第24話『刀匠の“手”が、彼女の“傷”に触れた時』

鍛冶小屋の朝は、いつもより静かだった。


 炉の中で赤々と燃える炎が、鈍く光を反射する金属の面にゆらめきながら映り込む。炭の焼ける匂いと、鉄が熱される音。それだけが、世界のすべてだった。


 湊は、目の前の剣をじっと見つめていた。

 クラリス=ヴァンベルクが差し出したその剣は、確かに名剣の類だった。だが今は、芯にわずかな“ズレ”がある。その不安定な重心が、彼女の身体をじわじわと蝕んでいた。


「これは、重さが右肩に偏りすぎてる。剣自体が、戦士の身体を壊しにかかってる」


 湊はぽつりと呟く。彼の言葉に、背後からクラリスの低い声が返ってきた。


「……わかっていた。だが、あの時の戦いで……逃げられなかった」


 彼女は静かに上着を脱ぐ。そして、左肩の鎧を外すと、白い布の包帯が現れた。


 湊の視線が、その包帯の下に自然と吸い寄せられる。理性が、わずかに揺らいだ。


「この腕はもう、完全には戻らない。利き腕としては致命的だ。だが、私は……戦わなければならない」


 その言葉には、誇りでも後悔でもなく、“覚悟”が宿っていた。


 湊は剣を手に取り、鍛冶台に据える。


「……なら、この剣を、あんたの身体に合わせて調律する」


「調律、とは?」


「矯正調律刀。俺の技術の中でも、かなり面倒な部類だ。重心をわざとズラして、使い手の身体の“弱点”を補う。代わりに、扱えるのは持ち主だけになる」


 クラリスの無表情が、ほんのわずかに動いた。


「……それを、私のために?」


「他に誰がいるんだよ。今ここに、俺しかいないだろ」


 不器用な言葉だったが、そこに偽りはなかった。


 湊は無言で鍛冶に取りかかる。

 赤く熱せられた刀身に向けて、金槌を振る。鉄の匂いが立ち込める中、微細な調整が進められていく。


 クラリスは、その後ろ姿をじっと見つめていた。剣を打つ男の背中には、戦士に通じる“静かな闘志”があった。


「……不思議なものだな」


「何が」


「刀匠とは、戦場を知らぬ者と思っていた。だが、お前の鍛える姿は、まるで剣士だ」


「違ぇよ。ただ、黙って刃を打ってるだけさ」


 湊は照れ臭そうに吐き捨てるように言ったが、その手の動きには一切の迷いがなかった。


 やがて、矯正調律刀の仕上げが近づく。


 刀身を冷却する瞬間、湊は不意にクラリスの身体に手を伸ばした。利き腕の位置を確認し、微調整のために肩のラインに触れる。


 その指先が、包帯の下の傷跡に触れた瞬間──


「……っ」


 クラリスの全身が、びくりと震えた。

 息を呑むような沈黙の中、彼女の声が絞り出される。


「そこは……誰にも、見せたくなかったのに……っ」


 湊ははっとして、すぐに手を離した。


「す、すまん! ただ、重心を──!」


「わかっている……だが、私は……」


 クラリスは下を向き、拳を握りしめていた。

 肩の傷は、ただの肉体の傷ではなかった。それは、敗北の記憶と、守れなかったものの証。


「俺には……よくわからない。でもさ」


 湊はそっと、彼女の肩に手を添える。


「直したいと思った。俺の手で、少しでもあんたの剣が振りやすくなるならって」


 その言葉に、クラリスは息を詰まらせた。

 彼女はゆっくりと顔を上げる。そこには、いつもの無表情とは違う、かすかな熱を帯びた瞳があった。


「……お前の手は、熱いな」


「炉のせいだ」


「……そうか」


 ふたりの間に、炎の音だけが残った。


 矯正調律刀は、その日のうちに完成した。

 銀の鍔に、クラリスの紋章を刻んだ新しい剣。

 彼女がそれを手にしたとき、まるで長年の相棒に再会したかのように、自然に身体が動いた。


「……これは、私のための刃だ」


「当然だろ。誰のために作ったと思ってんだ」


 クラリスは剣を鞘に収めた。

 そして──わずかに口元をほころばせる。


「ありがとう、湊」


 その笑顔は、鉄よりも柔らかく、刃よりも鋭く、湊の胸に突き刺さった。


 そしてその夜。

 彼は自室でひとり、布団に突っ伏して呻く。


「……ああああああああああああああ! なんなんだあの顔は! なんであんな柔らかそうなんだあああああああ!」


 彼のむっつり陰キャスケベ魂が、静かに爆発していた。


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