第10話 シャンデリア事件(5)

――もう僕の声は父上に届かなくなったと思った。

何を言っても、何をしても嫌われる。結局僕のことなんて、ただの後継者の予備スペアとしか思っていなかったんだ。


 ある日突然、今までいやと言うほど僕にかまってきて、ほしいものを毎日聞いてくる厄介な親が僕の部屋に来なくなった。

 

最初の3日は勉強の邪魔が入らず、とても快適だった。


それから一週間、少し気が散り始めつつも、父上はおそらく仕事が忙しいのだろうと、割り切って勉強に集中した。


…1ヶ月が経った頃。父上がディナーに兄上を呼んで楽しそうに話しているのを見た。

「ウゲェ、父さん。俺、スターフルーツだっけ?これ苦手なんだよねー。こんなの食べるの平民ぐらいっしょ。」

「おぉ、そうかそうか、すまなかったな。お前はとにかく肉だもんな。」

「ちょっとー!」


 …僕は呼ばれていなかった。

 

…僕がスターフルーツが大好きだったから、父上もそれに気づいて、いつも食卓に出してもらっていたが、それから食卓にスターフルーツが出ることは無くなった。


2ヶ月が経った頃、父上が部屋にやってきて、僕に怒鳴った。

『なぜ、お前は私の侯爵の座にそこまで固執する?!何て意地汚いんだ!』


……父上がこんなことを言うはずがない!これはおそらく…父上の後ろにケラケラと笑いながら経っている兄を思い切り睨みつけた。


『ほぉら、怖い怖い。父さん、俺に対してもあんな乱暴な態度をとってくるんです…!』

『あぁ!大丈夫か?!キース…、おい、この意地汚いウィジー!なんて事をしてくれたんだ!このっ!』

 

バシッッッッ!!


 …今まで、侯爵家の息子として相応しくない振る舞いをして、怒られたことはあったけれど、杖で頭を思い切り殴られたことはなかった。


それから父上は私に毎日のように暴力を振るうようになった。お陰で、体はもうボロボロ。もう耐えきれないと、1番信頼している使用人に父上のこと、傷のこと、全てを話した。


しかし次の日、珍しくディナーに呼ばれたかと思えば、その使用人は兄のそばに控えていた。


『なぁ、ウィジー。お前、この男にお前のされたこと、全部、ぜーんぶ言ったんだってなぁ!辛かったんだなぁ!誰かに言えば助かると思ったんだよなぁ!?ところがどっこい!こいつは俺側の使用人でーす!!』

その時から使用人たちと関わるのも恐ろしくなってしまった。


今日も、アルグランデ公爵家の天才愛娘が来ると言うから、どんなものかと思えば、こんな薄っぺらい皮一枚に絆されるような奴だった。


結局のところ、ヒトっていうのは一回相手に対してある印象を持ってしまえば、その印象が相手の全てになる。どれだけ信頼していて、優しいやつだと思っていても、本当は裏切り者だった。

あのお花畑娘の親も、あの娘は世界一賢いだとか、最高に可愛いだとか、そういう印象を持ってしまった時点で、あの女は、その称号バリアのおかげで、何をしても、あの娘は世界一賢いから、それくらいしょうがない、の一言で済まされてしまう。


所詮この世界は、愛されたもの勝ち、信じた者負け。そんな世界なんだ…


でも、父上ならいつか分かってくださる、そう信じて、今まで暴力に耐えながら説得し続けた。



――けれど結局は、

 『えぇい!煩わしい!私の言うことが聞けないと言うのか…!』


 …これだ。…このやりとり何百回したっけかな…


 あーーーーーーーーーー。めんどくさ。もうこいつら殺しちゃおうかな、


いや、もういい。



殺してやろう。



 僕はついていた片膝をあげ、近くにあった花瓶を思いっきり地面に叩きつけた。


あまりの解放感に、シャンデリアの吊るされた天井を見上げる。

あー。いい音。これで鋭くとんがったガラスの破片で…思い切り首を掻っ切ってやろう…そう思い、

飛び散った破片を見た瞬間、私は眼を見張った。

「な、なんだ!?なんで、ガラスの端が丸みを帯びている…!」

視界の中に赤い靴がちらと見える。見上げると、そこにはあのお花畑女がいた。

 ?!なぜ、彼女がここに…?いや、それより、このおかしなガラスの破片…彼女が…?

「えぇ。そうです。私の側使えにお願いして、全てのガラスの破片をヤスリで、断面をなめらかにさせてもらったわ。」


「なっ!……」

 あの天井を見上げた一瞬で?!


 「いぇーい。」

 なんかあの男ピースしてるし!


 なんなんだ!?一体…あぁ、思考がこんがらがる!


「ウィジー様!お気を確かに!薬が効き始めてしまっています!」


 …薬?効き始めている…?なんのことだ…?


「お、おま、いえあなた様は…ニフェル・アルグランデ嬢!?い、いらしてたのですか?」

「…えぇ。と言ってもこちらに伺うことは3日前に早馬でお伝えしたはずですが。」

「え?そうでしたかな……。」


そう言いながら、髪をクシャクシャと恥じらいもなく掻く父上の姿はもはや以前の威厳ある姿を失って、今ではただの汚らしい老けた老人となっていた。


そんな男に彼女はそっと歩み寄り天使のような笑顔を浮かべて言った。

「えぇ。そうなのです。トラフィズ侯爵。…この件が終わりましたらすぐにでも治療を開始いたします。」

「は、はぁ。」


先程まで、僕に向かってあれだけ怒鳴りつけていた父上が急に萎んだように大人しくなった。


それにしても、先ほどから何を言っているんだ…!状況が把握しきれない…

兄上は父上の後ろで呆然としているし…


 …ニフェル嬢は父上を近くの椅子に座らせて、こう続けた。




「これより、キース・トラフィズによるトラフィズ家増加事件とその根拠について、お話しいたします。よろしいですね?」



 少し薄気味悪い笑みを浮かべながら、彼女は一瞬にしてこの場の支配者となった。

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