第2話 勇者の娘と魔族の教師
その日の朝、正面玄関には妙な人だかりができていた。
何かあったのか。非日常的なイベントか。
暇を持て余した生徒と教師の一部が集まるが、ユリウスは、特に興味を惹かれることなく、その脇を通り抜けようとした。
「――元勇者の娘さんらしいぜ」
「魔法の才能が、まったくないんだと」
「父親が魔王に負けてからは家も傾いたんだろう?」
「入学金なんて払えるはずがない」
人だかりの中心に目をやると、一人の少女が、地面に額を擦りつけていた。
土の上であっても、その動きにためらいは無く、むしろ、そうしなければならないという切実さが、細い背中から滲み出ている。
「お願いします! どうか、どうかお願いします!」
途切れ途切れだが、芯のある声が鼓膜を打つ。
周囲の好奇の視線など、彼女の世界には存在しない。
そこにあるのはただ一点、学院の入り口、その奥にあるはずの希望だけだ。
その姿は、痛々しいほどに健気で、そして、どこか、ひどく危うげだった。
こんな往来で頭を下げ続ければ、良からぬ輩に目をつけられかねない。そういう想像力すら、今の彼女からは欠落しているようだった。
非合理の極みだな、とユリウスは思う。
4大陸合同で設立された勇者育成学院。こんなパフォーマンスで、鉄壁の官僚システムは動かない。
システムを知らなければ、当然、ハッキングすることも不可能だ。
「気持ちは分かるが、規則は規則でな」
校長の声だった。
ここの校長はお人好しだ。
人の良さそうな顔に、困惑の色が貼り付いている。
親切心から出てやったのかもしれないが――いずれにせよ断るのなら、意味の無い対応だ。
いかにも困った、という様子を校長は見せる。
没落したとはいえ、相手は勇者の娘だ。勇者の功績も考えれば、気を遣うのも当然、といったところか。
「何か一つでも、卓越した能力があれば、特待生として考慮できなくもないのだが……」
いかにも建前、といった言葉を合図にしたかのように、少女が顔を上げる。
言質を取った。入学できる可能性はある。
栗毛の髪が跳ね上がり、そして、その視線が――まるで運命の赤い糸でも手繰り寄せたかのように、魔王の息子、ユリウスを正確に撃ち抜いていた。
少女は弾かれたように立ち上がり、ユリウスに向かって駆け寄る。迷いなど微塵も感じられない、迅速な動きだった。
状況の把握が誰よりも早い。それは、彼女の特性だった。
「あ! いた! 先生!」
……?
ユリウスの脳内のデータベースに、該当するデータはない。
確信に満ちた動きで、少女はユリウスの腕にまるで溺れる者が掴む藁のように、しかしどこか人懐っこい子犬のようにすがりつく。周囲の視線が、好奇心という名の針となって突き刺さる。
面倒なことこのうえない。
この学園に来てから1年と少し。珍しく、ユリウスの表情はわかりやすかった、と他の教師は後に語る。
「先生! おひさしぶりです! わたし、先生がいるからここに来たんです! またいろいろ教えてください! 今後ともよろしくお願いします!」
それから少女は、周囲には聞こえないよう、ユリウスの耳元で囁く。
その声は、必死さと、どこか子供のような、いたずらっぽさが混じり合っていた。
「――あなた、魔族ですよね?」
ぞわり、とユリウスの背筋に冷たいものが走った。
――勇者の能力。その根幹。魔族と戦うための、本能的な力。
勇者の一族には、他者の力の源流を見抜く、特殊な知覚能力が受け継がれるという。なるほど、それがこれか。
「……だから、お願い。この学校に入れるように、協力して」
少女の声は、脅迫であり、同時に懇願だった。
その瞳は、断れば今にも泣きだしてしまいそうな、そんな危うさを孕んでいた。
リスクとリターンを、ユリウスは瞬時に計算する。
この少女を放置した場合、正体が露見するリスクは計り知れない。それは、ユリウスがここにいる目的の達成を、著しく困難にする。
手を貸す。それが、現時点での最適解。
ユリウスはそう結論づけた。
その思考プロセスには、少女の父親である勇者を自分が殺したことの贖罪が混ざっていたが――本人は、そこに気付いていなかった。
ユリウスは、少女の背後に立つ校長に、そして周囲にも聞こえるようにはっきりと言い切る。
「こいつの実力は保証しますよ、なにしろ勇者の娘ですからね。勇者の娘が勇者を育成する学校に入る。何も問題ないでしょう」
そして続けて、ここは校長だけに聞こえるように小さく、
「……金があれば、いいんですよね?」
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