第20話 生存のための回答
ゴーレム。
時に演習用にも使われることもある、自らの意志なき泥人形。
だが、そのサイズと、全身から発散される魔力の圧力は、演習用のそれとは、明らかに次元が違っていた。
身じろぎするたびに、装甲同士が擦れ合い、鼓膜を突き破らんばかりの轟音を響かせる。
その一歩一歩が、局所的な地震となって大地を震わせた。
「皆さん! 自分を守ることだけに専念なさい!」
リゼットが絶叫するのと、ほぼ同時。
ゴーレムが、それ自体が攻城兵器に等しい質量を持つ巨大な岩石の腕を振り上げる。
その動作によって圧縮された空気が、可視化できるほどの衝撃波の予兆を生む。
「――っ、
リゼットが咄嗟に魔力の壁を展開する。
だが、地響きと共に振り下ろされた無慈悲な一撃は、魔力の壁を、まるで薄いガラスのように粉々に砕け散らせた。
「きゃあっ!」
「うわっ!」
突き破った拳が空気を叩き、発生した音速の圧力波が、嵐となって周囲を薙ぎ払う。
助けたばかりの三人の生徒は、木の葉のようにいとも簡単に吹き飛ばされた。
リゼットも体勢を崩すが、咄嗟に受け身を取って難を逃れる。
吹き飛ばされた生徒のうち二人は、太い幹に身体を強打し、ぐったりと動かなくなった。
残る一人も腕から血を流し、苦痛に呻いている。
リゼットの咄嗟の判断が無ければ――被害はもっと大きかっただろう。
「――リゼットさん!」
アリアが叫ぶ。
ゴーレムは、身動きの取れない負傷した生徒へと、その狙いを定めていた。
リゼットもきっと連動してくれる、という確信。アリアの判断は早かった。
「させない……っ!」
アリアは地を蹴った。
狙うのは、ユリウスに教え込まれた、敵の構造的弱点。
巨大な脚部の、関節と思しき僅かな隙間。
そこに、渾身の力を込めた剣を突き立てる。
甲高く、耳障りな金属音。
アリアの剣は、ゴーレムの装甲に浅い傷一つ付けることなく、いとも容易く弾かれた。
手首に走る、骨まで砕けんばかりの痺れ。
刃が立たない、という事実が、一瞬アリアの思考を凍らせる。
「退きなさい、アリア!
体勢を立て直したリゼットが、追撃の魔法を放つ。
十数発の灼熱の火球が、寸分の狂いもなくゴーレムの頭部と胸部に着弾した。
しかし、その威力は、ゴーレムの装甲表面で、線香花火のように虚しく弾け、霧散した。
「そんな……わたくしの魔法が、まったく……!」
リゼットは息を呑んだ。
脳が高速で目の前の現象を解析する。
あれはただの
おそらく表面には幾重にも魔力回路の装飾が施されている。
魔法による攻撃は、エネルギーを無力化され、本体へ届いていないのだろう。
理解した瞬間、全身の血が凍る。
これは、演習という枠組みに存在するべき『敵』ではない。
フィールドに偶発的に出現した、規格外の災害そのものだった。
誰が。いったい何のために?
そこに思考をめぐらす余裕は無かった。
アリアの脳裏に、『全滅』という文字が、赤い警告灯のように明滅した。
ドクン、ドクンと心臓が耳元で鳴り響き、自分の呼吸音がやけに大きく聞こえる。
ゴーレムが動くたびに大地は震え、その圧倒的な質量が、目に見えない圧力となってアリアの全身にのしかかる。
彼女は、吹き飛ばされて負傷した男子生徒を庇うように、ゴーレムとの間に立っていた。
状況は、最悪。
敵は、規格外。
どうする?
どうすれば、この状況を打開できる?
