第四節 燃えろ燃えろ、ぜんぶ燃えてしまえ
第四節 燃えろ燃えろ、ぜんぶ燃えてしまえ
東京都港区三田――。
タワーマンションのペントハウスに帰ってきた城戸は、すでに午前四時を廻っていることを認識する。
都内を支配したような眺望には、新たな一日が始まる曙光が差していた。
その鋭い光に目を細め、ボタンを操作してカーテンを閉めた。
室内に暗闇が満ちるなり、サイドボードに並んでいたウイスキーボトルを手に取る。
山崎十八年をグラスに注ぎ、ぐっと煽った。
ボトルを戻して、衣類を脱ぐ。
テーブルやベッドボードには錠剤のクラッシャーに粉末トレイとスプーン、鼻用の吸引器具(スナッフ・パレット)が無造作に置かれている。
全裸になった城戸は無言のままシャワールームで汗を流した。
ベッドで横になって眠る時間はない。
常に多くの事柄を考え、処理しなくてはいけない。
そのために薬物を摂取することは水を飲むことと同義だった。
シャワーから上がり、ピルケースから錠剤を取り出す。
それらを口に含んで奥歯で砕き、再び山崎十八年を煽った。
この一瞬が、平穏を感じる瞬間であった。
彼の平穏を見抜いているかのように、スマホが鳴る。
「はい、城戸ですが」
相手は『秘書』だった。
寝起きらしい『秘書』は『急いで対応しろ!』と苛立たし気に怒鳴って電話を切った。
彼の言葉を裏付ける通り、城戸のマンションから見下ろす形で――近所のビルから黒煙が立ち上っていた。
城戸はウォークインクローゼットへ入り、本日のスーツに着替えた。
ビル火災は三田のオフィス街で起こっていた。
早朝のため、やじ馬の数は多くなかったが……それでも出勤してくるサラリーマンや地域の住民たちが騒ぎを見物していた。
城戸は規制線をくぐって消防車がひしめく一角へと足を進めた。
「あの、こちらは立ち入り禁止の――」
懐から警察手帳を示す。偽物の警察手帳である。
消防から聴取を受けているワイシャツ姿の男を見つけた。
話に割り込むようにして城戸は男に近づき、ぐいと身体を引っ張った。
「な、なんですか……!!!」
煙に燻された匂いがする男に対して、無言で城戸は救急車に乗り込んだ。
消防と警察が「ちょ、ちょっと!」と制止をかけてきたが、再び城戸は警察手帳を示してから。
「こちらは公安です。一刻を争うので、彼をお借り致します。事情は本局よりご説明いたします」
そう放言して救急車のドアを閉めた。
頬に煤をつけた男性は「な、なんですか……あなたは」と怯えている。
「浅見公紀(あさみ きみのり)さんでお間違いない? 水越&平沼パートナーズの」
「え、ええ……。でも、あの、わたしはなにが起こったのかわからないんです。コーヒーを淹れに席を立ったとき、誰かが来て、急に爆発したんですから!」
「それは午前三時前ですか?」
「た、たぶん……それぐらいです」
「つまり、営業時間外に仕事をしていた」
詰問口調の城戸に、浅見はムッとして。
「べっ、べつに深夜に仕事をしようと勝手でしょう!」
「もう一つ確認をしたい。あなたが仕事をしていたとき、パソコンなどの端末はオンラインでしたか?」
「えっ……」
「オンラインだったか、と聞いている」
すると浅見は困ったように眉を寄せて、言い訳がましく答えた。
「そりゃあ、パソコンを使うんだからオンラインになってるでしょう」
「ならば、重要な質問をします」
ぐいと前髪を引っ掴んで視線をあげさせて、城戸は改まって詰問する。
「処理したカネはどこに保管している」
「えっ……」
「時間がない。次はないぞ。処理したカネはどこにある?」
この問いかけに浅見は「そ、それは……」と言い淀んで顔を背けた。
城戸は自らの中指を舌でねっとりと舐めて唾液をつけ、その指を浅見の左耳に突き刺した。
「ぎゃああああっ!」
「おまえのビジネスが破綻しようが、知った事じゃない。処理したカネはどこにある!」
「あああっ、痛いッ、痛いっ、ああああっ!!!」
答えない浅見の左眼球に指を突っ込んだ城戸は、繰り返す。
「カネは、どこだ!」
* *
早朝の陽射しが浄延寺の境内を照らし、点々と散った血がワインレッドに色づき始めた。
『奥の通路、左手の扉が本堂に繋がってるはず』
耳に聞こえる玲子の声に従って、詩乃は拳銃を構える。
寺の住職は足を引きずりながら詩乃を先導している。ふくらはぎを掠る弾道で一発を撃った。流血はさほどひどくない。
「とまって」
詩乃は言って拳銃を構えなおす。
「どこへ行くの。本堂でしょ」
「うっ、ううっ……」
高校の制服姿でフードデリバリーの大きなリュックを背負っている詩乃を、住職は忌々し気に睨んでいた。
「あまり姑息なことを考えない方がいい。わたしはあなたに恨みはないけれど、指示に従ってもらえないとあなたは死ぬことになる」
住職は通り過ぎようとした廊下を戻り、玲子が指示する方角に進み、本堂への扉を開けた。
本尊仏を安置した本堂は雨戸を閉めているせいか、断片的な光が筋のように差し込んでいるだけだった。
不意の闇に住職が躍りかかって来たが、詩乃は慌てることなく太腿に弾丸を撃ち込んだ。
――パンッ!
