いざ竜を得よ

カノメコウ

門衛の仕事


 大あくびをしたシガルは、その勢いで頭上を仰ぎ見る。覆うもののない青空が広がってはいるが、遠く西の空に黒い雲の陰りが見える。今は穀種の月。作物の種植えに晴天続きはありがたかったが、一休みとなるようだ。


「明日は雨だな……」


 街道を行き来する商人や旅人はしかめっ面をするだろうが、門を護る者としては暇になるのでありがたい。明日は待機所に遊戯盤でも持ち込んでおこうかと、とりとめもなく考える。


「――だらけているぞっ、シガルっ」


 突然厳しい声が飛んできて、シガルは反射的に姿勢を正す。いつの間にか正面に、鎧姿の屈強な男たちがニヤニヤしながら立っていた。


「なんだ、お前らか……」


 脱力と同時に落とした肩を、遠慮なく叩かれる。


「門番がそれだけ気を抜けるということは、平和だということだ。それもこれも、この一帯を巡回している俺たちのおかげだな」

「……門衛と言えよ。一応、兵士だからな、俺」

「そうだったか?」


 舐められてるなと苦笑しつつも、反感を覚えないのは、ひとえに目の前に立っている男たちの功績をよく知っているからだ。


 シガルが門を護る街・セアレンは、ここ数年で鉱山街として名を馳せ始めている。元は質素な宿場が点在する程度の、街道の途中にある寂れた町の一つだったが、近くの山から銀鉱脈が見つかり様子は一変した。鉱石の質がいいと判明すると鉱山は一気に開抗が進み、それに伴いセアレンの開拓も急激に進んだ。

 鉱石を掘り出し、銀を選別、製錬までを行っており、それらの作業に従事する労働者が大量になだれ込んできたときの混乱ぶりを思い出し、シガルは遠い目をする。


 いくら潤おうがセアレンの根っこにあるのはのどかな田舎町の気質だ。荒事とは無縁な生活から一転、溢れんばかりに増えた人間たちの起こす問題にきりきり舞いさせられることになる。栄え始めた鉱山街にはよくも悪くもさまざまな人間が集まり、住人たちはほぼ顔見知りという状態は遠い過去のものとなる。住人たちの不安に考慮し、さらには製錬した銀を盗賊たちから守る必要もあり、警備体制を整える必要があった。


 シガルもほんの半年前までは平凡な農夫だったのだが、今は急ごしらえの兵団の一員としても、こうしてがんばっている。もっとも、訓練は受けはしているものの、戦闘については端から期待されていない。兼業兵士と名乗るのも申し訳ない。頼りになるのは、領主から派遣された私兵以外に、同じく領主から金で雇われた傭兵だった。

 その一人――と数えてしまうのは、目の前でニヤニヤしている男・ギストに失礼だろう。セアレンに滞在している傭兵たちをうまくまとめ、役割を割り振ってくれている人物だ。

 傭兵といえば戦いに特化した荒くれ者だと先入観があった街の人間たちが、名ばかりのシガルのような兵士よりも、傭兵たちを頼りにしているのも、ギストの働きによるところが大きい。


 鍛え上げられた長身を黒い鎧で包み、腰に剣を佩いた姿は、ただ立っているだけでも気圧される。顔つきは精悍で整っており、これまでの生き様を物語るように、左頬には刀傷の跡が残っている。暗い赤銅色の瞳は理知的な光を湛え、鋭さも宿している。不穏、物騒と、一見してそんな単語が頭に浮かぶが、こんな見た目でギストは人当たりがいい。日頃手に負えない街の悪ガキどもも、この男には憧れの眼差しを隠そうともしない。

 そして、ギストが男盛りの三十半ばということもあってか、女たちは熱っぽい眼差しを露骨に向けている。


「今日はもう上がりか、シガル」

「いや、フルベンドラ行きの定期便の馬車がもうすぐ出発するから、それを見送ってからだな」


 人が増えれば、それだけ物資も必要になる。以前に比べて馬車の往来は頻繁になり、門衛の仕事も重要さを増す。ときおり乗合い馬車に、手配書が出回っているような犯罪者が乗っていることもあるのだ。仮に犯罪者ではなくとも、怪しい人物への尋問も行わなくてはならない。


「そうか。まあ、フルベンドラ行きなら、そう心配することもないだろう。むしろ心配なのは、荒野方面の道だな」


 フルベンドラ行きの馬車は南門から、グアラヒュンバ荒野を抜ける馬車は東門から出ている。ちなみにここから荒野を抜けて馬車でおよそ十数日ほどの旅程を経て、ギリアムル王国の王都・ミュラに到着する。


「何かあるのか?」

「盗賊どもがちょいちょいうろついているようだ。今のところ大きな被害は出ていないが、警戒するに越したことはない。同僚たちに伝えておいてくれ」

「あんたたちがセアレンに入ってから、とんと話を聞かなくなっていたが、やっぱりまだうろついてたか」

「じっと様子をうかがっているんだろう。ここの山から出た銀の半分は、まずはフルベンドラに向かい、そこから船で王都に届けられる。が、残りの半分はフルベンドラでいくつかの商会に買われ、街道を通って国の内外に出回る。お宝を積んだ馬車に遭遇するのを、連中はじっと待ってるんだ」

「……ぞっとしない話だな。悪だくみに頭使うぐらいなら、のんびり野菜でも作りゃいいのに」

「そんなふうに考えられるのは、恵まれた生き方をしてきたってことだな、シガル」


 能天気だとバカにしているのかと思いきや、ギストは大まじめな顔をしている。


「他人のものに手を出す楽さを知った人間は、手段を選ばなくなる。善悪の基準が狂うんだ。人の命すら、自分の生活の糧の一部としか思えなくなる」


 経験から語っているなと、セアレン以外の世界をほとんど知らないシガルですら察する。

 顔を強張らせるシガルの前で、ギストは傭兵仲間たちと冗談を言い合い、またニヤニヤと笑っている。


「――っと、なんか妙なのが来たみたいだぞ」


 ギストとよく組んで警備をしているカイが、のんびりとした口調ながら、険を含んだ視線を街道のほうに向ける。そのときにはすでに、男たちの手は剣の柄にかかっていた。

 シガルは額に手をやって目を凝らす。ずいぶん先に二つの人影が見えた。


「珍しいな。乗合い馬車も使わずに移動するなんて。馬車賃を惜しんだのか、訳ありか……」


 方角からして、フルベンドラからやってきたことになるが、整備されているとはいえ街道を徒歩で移動するのはなかなか危険だ。魔物はほぼ駆除されているが、まったく出ないわけではないし、人の肉を食らう狼や猛禽類はうろついている。追い剥ぎもいないとはいえない。それを避けるために乗合い馬車が運行されているのだ。


「何者なのか、賭けるか?」


 緊張感に欠けることを言ったのは、カイだ。明るい薄茶色の髪をした二十代後半の色男で、見た目を裏切らず、美女を連れ歩く姿を頻繁に見かける。


「んじゃ俺は、ヘマをしてフルベンドラから逃げ出してきた盗人二人組に、銀貨二枚」

「いやいや、もっと色気のある想像をしようぜ。駆け落ちしてきた男女だと見るね、俺は」

「馬車賃をケチっただけのマヌケな商人。うーん、銀貨三枚」


 よほど今日は暇だったのか、傭兵たちは好き勝手口にする。緊張感ねーなと笑っていたギストだが、ふっと眼差しを鋭くした。


「おい、賭けは中止だ。あれは――」


 マズイ、と言い置いて、ギストが一気に駆け出した。


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