第14話 珍事件

 夏も本番となり、体育の授業に水泳が加わった。男子と女子は同じ時間帯ではあるが、別行動だ。


 男子は疑問にいだくほど股間の部分だけを隠すだけの無意味に面積が小さい黒い水着だった。及川明人は筋肉がまったくない自身の裸体を同性から見られるのも嫌だった。

女子が普段から体育の時間に、下半身のシルエットを明確にし太ももをあらわにするブルマを学校から強要される事を嫌がるのが分かった気もする。


 その女子は同じプールながら、男子がいる位置から対角線上の端に集まっており、その姿を視力が落ちた明人は確認できなかった。

と言うより、『見てはいけないもの』『見たらかわいそうなもの』だと意識的にそちらを向かなかった。

きっと、女子も同じ気持ちだろう。そうであってもらいたい。


 水泳の授業と言えども、半分の時間は水の中に浮いている程度の内容だった。そんな中、ちょっと離れた斜め上に見える夏空の雲が規則正しく不自然に浮いているのが見えた。

その雲はポツンポツンと増えていき、アルファベットの文字をとなってきていることに途中から気づいた。


教諭と共にクラス全員で見上げていると、しばらくしてスポーツ飲料『ポカリスエット(POCARI SWEAT)』となった。テレビCMでも見たことがある飛行機雲を使った宣伝が少し離れた空に展開されたのだった。


 偶然観れた航空ショー。それも校内でもそれが終始しっかり観れた人はごくわずかだ。水泳の時間でなければそれは無理だったことに、明人は何かスピリチュアル的なメッセージを求めたが、何も思いつかず、只々水に浮いてそれを眺めていた。

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 今度は、全校集会で珍事件が起こった。全校集会は定期的に朝から授業の前に開催される。

明人にとって不特定多数の目にさらされる緊張する場ではあったが、実際には生徒それぞれが限られた時間で目的の場所まで速やかに移動する必要があり、周囲を見渡したり雑談をするような余裕はあまりない。

なによりも、体育館に第2次ベビーブームの大量の同じ制服を着た1500人以上の生徒がすし詰めになるため、遠くに見える一個人を共有することは難しく、からかいが発生することは一度もなかった。


 集会が始まり一通りの連絡が終わった後、最後にステージ上の体育教師から、『近隣住民からの苦情の電話』の報告があった。帰宅時間中の近隣の公園で、生徒のカップルがキスをしていたというのだ。


 体育館のあちこちからくすくす笑いが起こる。明人も声を押し殺すのに必死になった。それと同時に”『容疑者』が明人だと誤解されることはないだろうか?”と頭をよぎった。

半年前の『親衛隊事件』は多くの生徒に知られている。『恋愛沙汰=及川明人』という間違ったイメージがあってもおかしくない。

しかし、その時間の舞台となった公園は明人の通学路とは明らかに別の場所にあり、そこまで誤解されることはないだろうと胸をなでおろした。


 その体育教師は「今度はバレないようにしなさい」と締めくくった。そのいきな大人の対応に、「おお!」と今度は驚きの声が体育館全体から聞こえた。


 集会が終わて教室に戻りながら、明人は

”そうだよな、そういう年齢になったんだよな。アニメやマンガやテレビドラマでも、高校生が恋愛しているのはごく普通のことで、『高校生=勉強・部活・恋愛』がはたいがい1セットだ”


”もし俺が普通のごくありふれた高校生だったら、今頃どうなっていたのだろう?”

