第2話 罪
吸血鬼が封印されたという噂の館に通い詰めてから、一週間が経とうとしていた。人の気配のない森の中、昼夜問わず吹きすさぶ風、軋む床板、重苦しい空気。かつてなら、三日もすれば恐怖と疲労に心が折れていただろう。
しかし今回のアレックスは違った。朽ち果てた棺桶の前に腰を下ろし、毎日変わらぬようで少しずつ違う言葉を投げかけ続けていた。
そんなある晩、ふと自分の行動に違和感を覚えたアレックスは、棺桶に語りかける前にぽつりと呟いた。
「もう一週間か……。俺、こんなに粘ったこと今まであったっけ? いつもなら三日も経たずに諦めてたのに……。なんでこんなに頑張ってんだろう……。まあ……いいか。」
不気味だったはずの館の雰囲気にも、次第に慣れてしまった。最初は恐怖を覚えた夜の風の唸りも、今では妙な心地よさすら感じる。棺桶の前に座って、空や天気の話、昔の友人の話、自分が好きな映画の話まで、アレックスはまるで誰かが隣にいるかのように語りかけていた。
そして、さらにもう一週間が過ぎたある日。夜の帳が落ちた頃、アレックスはいつものように棺桶の前に立ち、ほんの少しだけ、真剣な声で語りかけた。
「君が人間を憎む理由は、俺には分からない。でも、そのきっかけを作った相手は、きっとこの世にいないと思うんだ。もしそうなら……ずっと怒りに囚われてるのって、苦しくないか? 肝心の相手がいないのに復讐しても、ただ孤独になるだけだと思うんだけど……それで、本当に満足できるの?」
長い沈黙が流れた。その沈黙に耳を澄ますアレックスの前で、ついにそれまで沈黙を守っていた棺桶の中から、低く冷たい、しかし確かに女性の声が返ってきた。
「……満足できるはずがない……。だが、それでも人間たちは代償を払うべきだ。……復讐を果たせるのなら、さらなる孤独に陥っても構わない。」
その瞬間、館に漂う空気がわずかに変わった。まるで古い傷口が開いたような、重く湿った気配。だがアレックスは怯むことなく、彼女の声にそっと言葉を重ねた。
「……そうか。でもやっぱり俺は思うんだ。肝心の相手がいない復讐なんて、どこかで虚しくなる。たぶん……心の穴がどんどん広がっていくだけなんじゃないかな。」
ふたたび、短い沈黙が訪れた。そして、彼女は低く言い放った。
「お前は愚かだ……。人間は皆、多かれ少なかれ罪を犯すものだ……。それが人間という生き物なのだ。」
アレックスはその言葉を静かに受け止め、目を伏せた後、小さく笑った。
「……確かに、法に触れなくても、人としての罪を犯すことは避けられないかもしれない。でも、俺は信じてる。人間は、自分の過ちを償うために、何かを選び取ることができるって。君も……信じてみないか?」
それきり、館の中に声は返ってこなかった。沈黙が再び訪れ、アレックスはそれを会話の終わりと受け取った。彼はゆっくりと立ち上がり、今日も棺桶に背を向けて館を出た。
その夜、テントに戻り、寝袋に体を預けながら空を仰いだアレックスの胸には、彼女の残した「人間は皆、罪を犯すもの」という言葉が深く残っていた。そしてふと、思いが芽生えた。
――彼女がそう言うのは、彼女自身が、かつて誰かに裏切られ、見捨てられたからなんじゃないか。ならば、その真実を知りたい。なぜ彼女は、そこまで人間を憎むのか。
その夜、アレックスの中に、小さな探求心と、拭いきれない共感が芽を出した。
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