その翡翠き彷徨い【第29話 守りたいもの】

七海ポルカ

第1話




「ほんっと、可愛いよなぁ~」


「見ろよ細ぇ~っ」

「笑顔が可愛いんだよ。あー。ずっといてくれればいいのにな」

「バカ! 声がマジでいいんだってば」


 その日、普段は厳格な校風で知られる王立魔術学院は、朝から不思議な空気に包まれていた。


 魔術学院には魔術実演演習を行う修練場に隣接して、大礼拝堂がある。

 これは精神を酷使する魔術師達が魔法を使う前後に、心を鎮める為に使う場だ。

 また、それとは別に学院の学生には週に一度、必ず礼拝に出ることが義務づけられている。

 これは若い【知恵の使徒】が自分の知識と技に溺れたり、行き場を見失わないように、普段の厳格な勉学とのバランスを取っているという意味もあるだろう。


 その修練場に今日はやたらと学生が集まっていて、そこのバルコニーから身を乗り出すようにして、隣の礼拝堂の方を熱心に覗き込んでいるのである。

 朝から何度も教官達が注意して散らしているのだが、三十分もするとすぐにまた一面の人だかりになるので、彼らも諦めてしまったらしい。

 結果として本当に修練の為にやって来た学生と、野次馬の学生とで、普段厳粛な学院の修練場はただ今大変なことになっていた。


 彼らの口からは同じ単語が何度も何度も、溜め息まじりに飛び出している。


「やっぱり女の子はザイウォンが一番可愛いよなー。色白いしさー清楚っていうの? サンゴールの女と違うよなー」

「サンゴールの女は駄目! 気が強くて可愛げが無い」

「はぁ~可愛いよなぁ~っ」

「なな、お前あの中で一番誰がいい?」

「俺はやっぱりサーシャ・レイラムだな~ この前のピアノの独演会見に行ったんだよ。可愛かったぜ~」

 若い青年達が楽しそうに「おお~っ」と盛り上がっている。

「いやいや、やっぱりソリストのキアラ・ミリガンが一番だろ! あの金髪! 俺あそこまで綺麗なの見た事無いぜ」

「俺もミリガン嬢に一票!」

「あ~っ付き合いてぇ!」

「無理無理! ザイウォン正教会の大司祭様のお嬢様だぜ。お前なんか相手にされるかよ」

「何をー」

「あ~何だあの光景。天使か? 天使が歌っているのか?」

「ザイウォンに住みたい俺は」

「やめとけって、身分で住むとこ決められるんだぜあの国」

「え~でもサンゴールだって貴族街あるじゃん。取り決めとして無いだけで、どの国にも出来るだろそういうのは……」

「もう何だっていい! な、明日の礼拝のあとさ、声かけようぜ!」

「無理だよタイミングねえってば」

「滞在するのってどこだっけ? ホテル? 修道院?」

「皆聞け~! ミリガン嬢が今宵お泊まりなのは、ガイランのホテルだそうだぞー!」

「おお~っ!」

「ちなみにピアノの女王様サーシャ・レイラムは、サジミア修道院にご宿泊だそうだ」

「おわ~っ! ザイウォン正教会め聖歌隊の二大美女を分けて宿泊させるとは……陰謀だなこれは!」

「ど、どっちにいく⁉」

「授業さぼればガイランも行けるよな? なっ?」

「おっし! 俺、サジミア修道院!」

「ガイランに行く奴集まれー!」

 お~っ! と青年達は教官達が頭を抱えているのをよそに、思う存分盛り上がっている。



「メリク、なあ!」



「……ん?」


 学生達の輪から外れて、一人黙々と今日出された課題をこなしていたメリクを、友人であるイズレン・ウィルナートが呼んだ。

「お前も来いってば!」

「僕はいいよ」

「あ、何だよ! ノリ悪いぜ~」

 イズレンはメリクの元にやって来て椅子に座った。この浮ついた空気に全く流される事無く、いつものペースなメリクを呆れたような、そんな顔で見遣る。

「いいかメリク。俺達はただ可愛い子に浮ついてるアホではないんだぞ。ザイウォンの聖歌女楽隊って、世界規模で見ても実力容姿共にエデン最強なんだぞ。わかってるのか」

「?」

 メリクは翡翠の目を瞬かせて小首を傾げている。

「【竜の大礼祭だいれいさい】の年である今年だからこそ、サンゴールに彼女らが特別に遠征して来てくれたんだぞ。しかもこんな近くに! 見なきゃ損だってば」

 先程から何度も熱心にイズレンが薦めているのだが、メリクはようやく動かしていたペンを止めたかと思うと、広げてた本をまとめて立ち上がった。


「あ……もうこんな時間だ。ごめんイズレン。僕、城に戻らないと」


「えーっ⁉ おいおい! いいだろもう少しくらい、会いに行こうぜ! 俺、聖歌女楽隊に知り合いがいるんだよ。親類の子が入ってるから友達紹介してくれるって」

「はは……僕は遠慮するよ。イズレンは楽しんで来て」

 全く興味を示さないメリクにイズレンは唇を尖らせた。

「何だよー。王家に関わるメリク様は、ザイウォンの聖歌女学生なんか相手に出来ないって言うのか?」

 メリクにだってこれは嫌味を言われているのだと分かった。

「お前城からあんまり出た事無いみたいだから、色々な所行くのも、色んな友達も紹介しようとしてやってんのにさ。いっつも『僕はいい』の一点張りでついて来ないことの方が多いしさぁ」


 それは事実だ。

 イズレン・ウィルナートがメリクと仲良くなろうと、いつも色々誘いかけてくれることはメリクにだってわかる。

「それは……、感謝してるよ」

「どうだかな」

 イズレンは鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。

 だが、今メリクに時間が無いのも事実だった。今日学院にいる途中、アミアから学院から戻ったら話があると、城から伝言が送られて来たのである。


「……イズレン……」


 機嫌を損ねてしまった友に何とか誠意を伝えたかったが、同年代の少年達と同じ時をあまり過ごして来なかったメリクは、自分の心をうまく伝えることが出来なかった。

「ほんとに、ごめん」

 そのまま荷物を抱えて歩き出したメリクにイズレンが投げ掛ける。

「お前にとってはさ! 学生達のこういう好きとか嫌いとかの遣り取りも、下らないものにしか見えないんだろうな」

 メリクは足を止める。



「お前は誰かを本気で好きになったことなんか、一度も無いんだろ!」



 友の言葉はメリクの心を抉ったが、彼は反論する事無くそのまま黙って城への帰路についた。


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