007


 東京の一等地に建てられた超高層ビル。その最上階は、会議室として使われていた。わざわざ最上階を会議室にしたのは、会議にかこつけて来訪者に自分の権力を誇示するためだろう。これみよがしに有名な絵画作品が飾られているが、悪趣味としか言いようがない。


 そんな会議室には、ひとりの女性が佇んでいた。

 パンツスタイルのスーツを着用し、時代錯誤にも黒鞘の日本刀を佩いている。明治初期を思わせる装いだが、女性の涼しげな顔立ちも相まって、不思議と違和感はない。むしろ怜悧な印象を際立たせ、抜き身の刀のような魅力を存分に発揮させている。


 和泉いずみ志貴しきは、愛刀を撫でながら、派遣命令を下した上司を思い浮かべて歯噛みした。


 ──ったく、天知め。忌々しいっ。


 糊の効いた白のワイシャツ。チェックのジレとパンツスタイルのダークスーツ。デザインは気に入っているが、胸周りとお尻が少しキツい。引き締まった体が魅力的、帯刀するともっといい、だなんて褒めそやされ、半ば押し売りされる格好で購入したセットアップだ。


 昨晩大急ぎで百貨店に飛び込んで誂えたが、まさか派遣先がこんな場所だとは。


「……仮病でも使うべきだったか」


 ことの発端は、嫌味な上司の一言だった。

 呼び出されたときから悪い予感がしていたが、まさか的中するとは思っていなかった。


『薬師寺会長が探索者を雇いたいそうで、今度面接をするのだとか。そこで私に面接官を紹介してくれと依頼が来たわけですが……確か、薬師寺会長とは面識がありましたよね。ちょうどいいので、和泉さんに行ってもらおうと思います』


 開口一番で断ったが、にべもなく却下された。


 上司命令とあらば従わざるを得ないのが社会人の悲しいところだ。まして国家公務員ともなれば、その重責は否が応でも意識させられる。和泉は二の句を継がず、項垂れるように首肯した。


『ちなみに、政府職員として恥ずかしくない格好で行ってくださいね。その、斯波くんをリスペクトしたかのようなワイシャツとスーツでは、人前に出せませんので』


 そして今日、和泉は面接会場である財全ビルに赴いたというわけだ。

 和泉が溜め息を吐いていると、会議室後方のドアが開いた。


「いやぁ、まさか和泉ちゃんが来てくれるとはねぇ!」


 依頼主の登場だ。

 無駄に艶のある肌に薄い頭髪。極めつけはでっぷりと脂の乗った腹。薬師寺やくしじ財全ざいぜんは、明らかに生活習慣病が疑われる体を揺らしてのっそのっそと闊歩する。


「私も意外でした。薬師寺会長とお会いするのは、先日の護衛以来ですね」

「ワシはとっても会いたかったよぉ。和泉ちゃんは美人だからねえ。いやはや、眼福とはこのことだ」


 と、薬師寺はニヤケづらを浮かべた。

 肥え太ったガマガエルの王様のような笑顔に嫌悪感が湧き上がる。が、和泉は努めて平静に、間違っても表情に出すことはしない。軽く会釈して、


「過分なお言葉です。むしろ飾り気のない女で申し訳ありません」


 愛想笑いを浮かべつつ、和泉は内心で唾を吐いた。


 ──私はお前みたいなセクハラ親父になんぞ会いたくなかったがな!


 探索者引退後、今の職務ポストに就いてからは、 要人警護などの仕事が回されることもしばしばあった。そのうちのひとつに、薬師寺財全の護衛任務があったのだ。


 薬師寺はしょうもないセクハラ親父だが、ダンジョン黎明期にアイテム産業で躍り出ると、瞬く間に業績を伸ばした実業家だ。もっとも薬師寺は、裏社会とのつながりから議員の先生方への賄賂まで、悪い噂が絶えない。それでもダンジョン業界最有力の男を失うわけにはいかない、とは上司のありがたいお言葉である。和泉としては、早くくたばれと思うのだが。


「本当に嬉しいねぇ! しかしこうなると、面接希望者なんかより、和泉ちゃんに目がいっちゃうよねえ」


 と、薬師寺は視線で和泉を舐め回す。途端に和泉の目から光が失われた。職場のシンクに溜まった生ゴミを見るかのような目だった。


「チッ」


 和泉は相手に聞こえないよう小さく舌打ちする。


 自身の体が相当に目立つことは自覚している。多少は興味を向けられるのもやむを得まいと諦めているが、こうも無遠慮に見られれば腹も立つ。


 チンッと硬質な音が鳴る。薬師寺の肩がビクッと跳ねた。


「い、和泉ちゃん……?」

「はい? どうかされましたか?」


 和泉は唇に微笑を湛える。

 再び、硬質な音が鳴った。薬師寺の表情が引き攣った。


「冗談だよ、冗談……」

「……? 冗談とは……」

「いや、あの、冗談にしてもよくないよねぇ。違うんだよ、いつもの癖でホラ、ね……?」

「なんのことかわかりかねるのですが……」


 はてと首を傾げる和泉。

 そして三度、硬質な音が鳴る。薬師寺の引き攣った顔がすっかり青ざめる。


 ──なぜ怯える? というか、先ほどからこの音はいったい……?


