も傷つけない嘘なら吐いてもいいだろう。

 だが、彼らが言う、『優しい嘘』とやらは私の心を深く傷つけた。

 優しいのではない。それが勝手に優しいと勘違いして押し付けた身勝手な優しさ。

 優しさの押し付けの嘘。それはただの残酷な嘘だ。何も優しくなどない。

 変に期待だけ持たされて、でもその期待はただの嘘で、現実に突き落とされて。

 あの時、嘘なんて吐かないでくれれば、こんなに傷つくこともなかったのだろう。

 嘘は嘘だ。その嘘は優しくも何ともない。


 私が流している涙。この本当の意味を知っている人は、ここには誰も居ない。



『大きくなったらお嫁さんにしてほしい』。私はあの日、あの人にそうお願いした。

 人生で初めての告白。何なら初めてのプロポーズだった。そして今のところ最後でもある。

 あの人は一瞬驚いたような顔をしていた。そんなことを言われるとは思ってもいなかったのだろう。断られるかも、と怖くなり、胸がキュッとしたのをよく覚えている。

 だが、あの人はいつも通りの優しい笑顔を浮かべて、『いいよ』と言ってくれた。

『いいよ』と言われたその言葉を、無邪気だった私は素直に喜んだ。本当に、飛び跳ねるくらい喜んだ。それくらい、嬉しかった。

 私はこの人のお嫁さんになれるんだ、と信じて疑わなかった。

 本当に無邪気だったと思う。微笑ましいくらいきっと無邪気だった。

 あの人も笑っていた。いつものような優しい笑みで。

 その笑みの意味を、私はこの時はちゃんと分かっていなかった。

 それから年月も経った。年月が経った、とは言っても私はまだ大人にはなれていない。だが、あの日の私と比べると、明らかに大人に近付いた。

 背も伸びた。昔はあの人が目線の高さに合わせるようにかがんで話してくれていたが、今となってはその必要は無い。胸も膨らんできた。体つきがかつての子供のものから、大人の女性らしいものへと近付いてきた。知識もついた。良くも悪くも世の中の色々なことを知った。子供の頃憧れた大人の世界は思ったほど綺麗な世界ではなさそうであることも知った。

 できることもずっと増えた。バイトではあるが自分でお金を稼いで好きなものを買えるようにもなったし、自分で食べるものくらいであれば自分で適当に料理して作れるようにもなった。

 まだまだ思い描いていたような理想の大人の女性にはなれていない。あの人のお嫁さんになるにはまだまだ不足しているものもいっぱいあるかもしれない。

 それでも、少しはあの人のお嫁さんに相応しい自分になれていっているかな、そんな風に思っていた。


 そんな時だった。あの人が結婚する、と知ったのは。


 最初、何を言われたのかが分からなかった。何を言っているんだろう? と本気で思った。その時、その一瞬は、本気で呆れもした。そんなわけないじゃん、と。だって約束したんだから、と。

 薄々、分かってはいた。日に日にどんどん強くなっていく、私のあの人への熱量と比べて、明らかにあの人の熱量はずっと変わらないことを。

 昔の私を見るような、小さな子供を見るような目を彼はずっとしていた。

 その視線の意図に気付かないでいるほど、私は子供では居られなかった。

 ただ、認めたくない一心で、私はそれに気付かないフリをし続けた。

 子供のフリをし続けた。

 本当は、気付いていた。私のあの時の、とっても大切な言葉は、ちゃんとあの人には届いていなかったのだろう、と。

 勇気を振り絞って、精一杯伝えた私の言葉は、『子供の言葉』としてしか伝わらず、本気にはされなかったのだろう、と。

 分かっている。分かっていた。でも、それでも、約束したんだから、と。私は信じたかった。


 結婚するのは私なんだから、と。そう、信じたかった。信じていたかった。


 だが、ついに、目の逸らしようのない現実を突きつけられ、目の前が真っ暗になる、という現象をこの時初めて知った。本当に何も見えなくなって自分がどこに居るのかも、今立っているのかも、よく分からない感覚になった。

