少女プエラは魔法使い─放浪行商譚─
志田山 玄二
第1話 変わらぬ日常
──コツコツコツ。
二つの満月が照らす星月夜の下を、蒼いローブに身を包んだ、銀髪の背の高い女が歩いていく。彼女の背中には、巨人の腹ほど膨れた鞄が載っていた。
彼女の名はプエラ。 国を追放された魔法使いであり、行商人である。
ホイカ王国の城下町。プエラはシートに商品を広げ、来たるべき客を待っている。道行く人はその珍しい品物の数々に目を輝かせ、手を伸ばしていった。残ったものはこの古い時代の魔宝石だけ。まあこの国は魔法が盛んではないし、そろそろ店じまいにでもしよう。そう思ったとき、一人の少女がプエラに話しかけた。
「ねえお姉ちゃん! それいくら?」
「うーんそうだね、銅貨15枚くらいでいいよ」
「あ……」
少女はポケットに手を突っ込んでお金を探す。しかし、手に握られたのはたったの銅貨5枚だけだった。
「あちゃー……よし、じゃあ特別価格! 銅貨5枚でこれを売ってあげよう」
「……!? いいの!?」
「もちろん!」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
少女は目を輝かせて魔道具を受け取り、それを大事そうに抱えて走り去っていった。
(今日も赤字、か……)
蒼いローブを纏った銀髪の行商人は自分より幼い子どもに甘い。つまるところ、12歳以下の子どもたちだ。さっき売った魔道具だって、知識のある収集家に売れば銀貨5枚は下らないだろう。プエラの悪癖である。
そんなこんなで頭を抱えていると、一人の大男が話しかけてきた。
「よっ、今日も赤字って顔してんな」
「うげっ……ガダンさん。なに、私をからかいに来たの?」
「うーん、まあ、そんなところかな」
彼女に声をかけたのはガダン=シルフディ。傷跡だらけの筋肉と笑顔が光る、屈強な男である。またプエラが所属するヴァルナディア旅団の団長であり、プエラの育ての親でもあった。
「お前なぁ……どうしてそんなに子どもに甘いんだ? いくら子どもでも客は客だろ。適切な価格で取引しねぇと」
「はぁ……ガダンさん、私を拾ってくれた人にそんなこと言われても説得力ないんだよ?」
「ったく、誰に似たんだかねぇ……」
「似るほど一緒にいるのは旅団のみんなとガダンさんくらいだよ」
なんてつまらない会話をしながら、広げた商品を片付けて鞄にまとめる。色とりどりの魔宝石に、魔道具。それからドラゴンの鱗……前の旅で得たものは粗方売りさばくことができた。荷物は軽くするに限る。売れ残りイコール、重荷だ。経済的にも、物理的にも。
「キャンプ地に戻ろうか、娘よ。もう日が暮れてしまう」
「その呼び方辞めてよ……かっこつけちゃってさ」
そう言いつつも、なんだかんだでガダンの手を握って馬車へと戻るのだった。プエラはまだ少女である。
「おかえり団長、まあまあ早かったじゃん」
「おかえりなさい〜」
「あらプエラちゃんおかえりなさい。おやつ食べるかい?」
「今はいらないかな。代わりにお手伝いをさせて」
キャンプ地に戻ると、既に他の団員たちが夕食の準備を進めていた。鍋の中はキノコやドラゴンの肉で作ったシンプルなスープで満たされていて、パンの焼けるいい匂いも辺りに充満している。もちろん、プエラの好物のレーズンパンも準備されていた。森の中のここは、パーティー会場さながらである。
「みんな、聞いてくれ」
ガダンが珍しく真面目な声を出すと、辺りは途端に鎮まり、彼に目線を送る。彼の声に聞く耳を持たないのは薪の弾ける音くらいだ。
「我々はもうすぐこの国を出て、また新たな旅に出る! 今夜は存分に楽しんで、明日からも頑張ろう!!」
「「「うおおお!!!」」」
ガダンの音頭に合わせて、辺りに乾杯の音色が響き渡った。それに笑い声と楽しげな音楽も続く。楽しい夜は始まったばかりだ。
「プエラ……」
「珍しいね、ガダンさんが酔うなんて」
「俺ぁ、…酔ってなんかいねえさ」
「はいはい。ほら、こっち座って」
宵も深まってきたころ、ガダンがちょこんと彼女の側の丸太に腰かける。大の大人が酒に酔って子どもと駄弁る光景が、プエラは少し面白かった。
