となりの君に、まだ言えない

@ino1972jp

第1話

春になると、必ず思い出す光景がある。

 桜の花びらが舞う坂道を、一緒に下校したあの時間。笑い声と、言えなかった言葉。


「奏、忘れ物してたよ」

 そう言って、凛が僕の筆箱をひょいと掲げた。

 子どもの頃から何度こうして助けられてきたんだろう。体育の着替えを忘れて、上履きを間違えて、通知表を家に持って帰るのを渋って――。


 そんな時、隣にいたのはいつも凛だった。


 中学の頃までは、それが“当たり前”だった。

 でも、高校に入ってから、何かが少しずつ変わってきた。


 凛はクラスの中心で明るく笑っていた。

 放課後は部活の友達と帰っている。僕の知らない誰かと話している。


 別に、嫉妬とかじゃない。……と思っていた。

 けれど、凛の視線の先に“僕以外”がいると気づいたとき、胸の奥がざらついた。


 ああ、これが“恋”なんだと、気づくのに時間はかからなかった。

 でも、気づいたのが遅すぎた気もした。



 高校2年の春。

 久しぶりに二人で帰る帰り道。並んで歩くのは、半年ぶりだった。


「桜、今年もきれいだね」

「うん……」

 その言葉すら、なぜかうまく返せない。


 言えばよかった。

 小学生のとき。

 中学生のとき。

 いくらでもチャンスはあったのに。


「ねぇ奏。覚えてる? 昔、坂の途中で転んで泣いたこと」

「ああ……凛におんぶされたやつ」

「うん。……私さ、あのとき、ちょっとだけドキドキしたんだ」


 凛が、僕の顔を見ないまま言った。

 風が、桜の花びらを舞わせる。


 僕は、心臓の音がうるさくて言葉が出てこなかった。

 けれど、その沈黙が答えだってことを、凛は知っていたのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

となりの君に、まだ言えない @ino1972jp

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る