ダストボックスに捨てた夢を

ラーさん

第1話 ここではないどこかなんてのは

 ここではないどこかなんてのは、きっとどこまで行ってもいつか現実に追いつかれて“ここ”に変わってしまうだけのお話で、だから“ここ”にいるあたしはどこにも行かずに母親と新しい父親の情事の声を耳にしながら長い夜を毎晩毎晩やり過ごしていると、そんな言い訳染みた言葉をヘビーローテーションで頭に毎日流しながら暮らす高校生活は、どこかこの薄暗くて隙間風に寒々しい冬の夜のガレージの空気に似ていると感じていた。


「寝不足」

「じゃあ寝てろ」


 そんなガレージの隅で電気ストーブにあたりながらあくびとともに吐き出したあたしの独り言に、こんな冷たい言葉を投げたのは、このガレージの借主である幼馴染の山本だった。がっしりとした身体にイボガエルのようなニキビ面のずんぐり顔が無愛想にのっかった男である。こいつはあたしを一瞥するとパンパンと窮屈そうな茶色いツナギの大きな背中をむけて、もうこっちになんて毛ほどの興味もない様子で淡々と最近中古で買ったバイクの整備に戻った。


「ああ、冷たい。山本が冷たいわー。ああ寒いよー。知ってる? ケイコは寂しさに凍えるとウサギみたいに死んじゃうんだよ? あたしはこうして山本の冷たさに凍えて死んでしまう運命だったのね……。さようなら、この世のみなさん。さようなら、さようなら、さようなら……」


 そう言って山本に手を振ったけれど反応がないので寂しくて死ぬ。


「えーん、山本が冷たいー。寂しい、寂び死ぬ、死んだ。ケイコ享年十八歳。葬式は寂しくならないよう派手に花火でも打ち上げてくれー。遺言です。よろしくです。バイバイキンです。神様、来世はあたたかい山本のいる世界に生まれさせてください……」

「帰れ」


 ぐわぁーとかまっての駄々こねの冗談わめきで気を引いてみたけれど、山本は凍てつく冬山から吹き下ろす寒風のような一言であたしの戯言ざれごとを一蹴した。


「それが嫌だからここにいるんじゃない。わかってないねぇ、山本くんは」


 その一蹴を受け流して山本の横に移動する。家に帰りたくなくて学校帰りの制服姿のままのあたしは、わざとスカートからはみ出た生足が山本の視界に入るところでしゃがみ込んでやる。このかまってな嫌がらせに面倒そうな息を吐きながら、けれど優しい山本はあたしに目をむけてくれる。


「甘えたいなら彼氏のとこでも行け」

「だから、わかってないって言ってんのよ、山本は。あの子はね、良い子だよ? でもね、こういうときは違うのよ。友達でも違うの、こういうときは。そうなのよ。こういうときはね、わかったようなフリをされるのが一番しんどいの。だから山本なの。もの心ついたときから隣の家に住んでた腐れ縁の幼馴染って訳。わかる?」

「知らん」

「冷てぇ~。そこがいいって言ってんのよ」

「じゃあ、いいだろ。冷たくて」


 それからあたしがいくら話しかけても山本は返事をしてくれず、つんつん指でつついても黙々とバイクの整備をガチャガチャするだけのガチャガチャマンになったので、手持ち無沙汰になったあたしは持ってきたギターを取り出してチューニングを始めた。

 スマホのチューナーアプリを起動し、ギターヘッドのベグを緩み締めしながら音を確かめる。夜のガレージのひりつく冷気とストーブのじんわりした暖気が混ざり合う空気の狭間に、ギターの弦の震える音がビィー……ンビィー……ンと揺れている。


「あんまりうるさくするなよ。叔父さんの迷惑になる」

「知ってるよ。これでも常識はある方なんで。ガレージ入る前もあいさつしたし」


 ここは山本の叔父さんの家のガレージで、居候身分の山本からしたら気遣いしいところなのはよく知っているから、あたしも礼節をわきまえて家にお邪魔するのにあいさつはするし、ギターの音も抑え気味にする。

 ぽろぽろとギターの弦を指で鳴らし、あたしは作曲中の歌をしずしず歌う。


――なくしちまった悲しみを

  探して歩くロボットたちも

  電光ホタルのメモリーが

  照らす夜道を進んでいく――


 作った歌詞に合う音を手探りで見つけて作った曲は、夜に走るような静かだけれど速い曲で、抑えたギターの音量に合わせた抑えた声で歌う歌はしずしずと、けれど狭いガレージの中をスキップするようなテンポで走っていく。


