第14話 元騎士団長の忠告
模擬戦という名の公開評価試験が閉幕した。
生徒たちは、それぞれの観測結果を胸に、あるいは露骨に口にしながら日常へ戻る。
その大半が、トーナメント戦を勝ち抜いたリゼット・フォン・アルベインの華やかで圧倒的な魔法戦闘能力を再認識するものだった。
一方で、アリア・クレシオンの不可解な敗北。
それは、ほんの一瞬だけ話題となったものの――敗北者が通常そうであるように、まるで潮が引くように皆の記憶から消えつつあった。
学院内、授業の合間。
穏やかだが芯のある声にユリウスは呼び止められる。
「ユリウス先生、少々よろしいでしょうか」
振り向くと、そこに立っていたのは、この学院の教師の中でも一際、異彩を放つ男だった。
レオンハルト・ジル・ヴァイスマン。
長くしなやかな四肢を優雅な仕立ての教師用制服に包み、柔和な笑みを常に浮かべている。
その彫りの深い、しかしどこか甘さを残した顔立ちは、学院に在籍する女子生徒から絶大な、ある種の信仰にも似た支持を集めていた。
だが、彼の本質は、歴戦の猛者としてのそれだった。
その経歴は、単なる教育者としてこの学院に籍を置くには、あまりに華々しすぎるものだった。
齢三十に至らぬ若さで騎士団の長を務め、魔族との戦闘においても幾多の戦功を上げた経歴は、伊達ではなかった。
その男が何故、輝かしい地位を捨てて教職に就いたのか。
公には『後進の育成に専念するため』とされているが、ユリウスは別の可能性を考えている。
貴族間の権力闘争、あるいは、根深い政治的陰謀に巻き込まれ、実質的に騎士団長の座を追われた。
仮説に信憑性は無いが――前線から退くには早すぎる若さと、その能力の高さは、何かしらの理由が存在することを示唆していた。
過去の教師選抜トーナメント。
レオンハルトはユリウスに後れを取ったが、それが実力のすべてだとはユリウスは思っていない。
それが決勝という舞台であったとしても、合格が決まった後の試合は真剣勝負からはほど遠い余興でしかなかった。
「レオンハルト先生。何か用件ですか」
ユリウスは、感情の起伏を一切排除した声で応じる。
彼の分析では、レオンハルトは典型的な調整型の人間だ。
無用な波風を立てることを嫌い、常に全体の調和を優先する。
その行動原理は、時に、個人の問題を見て見ぬふりをするという、消極的な悪として機能することも少なくない。
「見事な采配でした」
レオンハルトは、感嘆の息を漏らすように言った。「あのアリア・クレシオン嬢が、これほどの成長を遂げるとは。正直、驚きました。一体、どのような指導をされているのですか?」
その問いは、純粋な好奇心というよりは、情報収集を目的とした探りであるとユリウスは判断した。
アリアの戦闘能力向上は、学院全体のパワーバランスに影響を与えかねない。
ここには、貴族出身の生徒も多い。
彼女の能力が特定の教師による個別指導という、前例の少ないメソッドによって引き出されたのであれば、他の教師――特に貴族と親交の深い者にとっては、看過できない事態と言えるだろう。
「特別なことは何も。本人の潜在能力と、努力の結果でしょう」
ユリウスは、単純に事実を述べる。
戦略は授業の延長線上にあるものでしかなく、アリアとの特訓も特に隠してはいない。
あえて付け加えるのであれば、努力の密度はできる限り濃くしている、というくらいだろうか。
ただ。もともと出遅れているアリアにとっては、正直なところそれでも足りない。
「しかし、ですね」
レオンハルトは、困ったように眉を下げた。
「ひとりの生徒を特別扱い――いわば贔屓することは、他の生徒たちに、あまり良い影響を与えないのではないかと、懸念する声も上がっておりまして」
――不合理だな。
ユリウスは思う。
内心、穏やかではなかった。
アリアが『魔王に敗れた勇者の娘』という烙印を押され、他の生徒からあからさまな排斥行為を受けていた際、この男をはじめとする教師陣は、それを黙認した。
問題が表面化することを恐れ、あるいは単に関与することを面倒だと判断し、人材を育成するはずのシステムが機能不全に陥っていたことに他ならない。
その結果として生じたアリアの孤立という状況を棚に上げ、今度は彼女が正当な努力によって実力を付け始めた途端、『贔屓』という言葉でその芽を摘もうとする。
集団の和を乱すという、実に曖昧で、主観的な基準に基づいて。
そんな冷徹な分析とは裏腹に、ユリウスの口から紡がれたのは、当たり障りのない言葉だった。