思考を止めるな。
分析を続けろ。
最適解を、導き出せ。
まるで、ユリウスの声が、頭の中で直接響いているかのような錯覚。
――全滅という最悪の結末を回避するためには、時に非情な判断が必要だ。
――誰かを犠牲にしてでも、一人でも多く生き残ることを選択しろ。
いつもの、冷たい声が蘇る。
非情な、しかし、どこまでも合理的な生存戦略。
嫌だ。
そんなこと、できるわけがない。
誰かを、犠牲にするなんて。
でも、このままだと――
この場で、最も生存確率の高い選択肢は何か。
答えは、一つだった。
アリアは、背後のリゼットに叫んだ。
「リゼットさん! あなたが、逃げて!」
「――っ!! 何を馬鹿なことを言っているのですか!?」
リゼットの声は、これまで聞いたことのないほど、怒りに震えていた。
彼女のプライドが、目の前の理不尽な状況と、そしてアリアの言葉を、頑なに拒んでいた。
それでも、アリアの覚悟は揺るがない。
「先生を、呼んできて! あなたの脚なら、誰よりも速く学院に戻れるはず!」
それが、この状況における、唯一の、合理的な判断だった。
自分がここで時間を稼ぎ、リゼットを脱出させる。
負傷者を抱えたままでは、共倒れになるだけだ。
「そんなこと……あなたを見捨てて、逃げろと言うの!?」
リゼットの瞳が、怒りに燃えている。
それは、アリアが初めて見る、彼女の感情の露わな姿だった。
高慢な仮面は剥がれ落ち、そこにあるのは、ただの少女としての恐れと、そして目の前の友人を失うことへの、純粋な拒絶。
「違う!」
アリアは、ゴーレムから視線を外さずに、叫び返した。
「これは、みんなが助かるための、作戦だから!」
みんなが助かるため。
この場では、そう言うしかない。
アリアの心には、別の、もっと強い思いが渦巻いていた。
脳裏に、いくつもの光景が、稲妻のように駆け巡る。
路地裏でパンをくれた、名も知らぬ魔族の女性。
あのとき手を差し伸べてくれたから、今の自分がいる。
だから、自分も誰かを見捨てたくない。
――わたくしの
高慢な言葉とは裏腹に、毎日食事を運び、世話を焼いてくれたリゼット。
食堂で、自分を庇ってくれた、その誇り高い横顔。
交わしたばかりの約束。『見ていてください』――その言葉が、胸を締め付ける。
――勝てないと判断した場合、即座に撤退せよ。
そう、そのとおりだ。
――誰かを犠牲にしてでも、一人でも多く生き残ること。
冷たく言い放つユリウスの横顔。
けれど、その教えが、今、自分たちを生かす唯一の道だと分かっていた。
先生に教わったように、誰かを生かすために、自分が『駒』になる。
父の理想と、先生の現実。
その二つが、今、この場所で、アリアの中でひとつの答えになろうとしていた。
そうだ。
これで、いいんだ。
リゼットの誇り高い未来を、わたしのために、終わらせるわけにはいかない。
「無謀ですわ! あなた一人で、この化け物の相手など……!」
「それでも!」
アリアは、構えた。
震える手で、剣を強く、強く握りしめる。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、恐怖の色はなかった。
ただ、静かな、あまりにも静かな決意の炎が燃えていた。
「諦めないのが、勇者だって、教わったから」
それは、かつて彼女の父親が口にした言葉。
そして、彼女自身が、語った言葉。
だが、今、その言葉は、単なる感情論ではなかった。
みんなを生かすために、たったひとりで絶望に立ち向かうことを『諦めない』。
絶望的な状況下で、彼女が自ら導き出した、たった一つの、戦術的回答だった。
リゼットは、一瞬、言葉を失い、そして、唇を強く、血が滲むほどに噛みしめた。
その瞳から、大粒の涙が溢れるのを、彼女は乱暴に手の甲で拭った。
「……必ず、戻りますわ。必ず……!」
それだけを言い残し、踵を返して森の中を疾走していく。
その背中は、迷いなく、そして、恐ろしいほどの速さで小さくなっていく。
金色の髪が、森の木々の間に消えた。
残されたのは、アリアと、巨大な石の化け物。
ただ、他の生徒を守り続け、ひたすらに時間を稼ぐ。
倒すことができなくとも、倒されることを良しとしない、無様で泥臭い戦闘。
それが――英雄の華やかな闘いとはほど遠い、『勇者の娘』の戦場だった。
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