第18話 盾と矛
ある日、教室の空気は、いつもより少しだけ張り詰めていた。
教壇に立った教師、元騎士団長のレオンハルト・ジル・ヴァイスマンは、柔和な笑みを浮かべながら、重大な発表を告げる。
「――皆さん、かねてより通達していた通り、来週、第一学年次・総合戦術演習を実施します」
フィールド演習。
その単語に、教室がざわめく。
「演習は三人一組のチームで行います。目的は、指定エリア内に隠された三つの宝珠の回収。だが、皆さんも理解している通り、真の評価項目はそこにはありません」
レオンハルトの瞳が、鋭く光る。
「いかにチームとして機能し、遭遇する脅威に対し、効率的な戦闘行動を展開できるか。個の力ではなく、部隊としての生存能力を評価します。チーム分けは、個々の能力値、成長記録、そして協調性――様々なデータを複合的に分析し、こちらで決定させてもらいました」
生徒たちの期待と不安が交錯する中、レオンハルトは淡々とチームの組み合わせを読み上げていく。
そして。
「――第7班。アリア・クレシオン、リゼット・フォン・アルベイン、以上二名」
一瞬の沈黙。
その直後、教室は、どよめきに包まれた。
「なっ……!?」
「二人だけ……!?」
通常三人一組のはずが、アリアとリゼットのチームは二人編成。
それは、明らかに異例で特別扱いだった。
リゼットが、抗議の意味を込めて勢いよく立ち上がる。
「レオンハルト先生! これは、どういうことですの!? チームとして効率的に機能するかが課題であるなら、最低でも三人いることが必要ではありませんか?」
その抗議は、もっともだった。
索敵、攻撃、支援。
他チームと違い、その役割を二人で分担することになる。
それ以上に、この訓練のポイントは、いかに多数で調和のとれた行動がとれるか、ということに尽きるとリゼットは解釈している。
本人たちが意図しなくとも、1+1+1が単純に3にならないことのほうが多いはずだ。
レオンハルトは、困ったように微笑んだ。
「すみません、リゼット嬢。君たち二人の総合評価値が、他の生徒たちよりも突出していると判断された結果です。三人目を加えると、他のチームとの戦力差が開きすぎて、演習そのものが成立しなくなってしまう。これは、君たちに対する、学院からの期待の表れだと思ってください」
それは、誰にも反論のしようがない、完璧な建前だった。
アリアとリゼットは、顔を見合わせる。
その視線には、気まずさと、反発と、そしてほんのわずかな――覚悟のようなものが、混じり合っていた。
放課後。学院の廊下。
待ちきれない、といった様子でチーム分けのことを話すアリアは、明らかに感情が昂っていた。
ユリウスは、演習のチーム分けを聞いても、特に表情を変えない。
「想定通りだ」
「せ、先生……知ってたんですか?」
「生徒数で配分すると、2人のチームが1つできる。誰か休めばもうひとつ。それだけのことだ」
レオンハルトは違う説明をしたかもしれないが――とユリウスは付け加える。
「じゃあ、4人でも良かった、ってことですね?」
「リゼットがいるなら2人でも構わないという判断だ。そこに異論はない」
リゼットの才能は認めている。
そのことがよくわかるひとことだった。
それでもユリウスは、いつもより厳しい口調でアリアに告げる。
「いいか、アリア。演習の目的は、個人の武功を立てることではない。チームとしての生存確率を最大化することだ。リゼットは、高出力の魔力と多彩な攻撃魔法を持つ、極めて優秀な後衛だ。いわば、移動砲台だ」
「移動砲台……」
「そうだ。だが、砲台は、接近されれば脆い。詠唱には時間がかかり、一度動きを止めれば格好の的になる。お前の役割は、その砲台を、あらゆる脅威から守り抜くことだ。敵の接近を許さず、彼女が最高のパフォーマンスを発揮できる状況を作り出す。それが、お前に課せられた最重要タスクだ」
自分が前に出て戦うのではなく、誰かを『守る』ことに徹する。
「わたしに……できるでしょうか……」
不安を口にするアリアに、ユリウスは淡々と事実を告げた。
「お前の持つ、力の源流を見抜く能力。それは、敵の殺気や魔力の流れを、誰よりも早く感知できるということだ。敵の攻撃予測と、味方の防御。模擬戦と違うのは、自分ではなく、他の誰かを守るということだけだ」
そして、ユリウスはアリアの顔をじっと見つめ、
「お前はリゼットを守る。できるな?」
「はい!」
アリアは即答した。
できないはずがない。そう思った。
リゼットのためなら、ユリウス先生が見てくれるなら――なんだってできそうな気がした。
それから、ユリウスは少し、ほんの少しだけ表情を緩めると、