――気長に首伸ばす首長竜の

  さえずる歌は忙しなくて

  アンモナイトの大親分も

  月夜の空へと身を投げた

  乾燥大麻の声が聞こえる

  ABCの愛はどこか

  ハーゲンダッツのバニラのような

  甘い期待でシャワー浴びる

  リンドバーグが見下ろす街の

  光の中で腹を空かし

  南南西に舵を切って

  水平線へと舟を出した――


 適当に思いついた気分と言葉をノートに書きなぐって作った詩は、友達には「わけわからん」と言われたけれど、彼氏には「なんかいい」と言われた詩で、書いた自分でも「よくわからんけどなんかいい」と思ったから曲までつけて歌に乗せる感情は、どこか悲しくて、寂しくて、寄る辺なくて、ここではないどこかを求めて走るみたいに、一点へとしぼられていくような声で切なげな音を引いて伸びていく。

 そして転調。ギターのテンポがスキップから全力疾走のような勢いに加速する。


――水平線の奥へ奥へと

  あたしの明日を連れていって

  ねじまき鳥のランデブーで

  乱れた髪を翻して

  汚れた今日も過去へ過去へと

  パンクな津波で前へ前へ

  キッチンペーパーに包まれた

  アステロイドを明日へ投げろ――


 冷たいはずのガレージの空気に熱を感じたのは、歌に熱がこもってきたからか。明日なんて知らないあたしが、明日へむかって歌声を走らせる。家に帰れば迎えてくれる諦めの現実に足蹴あしげでもするように、あたしはあたしの歌を力を込めて走らせる。

 山本がこちらを見た。無愛想なままのカエル顔で、あたしの歌を見届けるような目をむけて、それにあたしは「だからこういうときは山本なのだ」とあらためて思いながら口許を緩ませて、サビをラストまで歌い抜ける。


――水平線の先へ先へと

  あたしの明日は広がってく

  プリズム蝶々の乱反射で

  カオスに空気をかき乱して

  水平線の果ては見えた

  バーゲンセールのバルーンを望む

  ダストボックスに捨てた夢を

  フルスロットルで蹴っ飛ばして――


 曲終わりに慣性のようなメロディを流して残響をガレージに放り出すみたいにギターを弾く手を止める。

 そこであたしはドヤっとした顔を山本にむけた。


「どうよ、新曲?」

「よくわからんけどわかる曲だな」


 表情を変えないままそれだけ言って再びバイクに身体を戻す山本に、あたしは嬉しさのままその背中へと飛びつく。


「そうそれ! いいでしょ、このわかんないけどわかる感!」

「くっつくな」

「やー、さすが山本。わかってるなぁ~」


 邪険に振り払われても背中をつついてペラペラと喋り続けるあたしの鬱陶しさに、痺れを切らした山本があたしを強引にバイクに乗せて家まで送り帰したのは十時を少し過ぎた頃だった。

 どれだけ今風に外装リフォームしても造りの古さは隠せない築五十年の団地にある我が家の玄関扉を開けると、玄関のすぐ横にある浴室の脱衣スペースから母が出てきたところだった。


「あら、おかえり」

「……ただいま」


 湯上りに火照る薄ピンク色の首筋に赤いアザを浮かべた母は、濡れた髪をタオルで拭きながら浴室にむかって声をかけた。


「あんたー、娘が帰ってきたからもうちょっと風呂にいてー」

「ん? おおー、ケイコちゃん帰ってきたかー」


 あたしは浴室から返ってきた野太い男の声に顔を歪めながら、無言で浴室のむかいにある自分の部屋に入って鍵を閉めた。そこであたしは脱力し、ギターとカバンを床に投げてベッドにばたりと倒れ込む。


「はぁ……」


 今日はもうお風呂に入りたくない。


「あれ、もう部屋行っちゃった?」

「ごめんねー、愛想のない娘でー。それよりさっきの続き……どうする?」

「ん? まあ、そうだなぁ。ちょっと何か食べてから……」


 そのまま目をつぶるけれど、古い団地の薄い壁のむこう側から新婚夫婦の会話が聴こえてくる。あたしはベッドから這うようにして床のカバンに手を伸ばし、取り出した手帳の表紙の裏に挟んだ紙切れを見る。

 汚い字で書かれた一度も掛けたことのない電話番号。


「水平線の奥へ奥へと、あたしの明日を連れていって――」


 仰向けになって手帳を胸に歌を歌う。

 けれど水平線の奥に届かないあたしの歌は途中で途切れてどこにも行けず、あたしは今日も“ここ”の狭い四畳半の部屋の中で、諦めの言葉をヘビーローテーションで頭に流す夜を過ごす。

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