「もう……お前を拾ってから12年になるんだな」
「そうだね……ありがとう。私を拾ってくれて」
「構わんよ……当時の俺に、子どもを見捨てるだけの勇気がなかったってことさ」
「きっとそれが……本当の勇気なんだと思うよ」
「言うようになったじゃねえか。大きくなったな」
そう言うとガダンはプエラの頭をガシガシと撫でる。ほんの少し力が強すぎるが、その大きな手のひらがプエラは大好きだった。
「それで……プエラ。お前はこれからどうしたい?」
「どうしたいって……明日も明後日も、私はずっとガダンさんと!」
「それはお前の進むべき道じゃねえ!!」
楽しげな喧騒を、ガダンの声が貫く。酔って赤くなっていた筈の顔は険しくなっており、今までの貫禄と経験を感じさせる面持ちだった。その瞳はどこか遠く、プエラの向こう側を見つめている。
「お前は生まれてからずっと、旅団についてきてくれた。同年代の子たちに比べれば、沢山の経験をしてきたはずだ」
「うん、そうだよ。だからこれからも……」
「だから、それがいけねえって言ってるんだよ!」
「お前みたいな、若くて未来ある若者が一つの
「なんで……私じゃ駄目なの?」
「違う、何も駄目ってわけじゃ」
「もう知らないよ! ガダンさんのことなんか!」
「おいプエラ! どこに行くんだ!」
プエラはガダンに目もくれず必死で走り出した。どこに行くでもなく、どこを目指すでもなく、涙を流しながら走った。プエラはまだ少女である。
だからこそ、目の前の湖畔に気づかなかった。
「あ……」
ボチャン。右足から、倒れるようにプエラは沈んだ。目線の先の水面には、二つの満月が浮かんでいる。彼女の体にもはや抵抗する意思はなく、ただ重力に身を任せるだけだった。
「プエラ!! プエラァァァ!!」
ガダンの叫びがプエラに届くことはなく、無情にも彼女は沈みゆくだけだ。飛び込もうとした彼を、慌てて駆けつけた団員たちが必死で止める。
「離してくれ! プエラは俺たちの娘だろ!」
「それは私たちだって分かってるよ! でも見て! もう姿が見えないところまでプエラちゃんは沈んじゃったのよ!? 団長まで死んだら……」
「団長、諦めよう……」
「ここで諦めるような男は! 聖戦を生き抜いちゃいねえ!!」
(私はここで死んじゃうんだ……ガダンさんに謝れないなあ……どうせなら、売るだけじゃなくて使ってみたかったな……魔法)
「プエラ!!」
「ガダンさん!?」
仲間の制止を振り払い、ガダンは湖畔に飛び込んだ。プエラも必死に手を伸ばすが、藻掻けば藻掻くほど沈むスピードは増す。
(私が死ぬのはいい。もう沢山のことを楽しんだから。でも、ガダンさんが死ぬのは嫌──!!)
その時、プエラの体に不思議な感覚が流れた。まるで魔力が体中を流れているような……いや違う。確かに魔力が流れている!
(今なら……できる!!)
プエラはガダンの手を掴み、体の魔力を集中させる。絶対に彼を助けるという強い意思が、彼女の中の魔法を起動するに至った。
「──ヘヴィ・アセンション!!」
そう叫んだ瞬間、ガダンとプエラは即座に上向きに沈み出した。まるで重力が逆転したかのように、どんどんと上に沈む。そしてようやく、水面から飛び出た。
「みんな! プエラと団長が浮かんで来たよ!?」
「何してる、引っ張り上げるぞ! せーのッ……!」
ガダンはプエラを抱え 、陸地に上がる。息も絶え絶え、絶体絶命の状況だった。
「ゲホッ……ありがとう、みんな。すまない、無理をしてしまって」
「いいんだよ団長。プエラもこうして生きてるんだから……っておい、目を覚まさないぞ!?」
「大丈夫、私は生きてるよ」
ガダンの腕から抜け、プエラはすっくと立ち上がる。月明かりを浴びて濡れた前髪をかき上げる姿は、まるで湖の精霊のようだった。
「お前、どうやって俺を助けてくれたんだ?」
「分からない……けど、一つだけ言える事がある」
プエラはもう魔法使いである。
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