010


 蒼司はすっかり困惑していた。

 財全ビルディングを訪れたはいいが、面接希望でもないのに待合室に通された挙句、声がかかるどころかスタッフすらも見当たらない。


 ほとんど無音に近い状態で待つこと三十分。

 さすがに痺れを切らした蒼司は、ひとまず面接会場に声をかけることにした。この選択が間違いだったと後悔するのは、ずっと後のことである。


「失礼します──?」


 顔を覗かせた蒼司は、室内の惨状に絶句した。

 床に転がる六つの死体。床はすっかり血の海だ。三人の生存者がいた。男が二人と女が一人だ。横たわった女は死にかけで、傍らに立つ仮面の男が下手人であることは容易に想像できた。とってもバイオレンスな状況である。


 離れた位置では、老齢の男が尻餅をついて失禁している。


 ──…………。


 ドアを開けたら、殺人現場だった。そんなことを言って誰が信じるだろうか。


 慣れない都会で疲れが出たのか。

 蒼司は眉根を寄せてドアを閉める。


「──失礼しました」


 それから、逡巡する。

 幻覚にしては随分血腥い。現実だったら、最悪の光景である。


 結論を出すよりも先に、ドアが勢いよく蹴破られた。

 現れたのは、真っ白な仮面の男だ。スーツを赤黒く染め、あたりに血臭を漂わせている。手に血濡れた拳銃。奥では倒れ伏した女がこちらを凝視して声にならない嗚咽を漏らした。口の動きから察するに、「逃げろ」と言いたいらしい。


 蒼司は眉間の皺を深くして、


「幻覚じゃなかったか……」

「白昼夢にしちゃハードすぎるんじゃねえかい?」

「一応聞くけど、見逃す気は?」


 仮面の男が目を丸くした。

 驚きと呆れが半々といった感じで大仰に首をすくめ、


「お決まりの台詞さ。“見られたからには、逃がすわけにはいかない”」


 銃口を蒼司に向け、引き金を引いた。

 銃声が木霊し、背後の壁、、、、に穴が空く。男が驚愕に目を剥いた。視線の先は拳銃を持つ己の左手だ。男の手首は掴まれ、動きが制限されていた。


 凶器に怯むことなく対処してみせた青年を見つめながら、


「ははっ」


 仮面の男は──乾いた、しかし熱のこもった笑い声をこぼす。

 まるで探していた宝物を見つけた子供のように、あるいは独房の暗闇に差し込んだ月明かりを見上げる罪人のように。仮面の奥の双眸が爛々と光った。


 蒼司はすでに戦闘に集中していた。戦いに明け暮れた三年間のおかげで、蒼司はたとえ寝ている間でも戦闘のオンオフを切り替えられる身体になっている。たとえ向けられたことのない武器でも、その仕組みさえ知っていれば対処は簡単だった。


 蒼司は右手で男を引きながら、胸骨目掛けて前蹴りを放った。「げはっ」と泡を食って男が吹き飛ぶ。蒼司も追って会議室に飛び込んだ。


「あああ殺されるぅううう──って、さささ、さっきのぉ!?」


 失禁していた老人に指差されるが、蒼司はまるで反応しない。

 ただ淡々と、仮面の男との距離を詰めた。夥しい量の血に濡れた床を見て蒼司は、


 ──血の海だ……滑らないように気をつけないと。


 これが殺し合いに身を置き続けた元勇者の思考回路である。およそ十七歳の健全な男子高校生が見せる反応ではない。敵味方を問わず首を斬ると恐れられた狂戦士バーサーカーは表情ひとつ変えずに血の海を踏みつけた。


 なにせ蒼司は自他ともに認める鉄面皮だ。表情筋からは眉間に皺を寄せる以外の機能が失われている。産声を上げた瞬間から分娩室にいた誰よりも冷静だった、とは両親の言葉である。


 一方、蒼司のヤクザキックを受けた男は転がりながら体勢を整え、


「驚いた。武器を奪ってすぐ追撃たぁ、暗殺者よりも暗殺者らしい。こりゃ大器かもな」


 懐から二振りのダガーナイフを取り出す。


 ちなみに拳銃は先の一合で蒼司が奪い取った。なお、蒼司は拳銃の使い方など知らないので、とうに投げ捨てている。やはり信じるものは己の拳とばかり。呆れ返るほどの狂戦士バーサーカーっぷりだ。蛮勇の意味すら違って見えてくる。


「これならどう対処する?」


 男がダガーナイフの一振りを投擲。空を裂いて迫る。蒼司は足を交差させるようにステップを踏み、右方向に半歩ほど体をズラす。機と見た男が二の矢を放った。絶妙なタイミング。ダガーナイフが蒼司の回避方向へと軌道を描く。


 蒼司は体を傾けながら、空中を滑るナイフに手を添える。何食わぬ顔でその持ち手部分を掴むと、続く二本目のダガーナイフを弾いた。


 両者の攻防を横合いから見ていた老人があんぐりと口を開けた。

 これには死にかけの女も愕然と目を見開いた。途切れ途切れの息を一気に吹き返して、


「嘘だろなんだそれ──!?」

「そんなのアリかよ!?」


 驚愕の声が重なった。

 蒼司は何のことだと言いたげに眉間に皺を作る。姉から能面朴念仁と罵られ続けた愚弟の本領発揮である。


 男は溜め息とともに首を横に振り、


「さも当たり前みてえな顔しやがって。最後の最後にとんでもねえやつが来やがった。……ったく、計画が台無しだぜ」


 蒼司が攻勢に移る。男は皮肉っぽくつぶやいて迎撃した。

 ナイフとナイフが噛み合い、甲高い金属音が残響する。すかさず蒼司は蹴りを放ち、男はバックステップして回避。一転して攻勢に出る。蒼司は男の狙いを読み切ったかのように的確に応じる。


 至近距離で紙一重の攻防が繰り広げられる。両者とも一歩も引かない。互いの攻撃に互いの応手を差し合い、まるで綿密に組まれた演舞のごとく攻守が入れ替わっていく。さながら太極図の陰と陽がせめぎ合うように、両者の実力は拮抗して見えた。

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