第30話 馬車の中で

トラフィズ領での一件がひと段落ついて私は今馬車の中で揺られている。


レイヴンは私の右斜め前。

窓の外には緑緑と自然が広がり、トラフィズ領でしか味わえない新鮮で爽やかな空気の感じがする。片方の馬車の窓を開けているからよく風が通って来ていて、その風が吹くごとにレイヴンの首あたりまで横に結ってある三つ編みがまるで羽のように軽やかに揺れている。


爽やかだ。…本当に爽やかだ。


…ゴットン…………ゴットン…ゴトッ…


「「………」」


 …5日前から公爵家をでて、2日もかけてトラフィズ領に向かった。


誤算だったのは、公爵家近くの街で借りた馬車の乗り心地が最悪だったことだ。


少し硬いだけの木箱に薄いざらついた赤布を縫い付けた席。


外装も貴族の馬車らしく赤を基調とし、金色をアクセントとした配色ではあるものの、色が褪せ、禿げてしまっているところもあり全く貴族の威厳らしいものはない。


過保護でお喋りな両親にトラフィズ領で何が起きているのかなどと細々と話をしていたら出発するのが一週間後になってしまうことが目に見えていたので、ことを急いでいた私は両親に内緒で(正確にいうと置き手紙を残して)公爵家を発った。


そのため馬車は近くの市場から借りることになったわけなのだが、どの車も私の毎日使う羽根ペン一本で50回は乗れるほどの安価なものばかりだった。


好奇心から一瞬ここらで1番安く貸出をしていた店に入ろうとしたのだが、レイヴンに頑なに止められた。


……国民の日常生活を体験するくらい、いいじゃない、と文句を言うも、聞く耳もたず。

有無を言わさずこの市場では1番値の張る馬車を借りた。



しかし、この後私はレイヴンに非常に感謝することとなった。


貸し出された馬車は、(一応)貴族の乗るものとして欠けているものはないものの、使い込まれたものなのか安定装置がうまく機能しておらず少し石に当たっただけで中が大きく揺れる。


今まで、両親の作ったオーダーメイドの馬車に何も考えず、乗ってきていたので市場を出発して30分経った時点で吐き気がした。


あの時は本当に辛かった。

しかもその馬車に2日も揺られることになったのだから、私が足を滑らせるのも必然なのである。


ここでよく言っておくが、慣れない馬車+長時間乗車=足を踏み外す の方程式は絶対なのだ。


別に、今だに大勢の前で馬車から足を滑らせたことを恥ずかしがっているわけでは決して、決してないのだが、そんなことを黄昏ていなければ一瞬で淑女のプライドの崩れ落ちる事件が起きてしまいそうなほど揺れる馬車の中で考えていた。


というのも、先ほどトラフィズ邸を発っておよそ1時間、行きで2日も乗っていたこともあって流石に慣れただろうと調子に乗っていると案の定また吐き気を催した。


先ほど食べたトラフィズ邸での昼食が出てきてしまいそうなほど。


舌の両縁から妙に多く唾液が出てくるものだから流石にまずいと思い、とりあえずどうにか気を逸らそうと青々としげる自然を鑑賞したり、過去の恥ずかしエピソードを回想することで気を紛らわしていたのだが…


もう限界が来そうだった。


そんな時馬のヒヒーンという雄叫びと共に馬車が急に止まる。


馬車の中は大きく揺れた。


もう、ほんとに、何がとは言わないが完全に出そうだったが根気で我慢した。


レイヴンが外を警戒しながら慎重な声で前に座る御者に声をかける。


「…何があった?」

そんなレイヴンの声とは裏腹に年老いた御者のあっけらかんな声が聞こえた。

「いやはや、うさぎが道を飛び出してきてしまいまして、申し訳ありません。」


 横の窓から少し道路を覗くと小さなうさぎが道のど真ん中でのんびりと草を食べていた。


「はぁ、全く…」


 レイヴンはやや呆れ顔で、さっさと気づいて徐行運転をしておけと御者に釘を刺す。

 馬を落ち着け次第すぐに出発するよう指示も出すが、私としてはもう少しゆっくり準備をしていただきたい。


ということでゆっくりでいい、と伝えたところ何故か逆に張り切ってものの数秒で興奮していた馬達を大人しくさせてしまった。

 

御者がうさぎを追い払った後、私の願いも虚しくまた馬車が揺れ始める。


 レイヴンに言えば早いのだろうが、淑女として自分の弱さを他人に見せてはならない(と母に教わった)。


 というわけで、今私はどんなに体調が悪かろうとも完璧な令嬢の笑みを浮かべて姿勢正しく座っているわけだが…正直猫背にさせて欲しい、あわよくば横になりたい…ということでひた隠しにしている自分の体調が悪いことをレイヴンがものすごくいい感じに察してくれて私に横になることを強制させ、私が嫌がりつつも仕方なく横になる、というような展開になることを願いレイヴンの瞳を見つめた。


 私の視線に気づいたレイヴンが口を開いた――


 ――「お嬢様……

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