 その時のことはもうよく覚えていない。約束を反故にされたと怒ったような気もするし、悲しんで一日中泣き腫らしたような気もするし、あるいは事実を受け止めきれずにずっと放念していたような気もする。

 分かる部分もあるにはある。子供の言葉を真に受けるわけにもいかない部分はあるだろう。逆に、『子供の時に言っていた言葉』を人質に取られても困ることもあるだろう。

 子供の言葉に責任は持てない。それは一般論として正しいだろう。責任を持てない言葉だから、きっと重みも真実味もない。だから、大人からすると滑稽な言葉として流されてしまう。

 傷付けようと思ったわけでもないのは分かってはいる。

 小っちゃい子供に『結婚しよう』と言われ、真っ直ぐにその気持ちを否定することはできなかったのだろう。あの人なりの『優しさ』で、気持ちに応えて私を喜ばせようとしたのだろう。

 子供が言った言葉だ、どうせすぐ忘れるだろう、と。忘れないまでも、その気持ちをずっと持ちはしないだろう、と。その想いはいつか変わるだろう、と。


 子供だから、と。


 確かに私は子供だった。だけど少なくとも、子供なりに真剣に考えて、頑張ってその気持ちを伝えたつもりだった。それが『子供だから』という理由一つで軽くあしらわれた。

 大人だから子供の言葉を真に受けられなかった。それは分かる。責めるつもりもない。

 だが、それであったとしても、『いいよ』なんていう軽はずみな回答はしないでほしかった。気持ちに応えられないのであれば、応えるフリはしないでほしかった。

 私は本気で、貴方が好きだったのだから。

 確かに、具体的に『結婚』というものがどういうものかはイメージできていなかったかもしれない。好きな人とするもの、というイメージだけで口にした部分はあったかもしれない。

 でも、それでも、貴方を好き、という気持ちに嘘は無かったのだから。

 子供なりに、真剣に、貴方との将来を夢見たのだから。その夢を持ち続けて大人になろうとしていたのだから。

 覚めないで欲しかった儚い夢。大人になるとはそういうことなのかもしれない。現実を知り、夢を持てなくなる。

 貴方と早く結婚したくて、早く大人になりたくて仕方なかったけど、今は子供に戻りたい。貴方のことが大好きで、無邪気に結婚できるって信じて疑ってなかったあの日に戻りたい。

 夢を持つことを許されていた、あの日まで戻りたい。



 迎えた結婚式当日、私は家族の車に連れられ式場へとやってきた。

 本当は着たくなかった。見たくなかった。

 だが、社会人で仕事がある身ならともかく、学生の私が学校の無い日に招待された結婚式を欠席することは許されなかった。

『大好きな親戚のお兄ちゃんの結婚式なんだから行くでしょ』と平然と言われた。両親は私の『大好き』の意味合いを知らないのだろうが、それでも無神経な言葉だった。

『大好き』だからこそ、この結婚式など見たくないのだ。



 私が着たかった服を別の女性が着ている。

 私が立ちたかった位置に別の女性が立っている。

 私を見てほしかったあの人の目は別の女性を見ている。


 悔しくて、辛くて、涙が出てくる。

 周りの人もみんな泣いている。結婚式がめでたくて、嬉しくて、みんな泣いている。

 だから、私の涙は目立たない。みんなと違う涙を流していても、涙は涙。目立ちはしない。

 周りの人には分からない。私が泣いている理由なんて。



 それは恋じゃない、と勝手に大人は決めつける。大人からすれば、子供の恋は本当の恋とは言わないらしい。本当の恋でないのであれば、これは嘘の恋だとでも言うのだろうか。

 嘘だと言うのなら、この胸の痛みは何だ。目から零れ落ちて止まらない涙は何だ。

 大人は嘘吐きだ。

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