第32話 もう一つの青春 その後のその後 3

* もう一つの青春 その後のその後 1ないし2は、歌集に掲載しております。

 ここでは、歌集に詠んだ歌の続きとしての感想文に相当するものを執筆します。

 なお、この後歌集に歌を追加する予定です。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


 子どもの頃に読んだ絵本の中には、21世紀はこんな感じになりますよという、今思ってもSFとしか思えないような光景が描かれていたものである。東京と大阪の間にはリニアモーターカーが開通し、わずか1時間で東京から大阪まで行けるという話もあった。現実にはそのほとんどが実現していないが。

 とは言うものの、あれは子ども心にも夢があった。

 何だかんだで20世紀も終わり、21世紀がやってきた。何やらが降ってきて地球が滅びるといううわさもあったようだが、そんなこともなく21世紀はやってきた。そしてその21世紀も四半世紀が過ぎ去ろうとしている。かつての少年も、今では当時の国鉄なら定年を迎えていた年齢(55歳)をすでに超えてしまった。


 ここに至るまでの間には様々なことがあったわけだが、ちょっと過去を振り返ってみよう。

 高校全入の時代になってしばらく経った1980年代、今や還暦を迎えて久しい松田聖子がアイドルだったあの昭和末期の教育状況は、実にカオスな時代であったと言えよう。大学進学率は3割程度。戦前よりはるかに高くなっていたとはいえ、今ほどでもなかった。その一方で、校内暴力が吹き荒れていた中、高校中退の問題が発生した。当時の高校中退と言えば、本人の病気や家庭の事情、つまり貧困や家業の問題で中退せざるを得ないものという認識しかなかった。

 いくら高校が義務教育化しつつあったと言えども、高校と名の付くところは公立中学校のようにどこもおおむね同じものというわけにもいかない。そこでは学ぶものの内容の差や、何より生徒らの学力差があった。その地に合う合わないはいやでも発生する。そのギャップの狭間から、高校中退の問題が少しずつクローズアップされて行った。少しは気の利いたつもりの左翼系の団体は、職場・地域そして学園から問題点を話し合ってみんなで変えていこうよなどと甘言を弄していたが、個人の問題を公共の問題にすり替えようとしていたその団体は、今や凋落の一途。まあまあ卒業まで何とか、となだめるくらいしか能のなかった者たちの戯言など、当時高校中退の道を選んだ者にとっては、何の役もなさなかったことも明白。

 かくして、高校からドロップアウトしていく青年が一時10万人にも至ったというが、さすがにこれは社会問題となった。


 そんななか、本来勤労学生のための制度であった大学入学資格検定、いわゆる大検というペーパーテストが一躍脚光を浴びた。この試験を通して難関大学に進みのちに大学教授となって司法試験委員をされた人物もいるが、それは病を得てやむなくその道に進んだ事例であった。彼の時代にはまだ難関のイメージのあった大検であるが、実は効率の普通か進学校に進む学力のある中学生であれば高1段階、遅くとも高2段階までには最終合格できるレベルの試験であった。そのことが、社会に明白な形で示されるようになった。

 憶測でモノを言っていた大人たちは、その後の変化に間違いなく戸惑ったであろう。現に私の恩人でもある女性は、私が大検を通して大学に合格した後、大検という制度の実態を「知らなかった」とぬけぬけしゃあしゃあと述べてくれたが、彼女が高校受験に不合格になった時の言動は何だったのだろうか。まあそれはいい。ここは彼女の言動を罵倒する場ではないから。だが、世の中にその実態が少しずつ明白になるにつれ、知らなかったでは済まされない時代へと突入していった。


 大検は確かに学力高めの大学等を目指す者にはこの上なく素晴らしい制度であったが、高校中退者の誰もがそのような学力の持主であるとは限らない。そのような生徒に対しては、定時制高校や通信制高校への転編入、あるいは大検受験資格を活用した大検と通信制高校の併用といった手法が編み出された。そしてさらに既存の高校の図式からいささか逸脱した感もあるが、広域の通信制高校が雨後の筍のごとく現れ、これが大検をして現在の高認こと高等学校程度卒業認定試験へと発展的解消の道へと進める力となった。その勢いは、既存の私立高校関係者にとっても無視できないものとなって現在に至っている。


 今となっては高校中退という状況になったところでいくらでも道があることは知られるようになったが、当時その情報を知らない、それどころか満足に知ろうとしない教師や教育関係者もいた。それ故の悲喜劇、大抵は悲劇であることが現実であったが、それも今や昔。

 登校拒否こと不登校に対する理解も変わり、今や不登校にせよ高校中退にせよ、その後どのような手法を取ればよいか、情報はすっかり身近からとれるようになった。かつては自らの足で稼いで情報を得ていた少年の努力を小馬鹿にする言動をしていた年長者らも、今や60代以上の高齢者となって久しい。今さら彼もしくは彼女らがかつてのかの少年を小馬鹿にした言動などとりようもないだろうし、まして今どきの青少年やその保護者各位に対して頓珍漢な言動をして来るとも思えない。だが、過去のこととして済ませてよいものではない。

 

 不登校や高校中退が社会問題化しつつあった昭和末期から平成初期のあの時代を今こそ総括し、これを後世への戒めとして残しとどめておかねばならない。それこそが、当時大検合格の上大学に現役合格して定時制高校を中退した私の、偽らざる熱情からくる思いなのである。

 結果としてそれが、当時憶測で好きなことを述べて不登校や高校中退の問題の渦中にいる少年らを傷つけた者たちへの報復となり、期せずしてその対手たるかつての無理解者たちをある意味ペンで「殺す」ことになったとしても。

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