「最近、顔色が少し良くなったな。食事は、生存戦略の基本だ。怠るな」
その言葉に、アリアは、顔を真っ赤にして、しかし、力強く頷いた。
先生は、ちゃんと見てくれている。
その事実が、何よりも彼女を勇気づけた。
廊下の向こうから、長身の影が近づいてくる。
振り向かずとも、その気配の主が誰であるかをユリウスは正確に認識していた。
「ユリウス先生」
穏やかで、人の警戒を解くようなバリトンの声。
元騎士団長、レオンハルト・ジル・ヴァイスマンだった。
気を遣ってか、アリアは「失礼します」とひと言。すぐにその場を外した。
ユリウスがゆっくりと体を向けると、レオンハルトは人好きのする笑みを浮かべていた。
仕立ての良い教師用の制服に包まれた長い手足は、どこか持て余しているかのように優雅な印象を与える。
ユリウスより頭一つ分は高いその視線には、威圧感のかけらもなかった。
「彼女たちなら、きっと素晴らしい化学反応を見せてくれるでしょう。期待していますよ」
その笑顔の奥にある計算を、ユリウスは見逃さない。
ただ、特に隠すことでもない、といった様子で、
「アリア嬢の成長は、停滞している他の生徒たちへの良い刺激になるでしょう」
レオンハルトは、まるで未来を幻視するかのように、穏やかながらも確信に満ちた声で続ける。「彼女のような、いわば『持たざる者』が努力で道を切り拓く姿は、多くの者にとって希望となるはずです。才能だけがすべてではないと、学院全体が学ぶ良い機会になります」
「才能はありますよ。アリアの真似は、誰にでもできる訳じゃない」
ユリウスは、窓の外に視線を移しながら、どこか不機嫌さを滲ませた声で応じた。
「アリア嬢の才能――そうですね。まず目がいい。そして感覚がいい。おそらく、体の動きと自らの意志、その間に通常発生する誤差が小さいんでしょうね。ただ、彼女に魔法の才能が無い、という点も事実です」
「勇者としての才能、ということですか?」
「ですね。勇者とは何なのか、という、そもそもの話にはなってしまいますが……」
レオンハルトは苦笑した。
答が出ない、ということはお互いが分かっている。
勇者とは何か。
ユリウスが思い出すのは、あのときの勇者の言葉だった。
――みんなのために、闘わなければ。
「――時に戦わず、逃げるという選択肢が最も合理的であることを、あの二人にこそ理解して欲しいですがね」
「……ユリウス先生は、ずっとそれですね」
レオンハルトの笑みが、わずかに深まった。「ただ、勇者を目指す者たちに、それを教えるのは酷かもしれません」
それは嘲笑ではなく、共感と、そして諦念が混じり合った複雑な色をしていた。
過酷な戦場の現実を知る者同士、言葉にしなくとも通じる領域がそこにはあった。
「死ぬよりはマシでしょう」
ユリウスの言葉が、静寂に満ちた廊下に低く響く。
一切の装飾を排した、剥き出しの合理性。
レオンハルトは、しばし黙考するように目を伏せる。
「……おっしゃる通りです。絶望的な状況において、どういう行動をとるか。思考を放棄して足を止めることも、ひとかけらの奇跡に期待して無謀な特攻を選択することも――どちらも、我々の生徒たちに選んで欲しくはありません」
その声には、多くの若者の死と挫折を見届けてきたであろう、元騎士団長としての苦い響きが確かに滲んでいた。
だが、彼は顔を上げると、再びいつもの柔和な笑みを浮かべる。
「彼らが、彼女たちが、自らの足で困難を乗り越え、成長していく姿を期待しています。あなたのような方がいてくれて、心強いですよ、ユリウス先生」
「買いかぶりです」
ユリウスは短く応じると、これ以上会話を続ける気はないとばかりに、くるりと背を向けた。
その背中に、レオンハルトが声をかける。
「――すみません、ユリウス先生。そうは言いながら、演習当日、私は少し不在にするんですよ。彼女たちのこと、よく見ておいてください。また、教えてくださいね」
「……」
ユリウスは足を止め、眉間にわずかな皺を寄せたが、振り向くことはなかった。
「騎士団の引継ぎがありまして……」
レオンハルトは、本当に申し訳なさそうにそう付け加えると、優雅な一礼を残して去っていく。
その足音は、静かな廊下に吸い込まれるように遠ざかっていった。
一人残されたユリウスは、夕陽に染まる窓の外を、ただ静かに見つめていた。
面倒な男だ、と内心で毒づく。
舞台は、役者の意図とは関係なく、着々と整えられていく。
そして、もうすぐ、その幕を開けようとしていた。
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