「彼女の父親とは、以前から多少の面識がありましてね。個人的な縁故です。教師としてではなく、一個人の範囲で相談に乗っているに過ぎません」
その返答は、レオンハルトにとって、想定の範囲内であり――同時に、扱いづらいものだった。
個人の関係性にまで学院が介入するには、相応の理由が必要となる。
「なるほど……そういう事情でしたか。それは、失礼を」
レオンハルトは、あっさりと引き下がる。
その切り替えの速さもまた、全体の調和を優先する彼の特性と言えた。
もっとも、レオンハルト自体も、『ユリウスにひとこと言っておくように』と面倒ごとを押し付けられた可能性も高い。
そういう意味では、彼もまた犠牲者なのだろう。
「いずれにせよ、彼女の成長は喜ばしいことです。近々、合同での大規模なフィールド演習が予定されています。彼女の活躍、期待しています」
「ありがとうございます、レオンハルト先生」
ユリウスは短く応じ、会話を打ち切ろうとした。
敵意をむき出しにしてくれれば、ユリウスとしても応じやすいが――本心がどこにあるのか、目的の掴みづらい会話だった。
去り際に、レオンハルトは思い出したように付け加える。
「ああ、それと、ひとつ。これは純粋な老婆心からなのですが」
彼の表情から、先程までの探るような色が消え、わずかに真摯な憂慮が浮かぶ。
「アリア・クレシオン嬢ですが、時折、ひどく顔色が悪いことがあります。先日の模擬戦の後もそうでした。もしかしたら……栄養状態に問題があるのかもしれません。若い女性にありがちな、過度な食事制限などしていなければ良いのですが」
その忠告は、ユリウスの予測範囲外からの情報だった。
アリアの過去――すべてを失い、自らの力で日々の糧を得ていたという事実が、脳裏をよぎる。
ギルドでの下働き。ネズミの駆除。
その生活が、彼女の身体に、ユリウスがまだ観測しきれていない深刻な影響を及ぼしている可能性。
レオンハルトが優雅な一礼を残して去った後も、ユリウスはしばらく、その場から動かなかった。
レオンハルトの指摘は、ユリウスが漠然と抱いていた懸念に、明確な輪郭を与えるものだった。
顔色が悪い――それは、表面的な兆候に過ぎない。
問題の根は、より深い場所にある可能性が高い。
そういえば、とユリウスは思考を巡らせる。
訓練中、体勢を崩した彼女の腕を掴んだ時。
足を払い、受け身を取り損ねた身体を支えた時。
そして、寮の裏手で泣きじゃくる彼女の頭を、不器用に撫でた時。
その度に感じていた、羽のように頼りない軽さ。
アリアは、小柄な少女としても、あまりに軽すぎる。
戦闘において、質量は絶対的なアドバンテージとなり得る。
運動エネルギーは質量に比例する。
すなわち、同速度で放たれる打撃であっても、体重が重ければ重いほど、その破壊力は増大する。
それは、魔法による身体強化が介在しようとも覆すことのできない、物理法則という名の摂理だ。
ユリウス自身も、大柄な体格とは言えない。
だが、彼はその不利を、常人離れした反応速度と、敵の重心や構造的弱点を的確に見抜く精密な判断力で補っている。
最小限の力で、最大限の効果を上げるための技術体系。
しかし、アリアの質量は、その技術で補える限界値を下回っているのではないか。
彼女の持つ天性の反射神経を活かした一撃の威力を、その絶対的な軽さが減衰させているのではないか。
単に食事が摂れていないという次元の問題ではないのかもしれない。
長年の栄養不足が、消化器官そのものに恒常的な不調をきたしている可能性。
あるいは、精神的なストレスが原因で、そもそも食事が喉を通らない状態にある可能性。
体質的に、胃が弱いということも十分に考えられる。
栄養不足は、集中力、持久力、判断速度、そのすべてを低下させる致命的な要因だ。
今まで、戦闘技術の向上にばかり目を向け、その基盤となる身体のメンテナンスを疎かにしていた。
これは、指導者として、あるいは彼女の保護責任者として、明確な失態であり、修正すべきものだ。
――一度、調査しておく必要がある。
その思考は、憐憫や同情といった非合理な感情からではない。
あくまで、アリア・クレシオンという戦力を最適化し、生存確率を最大化するための、極めて合理的な判断に過ぎなかった。
少なくとも、ユリウス自身は、そう結論付けていた。
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