いつもの日常のはずだ




 学生寮のマンションから出る足取りに、何故かふわふわした気分だった。

 このそわそわして落ち着かない精神状態だったからかもしれない。

 目を瞑っていてもいけるはずの通学路を三回ぐらい間違えかけた。


「マジでなんかのんじまったかな……」


 言葉にできない違和感を抱えたまま辿り着いた校門。


 そこには、王導おうどう武学院と刻まれた看板が掲げられていた。


 翔騎が今立っている場所は日本の本土ではない。

 日本本土より数十キロ離れた海の上、

 桜煌。

 本土から数十キロ離れた海里の上に建造された人工島の名称である。

 人口数は生徒だけでも100万人、関係者及び出入りする業者を含めればさらに膨れ上がる文字通りの大都市。


 そこは高い霊力オドを保有する人間が集められた


 専門的な教育を必要とし、潜在的な危険性から本土から数十キロ離れた海域に創られた人工島。

 そこに建てられた霊力を有する人間を教育する専門機関、それが武学院。

 その中でも王導武学院は数十でもある武学院の中でも、設立200百年を超える格式ある武学院だ。

 魔力マナに隷属し、魔術を操る魔女共の砂之派サノバウィッチアカデミー。

 勝てばいい、強さのみしか誇るものがない羅生共の五道門ごどうもんしゃ

 この二つと並べて三大桜道と呼ばれていた名門学校である。


 そこに通えている時点で織部翔騎は間違いなく選ばれしものだ。


 例え保有霊力のランクが入学最低基準のEランクであっても!

 例え合格したのが補欠合格で、実技難ありでテスト前の山勘が当たっての筆記優秀での繰り上げ合格だったとしても!

 そのせいでもらえる奨学金が最低ランクで、週に三回は放課後バイトに明け暮れなければ通えないとしても!


 そう、例え王導武学院が今や「誰もが王たる道を歩む資格があり、ここはその学び舎である」という理念と共に幅広く、人種選別などもせずに誰でも通えるようなガバガバ学校だったのだとしても!

 織部翔騎は選ばれた学生なのだ!

 そう翔騎は信じてる! 信じないとやってられなかった。

 決して他にも学校とか全体的な人口数が増えたせいで、レベルが高い学院も多くそちらに人材を座れるから、せめて人数だけは増やしとこ、じゃないと運営費がががというみたいな理由ではない。

 はずなのだ! いや本当に、例え滑り止めに受けて入っただけではないのだ。

 うん、きっとそう。


「ふぅ……」


 校門前で挙動不審に息荒く呼吸する翔騎に、怪しむような目線で遠巻きに避けながら学生たちが登校していく。


「よし、いくか……なんで登校するだけでこんな緊張してんだ?」


 ちゃんと胸ポケットにいれたはずの定期入れと学生証を再確認して、翔騎も遅れて校門をくぐっていく。

 ひどく言葉にならない感覚を抱いたままで。


 それが懐かしいという郷愁感だというのを、この時の彼は言語化出来なかった。









 ◆




 幅広い人種。

 敷居の低い入学条件。

 それが生み出すものはなんだろうか。


「ぶへ~~」


 そう、低俗化である。

 バタついた登校からうっかり自分の席を思い出せずに、名前も憶えていない学友にきいて確認する作業を挟んでしまったが無事に三限の授業を乗り越えた。

 王武の教育方針は文武両道を掲げている。

 だから勇士ブレイブ……心身を磨き上げ、となるための訓練だけではなく、一般的な学科授業もある。

 そして、その学業のレベルは本土学校と比べても平均的。

 まあ成績が悪いほうではない翔騎でも赤点はそんなに取ることもないといえばわかるだろうか。


(といってもかなり頭がぼやぼやしてるのか、忘れてることが多かったな)


 いざ授業を受けたと思ったら、教師の言葉にかなり首をひねりまくっていたのが翔騎である。

 頭がいきなり悪くなったわけじゃない。

 ただ授業をどこまで受けていたのかまるで思い出せない、といったところだろうか。

 慌てて自分の書いたはずであろうノートと教科書を見比べながら、何を学んでいたのか確認に追われる時間だった。


(先生がのんびり授業していてくれてよかったぜ)


 可聴域の違う獣人種や妖血種の生徒のためだろう、一字一句はっきりとした発音と矯正された文字の黒板の記入は見やすい。

 そしてその言葉はゆっくりで、とても聞き取りやすかった。

 おかげでなんとか触りだけでも理解が出来たし、ノートへの書き写しも間に合った。


(赤点だけは死んでも回避せねば)


 休みの日のバイトは労働時間に比例して稼ぎがいいのである。

 他の成績優秀な勇士候補なら野試合なり、スキルを利用して稼ぐ手筈があるだろうが、ファイターとエンハンサー。

 凡人でもなれるし、努力すれば習得できる基本クラス二つしか憶えていない翔騎にそんな手はない。

 指導者との契約も出来ていない翔騎にとっては、一つでも多く素振りと型稽古をするしかない。


(もうちょっと強くなれれば、”穴”潜りで熟練でも出来んだろうが)


 かつて挑んだ修練。

 その苦い思い出に頭を掻いていたところで、ふと周りが妙に静かだった。


 教室の中には人がいなかった。

 織部と教室から出ようとするクラスメイトが一人だけだった。


「え?」


 ゾワッと鳥肌が立った、焦燥感と共に立ち上がる。

 椅子が転げ倒れて、音を立てた。


「なんだ、なんだ?」


 その音に、教室から出ようとしていたクラスメイトが振り返る。

 鳥の頭をした彼のつぶらな目がびっくりしてパチクリしている。


「お、おい。みんなは?! どこへ?!」


「どこへって」


「どこに消えた?!」


「いや、実技だからグランドに行ってんだろ」


「え」


「さっさと着替えないと、遅刻すんぞ」


 んじゃ先に行ってるからな、と去っていくクラスメイト。

 コケーという鳴き声が少し遠くから聞こえた。


「……実技っていうと」


 息を吐く。

 息を吸う。

 しばし慌てた頭を冷ますように、記憶を思い出して。



「あ、ジャージに着替えないとだめじゃねえか。あと剣!」



 翔騎は慌てて教室から走り出した。




 窓から跳び出して。



 音もなく、数メートル下のアスファルトの上へと着地し、更衣室へと急いで走っていた。

 その異常性を。

 彼はその時気付かなかった。



 あまりにも当たり前のことだと認識していたから。


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