夜を翔ける影

sui

夜を翔ける影

森の奥深く、月の光がしんしんと降る夜、一羽のカラスが地に伏していた。翼は折れ、空を失ったその瞳には、星さえ映らなかった。


「なぜ飛べないの?」


カラスが問うと、森の木々がささやいた。


「翼が折れても、魂が空を覚えているなら、君はまた飛べるよ」


その言葉に導かれるように、カラスは眠りについた。夢の中で、空は音をたてて割れ、そこから零れ落ちた光の雫が羽の形をして降ってきた。それは風の精霊たちが織りあげた、新しい翼だった。


目覚めると、夜露に濡れた体に温もりが宿っていた。草の葉が包帯になり、月の光が血を止め、星たちが羽の一本一本を縫い直していた。


「まだ怖い」とカラスは呟いた。


すると、森の中から小さな声がした。


「飛ぶことを忘れたのなら、最初の一歩は跳ぶことからはじめよう」


カラスは枝の先に立ち、目を閉じ、跳んだ。風が鳴った。月が微笑んだ。夜が深くなるほど、空は近くなった。


その夜、ひとひらの黒い影が、銀の空を静かに翔けていった。


もう誰も、そのカラスが傷ついていたことを知らなかった。


――けれど空だけは、彼の名をそっと、風に呼んだ。

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夜を翔ける影 sui @uni003

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