このような場合、普通の高校生が普通でない生活を妄想するものだが、明人の場合は逆だった。

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 7月下旬。修学旅行が始まった。

バスや新幹線やフェリーなどを使った5泊6日の500人以上の大移動だ。京都から一番遠くて日本アルプス・黒部ダムへ。神戸、学問の神様の大宰府天満宮を巡って戻ってくる西日本横断の旅だ。途中、昨年できたばかりの瀬戸大橋の下をフェリーで横切るとのことであるが、それは深夜のため見ることはできなかった。


 明人はこのような学校主催の旅行に行くと毎回、旅先で体調を崩す。小学生の時は父親が遠く島原市まで迎えに来たことさえある。その原因の根幹は車酔いだ。今回は特にその対策として板ガムを3本お得パックで5セット15本をバッグに忍ばせて参加した。高校生にもなってかっこ悪いところを周囲に見せたくなかった。


 旅行前半の日本アルプスの雪山で胸ポケットに入れておいた眼鏡が雪の上に音もなく落ちたことで気づかず紛失してしまった。そこまで視力は落ちていなかったので行動に差支えはなかったものの、遠くを見る時は持参していた春に買ったカメラの望遠機能でかろうじて対応できた。


 バスでの移動の際はお調子者のクラスメート2人組がが大ヒットしていたCOMPLEXの『BE MY BABY』のボーカルとギターおんのモノマネをして盛り上げたり、明人は京都出身のアーティスト渡辺美里わたなべみさとのNHKで放送されたライブを録画しておいたVHSテープをバス車内の前方とと中央の2か所の天井にぶら下がるように固定されているブラウン管テレビで流した。


 食事の時こそ男女が一緒になるが、想像以上に別行動が多く、明人の周囲も男子でしっかりと固められていたこともあり、何らトラブルも起こることはなかった。


 過去の旅行の経験から、家族へのお土産みやげは割高なだけであまり意味がないと感じていた明人は、一切そのような買い物はせず、旅行中に発売日を迎えたCDと 長崎では見つけることができなかったマイナーなマンガ本だけを買って帰った。

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【第14話補足】

・ポカリスエット:大塚製薬。1980年に発売され、明人も小学校の冬場の体育イベントで粉末をお湯で溶いたものを初めて飲んだが、あまりのまずさにそれ以来口にしたことがなかった。テレビCMでは明人らが観た『スカイタイピング』が登場しており、『スカイタイピング=ポカリスエット』というイメージが最初からあった。明人にとって後発のコカ・コーラ系『アクエリアス』『同レモン』は強力な販売網からいたるところで見ることができた。高校では出入り業者の雪印乳業(現雪印メグミルク)系の『ゲータレード』を体育祭で購入することができた。


・明人が持参したガム:江崎グリコ「キスミント」。定番のロッテのガムと比べて安く販売されていた。


・VHS:明人が物心ついたころにはVHS方式とβ《ベータ》方式のビデオ戦争はすでに終わっており、低価格と使いやすさを重視したVHSが勝利していた。1988年からはβのソニーからもVHS機器が発売されていた。

ビデオレンタルでもほとんどがVHSだった。明人自身はβのカセットを小学生の時の友人宅で1度しか見たことがない。


 時代の進歩とともにS-VHSや小型化したVHS-Cなど新たな規格も誕生したが、そこまで普及しなかった。


 この時代には次のLD(レーザーディスク)とVHD戦争もほぼ終結していた。それ以前に戦争の存在すらほとんど知られていなかった。これらのディスク類はレンタル禁止かつ再生専用であったため、再生デッキのテレビCMはあったものの 所有者そのものが少ない。カラオケ店に置かれている巨大な装置の中に組み込まれている姿しか明人は見たことがなく、ディスクそのものは一度も見たことも触ったこともない。

 このようなことからこの時代は、レンタルにおいては2000年前後にDVDが広まるまでは、ビデオはVHS、音楽はCDという構成となる。


・VHSテープ:販売元はオーディオカセットメーカーとほぼ一緒。3本セット5本セットといった形でホームセンターでも発売されていた。再録を繰り返す日常使いの安いものから、永久保存を意識した高級なものもあった。


・京都で買ったもの:テレビアニメ サウンドトラック『らんま1/2 音楽道場』(1989年7月21日)、『マリオネットジェネレーション1』(美樹本晴彦:角川書店)

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