第10話 商会への依頼

「ミラベル、いつからリュミエに戻ったんだ?」


 応接室のドアを開けるなりかけられた言葉に、ミラベルは思わずクスリと笑いを漏らした。


「あなたのことだからすでに知っていたのでは?」


 ミラベルの返答に肩をすくめたアルバートが向かいのソファに腰を下ろす。


 あまり公にはされていないがアルバート商会は情報も取り扱っている。商会の理念の一つに『求められるものを提供せよ』という考えがあるからか、範囲を狭めることなくありとあらゆる商品を提示できるのは強みの一つだった。


「久しぶりだな。学園を卒業した時以来だから五年ぶりか……」


 商会長のテオ・アルバートはミラベルにとって学園時代の大事な友人だ。

 ボルドー色の髪の毛は肩よりも長く、それを右側で緩く結んで前に流している。明るめの金茶色の瞳にはいつでも理知的な光が宿り、それでいて商売人らしく口は軽やかに言葉を紡ぐ。


(これで侯爵令息だというのだから、かなりの変わり者よね)


 アルバートは侯爵家の三男だ。多くの貴族の例に漏れず、アルバート家も長子が家を継ぎ次男がそのスペアの立場に立っている。対して三男のテオは家へ身を捧げる義務はないが、同時に面倒を見てもらうこともできないことから早い内に自身で身を立てる方法を考えていた。


 それこそ学園に在学中の頃から。


「変わらないわね」

「そうか? ちゃんと相応に年をとっていると思うぞ」


 アルバートはやろうと思えば貴族令息たる態度を取ることができる。しかしたいていは平民と見間違うくらい気軽な言動に終始し、それは学生時代から今も変わらないのだろう。

 この店だけでなく平民向けの店も同時に経営していることを考えても、おそらく彼は違和感なく平民の中にも溶け込んでいるはずだ。


「ヒュラスになった時から、俺にはもう連絡をくれることはないだろうと思っていたが……リュミエに戻ったってことは何か手助けが必要か?」


 ソファに腰を下ろした状態で肩幅に開いた膝に肘をつき、組んだ両手の上に顎を乗せたアルバートがこちらを見つめてくる。鋭い視線が強い力でもってミラベルを射抜いた。


「同窓生だったことを理由に都合良くお願いをするなんて虫の良い話だと言われることは覚悟しているわ。でもどうしても力を貸して欲しいの」


 実家に頼れず、もはや伯爵家の者として名ばかりのミラベルは他の令嬢や婦人を頼ることもできない。彼女たちは狭い貴族社会の中で生きており、貴族の女性はそのレールを降りようとしているミラベルにとって頼れる相手ではなかったからだ。


「……いいだろう。お前が望むのであれば俺はいつだってその願いを聞き届けると決めているからな」


 ニコリ、というよりもニヤリと笑んでアルバートはそう続けた。


「あなたにお願いしたいことは二つあるわ」


 そう言うとミラベルは横に置いてあったトランクをテーブルの上に乗せて蓋を開ける。そして中からダイヤのネックレスとイヤリングの一揃いが入ったジュエリーケースを取り出すとトランクをどけてテーブルの上にそれを載せた。


「一つは、このジュエリーセットを担保にお金を貸して欲しいの」

「これはたしか母親の形見だろう?」

「ええそうよ。だから売りたくはないの。でもお金が必要だからこれを担保として貸し付けをして欲しいのよ」


 ミラベルの言葉に、アルバートは手袋をつけるとルーペを片手にジュエリーを丁寧に検分していく。

 

「もしこの宝石を他の店に持って行ったとして、足元を見られるか下手したら担保のはずが売却されてしまうかもしれないわ」


 きちんと契約を交わしたとしても貴族相手の店では女性であるミラベルは侮られる可能性が高い。かといって平民相手の店に持ち込んだら貸付金の金額を渋られるのが落ちだ。それに宝石を質に入れてまで金銭を必要とする女なんて、海千山千の金貸し業者にとってはいい鴨でしかないだろう。