 発生源を探して、和泉は「あっ」と声を漏らした。音は和泉の腰元から鳴っていた。


「し、失礼しました。つい癖で」


 和泉は赤面して深々と頭を下げる。

 失態だ。いつの間にか、自分は鯉口まで鳴らしていたらしい。


「大変申し訳ない。探索者としてあるまじき行為です」


 特例的に武器の所持を認められている探索者は、その特性から軽率な示威行為をしないよう厳しく取り締まられている。和泉の行動は脅迫に等しく、また探索者免許を剥奪されてもおかしくないものだった。


 しかし当の薬師寺は、恥じ入る和泉をしばし眺めてから、


「いいよ、いいよ。むしろ、今日の面接はその調子で威圧しておいてよ」

「それは……いえ。薬師寺会長がお望みであれば、本日だけはそのように」


 和泉が渋々頷くと、薬師寺はたるんだ顎を揺らして笑う。


「うははっ。あの和泉ちゃんがしおらしくなってるよ! 《斬姫キリヒメ》のファンがビックリしちゃうねえ!」

「……その呼び名はやめてください」


 《斬姫キリヒメ》とは、和泉が現役だった頃の二つ名だ。


 あの頃は若く、二つ名で呼ばれるのも満更ではなかった。だが、歳を取るにつれて、すっかり恥ずかしくなってしまった。いまや探索者を引退した和泉だが、たまに《斬姫》関連の動画を見かけてはどこぞの穴に入りたくなる。


 赤面したまま和泉はこほんと咳払いして、


「第一、もう姫という歳ではありませんので」

「何言ってるのさ。まだ二十七くらいじゃない。いくつになっても、女の子はお姫様としてエスコートされたいものだろぉ? ボクが仲良くしてる女の子もそう言ってたよ」

「……では、人それぞれということにしておいてください」


 薬師寺は風俗通いでも有名だ。とりわけ最近はガールズバーに入れ込んでいるらしい──とは、若くして日本の誰よりも広い情報網を有する上司からの情報である。聞いても役に立たないところがムカつく。


 あるいは、ガールズバーで働けとでも言うのか。

 二十七歳でガールを自称するなんて、烏滸がましいどころか、とんだ恥辱である。どんな大金を積まれたところで……。


 ──……大金かぁ。


 まあ、多少なら? カウンターに立って少し話すくらいなら?

 なんて、割と揺らぐ自分がいることに気づく和泉。我ながら俗物すぎて悲しくなってきた。


「……ふむ?」


 一方、憂い顔で黙り込んだ和泉に薬師寺は片眉を持ち上げた。


 が、鯉口の音が効いたのか余計な口は聞かない。曲がりなりにも企業の舵取り役、リスクマネジメントには心得があったらしい。和泉が虎よりも恐ろしいとわかっている以上、あえて尾を踏むような真似はしなかった。


「それじゃあ、今日はよろしく頼むよ」


 和泉はその一言で我に帰ると、


「……承知しました」


 スッと細められた双眸と、自然体ながらもどこか迫力を感じさせる佇まい。あらゆる雑念を排斥した姿に、まるで神事に臨む神官のごとき静謐さを纏わせている。薄く笑んだ表情には、元A級探索者の凄みを滲ませている。


 薬師寺は満足げな顔で椅子に腰掛ける。それから、傍らの受話器を取った。


「私だ。もう入っていいぞ」


 入室したのは、やせ細ったメガネの男だった。

 年齢は四十代から五十代半ばほど。明らかに気が弱そうで、事実和泉を見る目には若干の怯えがある。薬師寺の秘書を務める男だった。軽く自己紹介を交わしてから、男は受験生を案内するためにすぐ退室した。


 以降は面接官としての業務に従事した。

 もっとも、最近は本業でも面接の真似事をやらされている。意地の悪い質問をぶつけられた受験生の表情の観察は手慣れたものだ。だが、予定時間の半分が経過したところで、和泉は引っかかるものを感じた。


 ──なんだ? この違和感は。


 質問を投げかけながら、和泉は内心で疑念を抱く。

 ここまで、面接はほぼ段取りどおりにつつがなく進んでいる。和泉の経験則からすると、それがおかしいのだ。腕に自信がある探索者だと、一人二人は礼儀を知らない大馬鹿者がいてもおかしくないのだが……。


