猫又娘の大冒険 18
18
「少しお話をしましょうか。さ、こちらにおいでなさい」
フロージュ女王は、まのを化粧台に来るよう勧めました。まのは女王様にたくさん聞きたい事、聞いて欲しい事がありましたが、言われるまま化粧台の椅子に腰掛けました。
鏡に映った自分の顔は、ひどく疲れていると感じました。この国に来てから今まで鏡には触れていないまのでしたが、もっと表情は明るくかったという自負はあったのです。
対照的に鏡に映る女王様は、初めてそのお顔を見た時から比べると血色もよくなっているように思われました。
「綺麗な髪ね」
女王様は愛おしげにまのの銀髪に触れ、言いました。
「白銀の輝きが星空のよう。羨ましいわ」
女王様の黒髪も綺麗ですよ、といつものまのなら返していたでしょう。でも今のまのは髪を褒められたお礼の言葉もすぐには出てきませんでした。
「痛かったら、言ってちょうだいね」
そう言うと女王様は手ずから、まのの髪をブラッシングし始めてくださりました。ゆっくり、丁寧に。まのの猫耳に当たらないよう、細心の注意を払いながら。
意外にも女王様のブラッシングはお上手で、まのの沈んでいた気分も幾分か和らいできました。
夜ということもあってか、ブラッシングの心地良さとともに、軽い眠気がまのを襲ってきます。うつらうつらと夢と現実を行ったり来たりしている内に、この心地良さを以前にも味わったように思えてきました。
──撫でられると、とても気持ちよさそうね。
不意に浮かんだ言葉は、誰がかけてくれたのでしょうか。女王様は黙って髪を
「あまり自信がなかったのだけれど、少し安心したわ」
今度はハッキリと女王様の声でした。
「え?」
「目が、とろんとしているんですもの」
くすくすと笑いながら、女王様は言いました。
「あ、撫でられるの好きなんです。昔、よく──」
不安を忘れリラックスしていたからでしょうか、無意識に言葉が出ました。
「──昔、よくやってもらっていた?」
自分の言葉に驚きながら、噛み締めるようにもう一度繰り返します。
「そう。どなたに?」
ブラシが髪を梳く音。時に長く、時に短く。その度に輝きを増す自慢の銀髪。
「どなた……誰だったのだろう」
まのは鏡に映る自分を見ました。そこには猫又の、人型をしたまのはいませんでした。ただの白い猫が映っていました。そしてその周りには、大きな人──人間がまのを取り囲んでいました。
それは鏡が魔法の鏡だとかそういうものではなく、
──これは、あたしが猫又になる前の記憶?
と言うことは、映っている人間はまのの飼い主だったり、遊んでくれた人たちでしょうか。
「そう言えば、猫又になってから、猫時代の事を思い出すことが少なかったなあ」
小さな独り言。女王様に聞かれたくないと言うより、本当にただの独り言でした。女王様も聞こえたのか、聞こえなかったのか分かりませんが、無言を貫いています。
まのは正直、猫時代のことをあまり覚えていません。何せ、長生きの猫でしたから、誰に飼われて捨てられてを何度繰り返したか。覚えているのも苦痛でしたから。
「だから思い出せなかったのかなあ……」
優しい人に可愛がられ、厳しい人に躾をさせられ、人の都合によって振り回されるのが嫌になって逃げ出したりした猫時代のまの。
知らず知らずにお世話になっていたんだなあ、と大した感慨もなくぼやけた映像とともに記憶が少し戻って来る気がしました。
「ま、なんだかんだで楽しかったんだろうなあ」
夢見心地のせいか、女王様の存在も忘れて砕けた口調で猫時代を懐かしむまの。
「──だとしたら、お別れはとても辛かったでしょうね……」
沈黙を守っていた女王様が、思わずと言った形で口を挟みました。
「あなたも、送る方も──」
いきなり水を頭からかけられた思いでした。そうだ、何故そんな大事なことを忘れていたんだろう!
「女王様、あたし、あたし!」
まのはブラッシングの途中と言うのも忘れ、女王様に向き直りました。幸い、ブラッシングはほとんど終わっていたようで、ブラシが髪に絡まることはありませんでした。もっともまのはそれどころではなかったので、ブラシの存在など忘れていましたが。
「あたし、ひどい子です。猫又になって色んな事を覚えなきゃいけなかったからと言って、猫時代にお世話になった人たちの事を忘れるなんて!」
せっかく梳いてもらった髪を振り乱しながら、まのは言います。
「なのに、女王様やこの国の住人さんたちに偉そうな事を言って……」
「あなたが忘れていたのだから、仕方のない事よ」
女王様は優しくまのを慰めます。
「でも、あまりに薄情じゃないですか。忘れる、なんて!」
「辛い事や悲しい事を忘れたくなるのは、誰にでもある事です。私だってついこの間までそうでした──まの、私の顔を見てくださいな」
言われてまのは、女王様の顔を見ます。初めて会った時から随分と印象が変わった、優しさと威厳のある女王様の顔。
「私、身嗜みは常変わらず整えていました。あなたがここに来る前から。女王がだらしない格好をしていたら、皆に示しがつきませんものね」
「……はい」
「だけど私は化粧台が嫌いでした。そこに座れば、陰気な自分の顔を嫌でも見なければならないのですから」
処分しようと思った事、何度もあるんですよ、と女王様は付け足しました。
「でもあなたがここにやって来て、向き合う事や楽しむ事を思い出させてくれたのです。それが今度は、あなたの番だと言うだけの事」
「そ、そうなんでしょうか……」
女王様は優しいから、そう言ってくれるんだとまのは思わずにはいられません。そんなまのの心中を察したのか、
「まの。ひどい事をしたと思うのなら、早く思い出してあげる事です。大丈夫ですよ、あなたを責める人などいません。むしろ心配していますよ?」
「それは、どういう意味でしょう?」
女王様はまのの問いかけに答える代わりに、足音を忍ばせてドアの前まで行くと一気にドアを開けました。
「うわっ!」
「キャッ!」
「わあっ!」
三人の小人が部屋に雪崩れ込むようにして倒れ込んで入ってきました。どうやらドアに耳をくっつけて盗み聞きしていたようです。
「フク、ユキちゃん、それにジャックまで!」
急いでまのは三人の元に駆け寄ります。
「ど、どうしてここに!?」
「あなたが心配だったからでしょう。いいお友達をお持ちになったわね」
やはり女王様はどこまでも優しく言われたのでした。
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