「あなたはそんなことをしないでしょう? そのジュエリーは残された唯一の形見。何があっても売却はしたくないのよ」


 それでも、当面生活するだけの資金を得るためには担保にするのも仕方ない。


「リカルド卿は慰謝料も持たせずに追い出したのか?」


 どことなく不機嫌な声でアルバートが言う。彼の目線はジュエリーに当てられたままだけれど醸し出す雰囲気が剣呑になった。


「後でリュミエ家に連絡すると言っていたから払う気はあるのではないかしら? でも今はそれどころではないのでしょうね」

「リュミエ家に? 今のリュミエ家へミラベルが戻るのは難しいだろう?」


 そうだ。すでに叔父の一家が継いでいるかつての実家に出戻ることなど外聞が良いものではない。

 そもそもがエスペランサ王国では離婚する夫婦がとても少なかった。それはどの夫婦も仲が良いからというわけではなく、たとえ相手に愛人がいてもお互い目を瞑ることが暗黙の了解となっているからだ。

 多くの貴族が家と家の都合で政略結婚をするせいもあり、夫婦の義務として子を成した後はお互い自由に過ごしている例が多い。

 夫と死別し且つ子を持たない女性が実家に戻ることはあるが、それは稀な例であり、ミラベルのようにすでに両親がいない場合は当てはまらなかった。


(そういう意味ではルドヴィックとマリエッタは珍しい例なのでしょうね。同様にリカルドと私も。リカルドはどうしてもマリエッタと結ばれたかったのだから私と別れるのもわかるけれど、ルドヴィックはどうして離婚したのかしら?)


 そんなことを思いながら、ミラベルは言葉を続けた。


「リュミエ家に戻れないのはその通りよ。それに私はリカルドから一銭ももらいたくはないの」


 検分したアクセサリーを丁寧にケースへ収めていたアルバートが驚いたように視線を上げる。


「どういう意味だ?」

「私はリカルドとはもう会いたくもないし、婚姻期間の対価として金銭をもらうのも嫌なのよ」


 それはただの意地かもしれなかった。強情を張っている自覚はある。


 それでも。


 ミラベルの気持ちを利用して五年という時間を奪ったリカルドが、慰謝料を払うことで楽になるのが許せない。そしてお金を受け取ることによってミラベルの気持ちが金銭に換算されてしまうのも嫌だった。


 リカルドはミラベルへの自身の行動が褒められたことではないことを理解している。それでも慰謝料を払えば対外的には問題がなくなるだろう。そしてミラベルにはそうまでして夫が別れたがった夫人というレッテルがつくのだ。


 同じ離婚であっても半年を待ってすぐに再婚するであろうマリエッタは、ミラベルとは逆でそれほどに婚姻を望まれた女性と言われるに違いない。


 どこまでいっても貴族女性の価値なんて男性の行動に影響されるものなのだ。


「リカルドから施しをもらいたくないの」

「それは施しではなく義務であり権利だ。離婚した場合貴族の女性は一人で生活していくことができない。だからこそ、別れる時に夫は義務としてある程度の資産を渡すし女性はそれを受け取る権利があるのだろう?」

「それは理想の話よ」


 よほど円満に別れない限りそんな義務と権利なんて守られない。それがわかっているからこそ女性たちは不満があっても離婚しないのだから。


「……俺が口を出す話ではないとわかってはいるが……。まぁいい。その話は一先ず置いておこう」


 何かを言いかけたアルバートは、しかしその言葉を呑み込むと話を切り替えた。


「で、俺にお願いしたいというもう一つは何だ?」

「それは……」


 もう一つの願いもある意味アルバートにしか頼めない内容だ。そしてその願いが彼に反対されるであろうこともわかっていた。

 それでも、ミラベルはここで引くことはできない。これからの自分のためにも。

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