 今日の受験生と来たら、誰も彼も卒なくこなすものだ。全員同じような表情を貼り付けて、示し合わせたかのように同じフレーズを使われると、いっそ気味が悪い。


 時刻は午後一時四十五分。都合五人目の面接が終わると、薬師寺は受話器を取って「休憩だ」と一方的に宣告する。


 ずいぶん横暴な態度に秘書の苦労が窺い知れる。しかし、和泉としてもここでひと息つけるのは大変ありがたかった。


「どうかねぇ。ワシとしては、あまりパッとしないのだが」

「率直に言わせていただけば、私も同意見です」

「どいつもこいつも覇気がなくていかんねぇ。探索者は命を賭けてなんぼの仕事だろう。あんなので務まるのかね。機械に任せた方がマシだよ。アレの方が遥かに安上がりだしねぇ」

「最近はドローン技術も発達していますから。そのうちに探索者の仕事は取って代わられるかもしれませんね」


 和泉が相槌を打つ。

 薬師寺の言うとおり、探索者は命を賭けた職業だ。最近は華々しい面ばかりが取り沙汰されるが、本質的には、もっと暗く澱んだ世界の職業なのである。それこそ和泉が探索者となった十年前は、戦死を装った殺人が横行していたし、略奪もなんでもござれの犯罪の温床だった。


 劇的に治安が良くなったのは、ダンジョン内への機械設備の導入からだろう。

 ダンジョン内は監視カメラを取り付けたドローンが定期的に巡回し、探索者にはヘルスメーターを兼ねたリストバンド型の通信機器が貸与されている。希望があれば探索者にもドローンが貸与されており、撮影されている映像をリアルタイムで配信すれば、いま流行りのダンジョン配信者の出来上がりだ。


 他にもアンドロイドの技術発展は目覚ましく、特に戦闘用に調整されたものは探索者登録検査でも導入されているほどだ。近い将来、アンドロイドが探索者に代わってダンジョンに潜ると言われても驚きはない。


 薬師寺としては面白くない話だ。なにせ彼の会社はアイテムを専門に担う企業である。利便性の高いアイテムをいくら開発しても、それを使う探索者がいなくなっては水の泡である。


「そんなのはまだ未来さきの話さ。引き続き探索者諸君には頑張ってもらわないと困るよねぇ。和泉ちゃんも天知くんにはよろしく言っといてくれよぉ?」

「えぇ、お伝えします」


 和泉は口角を上げて澄まし顔を作る。

 そのまま薬師寺と他愛ない話をしていると、室外がにわかに騒がしくなった。物々しい音とともに、秘書のヒステリックな声が響いている。はじめは静観していた二人だが、口論は一向に収まらない。


「いったいなんだと言うのかねぇ」

「私が行きます。探索者というのは荒くれ者も大勢いましてね。こういうときこそ本職の出番でしょう」


 見兼ねた和泉が立ち上がったそのときだ。

 会議室後方のドアが開き、後退あとずさるようにして秘書が入ってきた。廊下側を見つめる横顔は蒼白で、すっかり表情を引き攣らせている。


「おい茂部もぶっ。ワシはまだ入れていいとは言っておらんぞ!?」

「か、会長ぉ」


 パスっと軽い音が響いた。

 こちらに顔を向けたまま、秘書が背中から床に倒れた。胸元のシャツが赤く染まっている。二、三度音が鳴り、その度に彼だったものがびくびくと痙攣した。


 撃たれたのだ、、、、、、


 ──っ。


 和泉は即座に手を滑らせた。左手で愛刀の鞘を抑え、親指で鍔を押し出す。鯉口を切り、右手で握った柄を抜き放つ。

 抜刀。白銀の刃が鞘から開放される。


 同時に、ぽかんと口を開けて呆ける薬師寺に檄を飛ばした。


「伏せろっ!」


 サイレンサー付きの銃口が向けられるのとほぼ同時。和泉は愛刀を振り抜いた。


 凶弾が放たれ──しかし直後、和泉の剣閃に斬り裂かれる。


 和泉はチッと舌打ち。狙いが外れた。いや、外された、、、、。和泉の狙いはドア越しに下手人を斬り裂くことだったのだ。


 和泉が返す刀を振り下ろす。

 瞬間、会議室に襲撃者が転がり込んだ。


「お、お前たちは……」

「初めから目的はこれだったんでしょう。道理で、口裏を合わせたかのような台詞ばかり聞くわけだ」


 机上から顔を半分覗かせた薬師寺が驚愕する。

 和泉も驚いてはいたが、こういうことは往々にしてあるものだ。特に黎明期のダンジョンは、ついさっき見知った相手が敵対するなど日常茶飯事だったのだから。


 襲撃者の正体は、面接に来ていた受験生──


「い、今なら全員入社させてやるぞ! ボーナスもつけてやる! どうだ!?」


 まさか全員とは、夢にも思わなかったが。

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