最終話 奪われたくないもの
急雲暗雷 1
「────ゼフィー!!!」
腹の底から呼んだその声が、妙に反響して耳に届いて。
モナは、背骨がゆがんだような違和感をそのまま、無理やり目だけをぐるりと動かした。
何が起こったのかわからない。
いきなり知らない場所。
たぶん瞬間移動?
暗いホール。
石の壁。
大理石? アスファルト?
違う、たぶん魔道の石……!
そう、モナが感じ取ってしまうほど、その広い部屋は、儀式めいていた。
深緑がかった石壁。
細かい魔法陣の文様。
その溝を、淡い緑の光が脈打つように流れており、異質な雰囲気を醸し出している。
床は黒曜石めいた艶でこちらを圧倒してくるし、高い天井には闇が広がり、どこまで続いているのか見えない。
後ろからお腹に手を回しているのは誰?
腕の太さと毛深さからして男だ。
絶対にゼフィルじゃない。
知らない男に後ろを取られている状況に、ぞわりと悪寒が走る。
どうしよう。
ホールの奥に誰かいる。
階段の上で偉そう、たぶんあいつがボス。
魔法陣の隣に立ってるのは──、石の台座?
上にあるのは何?
なんかスマホみたいのが飾ってあるけど良く見えない。
っていうかどうしよう。
動いたら死ぬ。
怖い、どうしよう、と、息も詰め、モナが不安に飲まれそうになった時。
ヴオン、と歪む、視界端の空間。
瞬時そこが波立ったと思えば、きらりと何かが煌めいて、まばたきの刹那。走り抜けた閃光と同時に”チュン”という高い音。
「ぐあ!」
背ろから聞こえた呻き声。
とたん離れた腕に、軽くなる背中。
後ろでドスンと音がしたのと同時、歪みから姿を現したのは、ゼフィル・ローダー。
きっと同じ術で追いかけてきてくれたであろうゼフィルに、モナが希望の息を吸うより早く。ゼフィルはゆっくりと立ち上がる。
その表層に、見たこともない怒気を滲ませる彼の手元には、ばぢばぢと爆ぜる閃光の種のようなもの。
……おそらく、空間移動と同時に術を練り上げ放ったのだろうと──、モナが現代脳で考えるその側で、ゼフィルの、冷たい声が飛ぶ。
「悪ぃ。加減忘れた」
彼が睨むはモナの後ろ。
何かを喰らってのた打ち回る魔導士に
「命があるだけ感謝しろよ。マジで」
言い捨て、彼の姿がまた歪んだ。
一瞬消えたゼフィルに、モナが戸惑ったその直後。
すぐ後ろで空間がゆがむ音。
香る小麦の匂い。
それがすぐにゼフィルだとわかり振り向いた時、彼女は、ぎゅっと肩から引き寄せられていた。
「……ゼフィー!」
若干焦った声で呼んだ名前に返ってきたのは、彼の〈いつもの微笑〉。
優し気なオリーブグリーンの瞳に宿る、気遣いと──僅かな安堵。
「大丈夫だった? モナちゃん」
「わ、わたしは大丈夫、でもなに、これ、どうなって」
「〈連れら去られたからおっかけた〉、こんだけ解ってくれたらじゅーぶん」
問いかけに返ってきたのは、肩を抱く強い力。
そこから否応なしに感じる緊張に、モナが改めて息を呑んだ時。
「──ゼフィル!」
聞きなれない男の声が、悲痛を孕んで場に響いた。
瞬間ピリつくゼフィルの気。
ごくんと息を呑みちらりと様子を伺えば、ゼフィルが冷たく見据えているのは──闇の奥。数人の魔導士に杖を向けられながらも顔をあげている男だ。
……誰?
そいつに、モナが眉をひそめた瞬間。
ゼフィルの声が冷淡な飛ぶ。
「……アルセイド。なに? おまえが手引きしたの?」
「すまない……! あの紙は持ち出すべきではなかった……!」
「……は?」
──〈あの紙〉? なんのこと?
始まった会話に、モナは思考を巡らせる。
しかし、思い当たることがない。
だが、そんなモナに構っていられないと言わんばかりに、アルセイドと呼ばれた男は声を張るのだ。
「そんなつもりはなかったんだ! オマエを売るつもりは! 軽い気持ちで見せたのが悪かった!」
「 誰 に ! おまえだけでっつっただろ!」
「悪かった! 本当に、まさか、こんなことになるとは……ッ!」
アルセイドは首を振る。
モナの視界の右の下、ゼフィルの空いた手のひらに、赤き光が収束していく。
「おいアル。答えろ。なんでモナちゃん連れ去った?」
「文字……! 文字が一致したんだ! 召喚検体0066の所有物と!」
「……!」
──瞬間。
息を止めるように吸い込むゼフィルの音。
アルセイドが何かを投げた。
──それは、白く、闇を裂きながら、 一直線。
狙いを澄ましたように、モナの足元へ滑り込み──!
「…………わたしの、運転免許……!」
モナの口から突いて出た声は、召喚の間に響き渡った。
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