「がああっ!」
からんからん、と鉄製のパイプが床に転がった。護身用にしては物騒なものがある本堂である。
「暗闇でもわたしには見える。あなた、無駄な怪我を負った」
「おまえ、自分がなにをしているのかわかっているのか!」
畳の上にうずくまって痛みに耐えている住職を尻目に、詩乃は巨大な寺の仏壇をジッと見つめた。
『仏壇の裏に扉があるんだけど隠し戸になっている。電気制御と思われるけど……どこにどんなスイッチがあるのかは、こっちの資料では読み取れない』
「裏に扉がある。開けてほしい」
詩乃が住職に言うが、この老獪な男は呻くだけで何もしない。
仕方なく詩乃は木魚を蹴とばし、仏壇の正面に向かった。
巨大なおりんが呻くような音を立てて転がり、段々になっている仏壇の供物や蝋燭を蹴り払い、スイッチを探す。
「や、やめろっ……!」
吊り下げられた瓔珞を引きずり降ろし、私像や位牌を蹴散らして、灯篭を打ち壊した。
香炉を蹴ると灰が舞い、高杯や華瓶を乱暴に蹴り落した。
『あんたさ、なんか罰当たりなことしてない?』
「してないと思う」
玲子の忠告を受けたとき、にっこりとほほ笑む黄金の本尊仏と相対した。
あまり仏の意味がわからない詩乃は、プロレスラーが相手の顔を固定して頭突きをするみたいに両手で仏の頭を握った。そうして力任せに引き倒した。
ばきばきと固定具が呻き、木材が割れる音が響いた。
「や、やめなさいいっ!」
がたんとものすごい音を立てて大きな本尊は仏壇の段々を転げ落ちた。
その仏壇の背後に小さなスイッチがあった。
仏壇の脇から手を伸ばせば、なんとか届く場所にスイッチはあったのだ。
住職を肩越しに見下ろして、詩乃は言う。
「あなたが素直なら、こうならなかった」
スイッチを押すと本堂の奥で重い自動扉が開く音が聞こえた。
詩乃は「立って」と住職を強引に引きずり起こして自動扉の奥へと進む。
短い螺旋階段の向こう側にあったのは、仏壇を越える眩しさを放つ『黄金の保管庫』だった。ファイルフォルダにハードディスク・ストレージ、絵画に刀剣に、金の延べ棒に……ラッピングされた大量の札束の山である。
「玲子、あった」
『気を付けてやんなよ』
玲子の指示に頷いて、詩乃はデリバリーリュックからポリ容器をひとつ取り出した。
それを金庫のなかにびちゃびちゃと撒いていく。
住職の顔が真っ青になった。
「な、なんでガソリンなんぞ……!!! おまえは、カネが目的なんじゃないのか!」
彼の質問に詩乃は答えず、持参したペットボトルを倉庫の棚に間隔をあけて設置した。TATP(過酸化アセトン)である。
デリバリーリュックに残っている、もうひとつのポリタンクにポケットから取り出したアルミカプセルを入れた。そうしてガソリンをまきながら階段を登り、木造の本殿に戻った。
ちょうど半分ほどのガソリンをまいた詩乃は、よろよろとあとを追ってきた住職の前でライターを取り出した。
住職はにやりと笑って。
「おまえは社会を理解していない。システムをわかっていない」
「……?」
「そこに転がってる木像は重要文化財――。それを保護するために、この本堂には消火装置が備わっている。そんなライターとガソリン程度で、この本堂は――あああっ!」
住職の発言が終わるよりも早く詩乃はガソリンに火をつけた。
怪しい火焔が導火線を這う赤蛇のようにうねりながら本堂に広がり、地下を目指す。
「急いで逃げた方がいい。死にたいなら、ここに居ればいい」
詩乃がそう言ったとき、猛烈な水がサイレンとともに降り注いだ。
ゆっくりとした足取りで詩乃は本堂から退出し、外を目指して駆け出した。
「ほら見ろ! この本堂はそう簡単には燃えはしないのだ!」
勝ち誇ったような住職の声が聞こえたが……そのあたりも計算して、善治は燃料を持たせてくれた。
サイレンの音が響き渡る本堂をあとにして、境内の石畳を正門に向かって歩いていく。
「うまく行ったかな」
『火薬については専門外。おやっさんに聞いて』
ちらと振り返ったとき、圧搾された炎が出口を求めて建物の窓ガラスをバリバリと割った。衝撃と熱風が、詩乃の頬を震わせる。
火焔が建物の屋根を抱くように空に立ち上る。
「おやっさんの計算、やっぱり正しかった」
『なら、急いで離れなさい』
アルミカプセルに入れたニトログリセリンに引火したら、もっと大変なことになる。
詩乃は小走りに走りながら、玲子に教えられた合言葉を口にする。
「燃えろ燃えろ、ぜんぶ燃えてしまえ」
瞬間、ニトログリセリンと過酸化アセトンが炎によって混ざり合い、浄延寺は大爆発を起こした。
地響きが石畳を割り、木々から鳥たちを一掃させた。
正門から伸びる長い石段を小走りに駆け下りて、背の低い高架をくぐった先の大通りにトヨタ・プロボックスが停車している。
詩乃が乗り込むとパソコンを開いていた玲子が「お疲れさま」と迎えてくれた。
「ありがとう玲子。昔みたいに、頼りにしてる」
早朝の大通りをプロボックスは駆け抜ける。
向こうからたくさんのサイレン音が走ってきて、浄延寺の方角へと遠ざかって行った。
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