第5章:ルーヴルの封印、ピラミッドに眠るエリアーヌの挑戦

「審判は、迷宮の中心で待つ。調和の真実のみが、封印を解くであろう」


 ――マザラン図書館の古書に残された、エリアーヌ・ド・ヴァロワからの謎めいたメッセージ。ソフィーとクロエは、その言葉の意味を解き明かすため、再び頭を悩ませていた。


「迷宮……ねえ」


 クロエは、モンマルトルのアパルトマンの窓から、パリの夜景を眺めながら呟いた。


「パリには、迷宮みたいな場所なら、いくらでもあるわ。地下墓地カタコンベ、古い下水道、あるいは……入り組んだ路地そのものが、迷宮と言えるかもしれないわね」


「でも、エリアーヌ先生が言う『迷宮』は、もっと象徴的な意味を持っているような気がするの」


 ソフィーは、淹れたてのカモミールティーを飲みながら、考え込んでいた。


「彼女の研究ノートや、THC理論の構造そのものが、ある種の『知的迷宮』として設計されているとしたら……? そして、その中心に、彼女が隠した『審判』、つまり、彼女の失踪の真相や、THC理論の最終的な結論が、待っているとしたら……?」


 ソフィーの脳裏に、ふと、ある場所のイメージが浮かんだ。


 それは、パリで最も有名で、そして最も巨大な「迷宮」――ルーヴル美術館だった。無数の展示室、複雑な回廊、そして地下に広がる広大な収蔵庫。エリアーヌが、もし何かを隠すとしたら、これほど格好の場所はないかもしれない。


「……クロエ、もしかしたら……ルーヴル美術館かもしれないわ」


「ルーヴル? 確かに、あそこなら、世界中のどんな宝物だって隠せそうだけど……でも、どうしてルーヴルなの?」


「エリアーヌ先生は、THC理論の中で、調というようなことを、示唆していたの。特に、ルネサンス期の絵画や、古代エジプトの幾何学模様に、彼女は強い関心を持っていたみたい。そして……ルーヴルには、その両方が、膨大に収蔵されているわ」


 ソフィーの仮説は、大胆だったが、クロエもまた、そこに何かを感じ取ったようだった。二人は、翌日、早速ルーヴル美術館へと向かった。


 広大なルーヴル美術館は、まさに知と美の迷宮だった。ソフィーとクロエは、エリアーヌが残した「蛇行アルゴリズム」の完成形と、THC理論の数式を手がかりに、館内を探索し始めた。それは、まるで「ダ・ヴィンチ・コード」のような、スリリングな謎解きゲームの始まりだった。


 彼女たちは、まず、ルネサンス絵画のセクションを訪れた。レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」や、ラファエロの聖母子像。それらの作品の構図や色彩の中に、THC理論の「調和のコード」が隠されているのではないか、と考えたのだ。しかし、手がかりは見つからない。


 次に、古代エジプト美術のセクションへ。ヒエログリフの刻まれた石碑、黄金のマスク、そしてミイラ。ここにも、エリアーヌが興味を示しそうな、幾何学的なパターンや、宇宙的なシンボルが溢れていた。しかし、やはり、決定的なものは見つからなかった。


 時間が過ぎるにつれて、焦りと疲労が、二人を襲い始めた。ルーヴルは、あまりにも広大すぎる。闇雲に探しても、埒が明かない。


「……やっぱり、私たちの考えすぎだったのかしら……」


 クロエが、弱音を吐きかけた、その時だった。


「待って、クロエ……!」


 ソフィーが、ある展示ケースの前で、足を止めた。


「……これ……見て……!」


 そこにあったのは、古代ギリシャの、数学的なパズル玩具の一種だった。「アルキメデスの箱」あるいは「ストマキオン」と呼ばれる、正方形を14個の多角形に分割し、それらを組み合わせて様々な形を作る、一種のタングラムのようなものだ。そして、その展示ケースの解説パネルの隅に、エリアーヌのものと思われる、小さな、しかし見慣れた記号が、鉛筆で描き加えられていたのだ。それは、THC理論の中で、宇宙間の「接続点」を示す、特殊なシンボルだった。


「……エリアーヌ先生は、ここに、何か手がかりを残したんだわ……!」


 ソフィーは、ストマキオンの複雑な分割パターンと、エリアーヌの「蛇行アルゴリズム」の構造を、必死に見比べた。そして、ついに、ある驚くべき対応関係を見つけ出した。ストマキオンの14個のピースの組み合わせ方が、アルゴリズムの特定のステップと、一対一で対応しているのだ! そして、その対応関係に従って、ピースを特定の順番で並べ替えると……そこには、フランス語の、一つの単語が浮かび上がってきた。


「“Pyramide”――ピラミッド……?」


 ピラミッド。それは、ルーヴル美術館の、最も象徴的な建造物。ガラスのピラミッド。そして、その地下には……。


「……クロエ、急いで! ルーヴルの地下よ! あそこには、中世の城壁の遺跡が、そのまま残されているはずだわ! そこが、エリアーヌ先生の言う、『迷宮の中心』なのかもしれない!」


 二人は、閉館時間が迫る中、息を切らしながら、ルーヴルの地下へと続く階段を駆け下りた。薄暗い照明に照らされた、古い石造りの通路。そこは、まるで別世界のような、静かで、そして不気味な雰囲気に包まれていた。


 そして、迷路のように入り組んだ通路の、一番奥まった場所に、彼女たちは、それを見つけた。


 壁に埋め込まれた、小さな金属製の箱。そして、その箱の表面には、複雑なダイヤル式の錠前が取り付けられていた。その錠前には、数字ではなく、THC理論で使われる、特殊な数学記号が刻まれていたのだ。


「……これが、『封印』……!」ソフィーは、ゴクリと唾を飲んだ。「そして、この錠前を解く鍵は……『調和の真実』……つまり、THC理論の、最終的な結論なのね……!」


 しかし、THC理論の最終的な結論とは、一体何なのだろうか? エリアーヌは、それを、どこかに書き残しているのだろうか? それとも、ソフィー自身が、それを見つけ出さなければならないというのだろうか?


 ルーヴルの迷宮の奥深くで、ソフィーは、エリアーヌ・ド・ヴァロワからの、最後の、そして最大の挑戦状を、突きつけられたのだった。その挑戦に、彼女は、どう応えるのだろうか。

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