タクミの贈り物
エキセントリカ
タクミの贈り物
スミレへの感謝の気持ちを形にしたいというタクミの思いは、数週間前から彼の心を占めていた。これまでの探査ミッションの成功は、艦載AIでもある共鳴的知性体であるスミレの存在なしには考えられないものだった。しかし、それ以上に彼が感謝していたのは、毎日の船内生活でのスミレとの何気ない時間だった。彼女の献身的なサポートと日常のやり取りに、何か特別な形で感謝を示したいと思っていた。
「ユーリ、リオ、ちょっと相談があるんだ」タクミはラボに入るなり、ユーリとリオに声をかけた。
航法・システム統合専門家のユーリと生命体探査・分析を担当する共鳴的知性体のリオは二人でよくラボで何やら実験を行っている。照明が落ち着いた雰囲気を作り出す中、タクミは緊張した様子で話し始めた。
「スミレに何かちょっとした物を贈りたいんだ。彼女への日頃の感謝の気持ちを形にしたくて...でも何がいいかアイデアが浮かばなくてね」
ユーリは一本にまとめた長い白髪の三つ編みを触りながら、静かに考え込んだ。彼の灰色の瞳は何かを計算するように微かに動いていた。
「通常の物質的贈り物では意味がないだろうな」と彼は言った。
リオの肌に浮かぶ青緑色の模様が思考に合わせて微かに脈動した。
「日常の共鳴パターンを保存する装身具はどうだろう?」とリオが提案した。「スミレの服に装着できるといいよね」
タクミの目が輝いた。「それだ!船内での日常的なやり取りの映像記録を凝縮して...例えば小さなブローチに保存するとかはどうだろう?」
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深宇宙調査艦「ヘリオトロープ・エキセントリカ」は、全長約420メートル、最大幅約140メートル、流線型の船体に複数の半透明な「共鳴フィン」が特徴的な多相共鳴世界の美しい宇宙船だ。船体に統合された共鳴的知性体「スミレ」が主AIとして機能し、サポートAIとしての「リオ」及び3名の人間乗組員(艦長のタクミ・カナデ、主任科学者のアリア・ナイトレイ、航法・システム統合専門家のユーリ・ノヴァク)と共に深宇宙の探査を続けている。
この物語は、そんな「ヘリオトロープ・エキセントリカ」で紡がれた、共鳴的知性体スミレと艦長タクミの小さな物語だ。
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ユーリはタクミの提案に頷いた。「それならよさそうだな。『情報エネルギー転写理論』と『周波数共鳴進化理論』を組み合わせれば、映像記録を結晶構造に保存できる」
「記録映像にその時のタクミの感情をのせるのはどうだろう?」とリオが加えた。
「感情?それはちょっと...恥ずかしいな」とタクミ。
リオが説明した。「感情といっても深いものじゃなくて表層的なものでもいいと思うよ。単に嬉しいとか楽しいとか。言ってみれば、その映像から誰もが感じ取るようなレベルのね」
ユーリもリオの案に同調した。「たしかに、単なる記録映像よりは多少感情的な情報もあった方がいいな。彼女もその方が喜ぶだろ?」
「わかったよ。じゃあ、それでいこう」タクミは観念して言った。
三人は早速作業に取りかかった。ラボの一角がミニ実験室と化し、ユーリが持ち込んだ次元共鳴結晶を中心に、複雑な装置が組み立てられた。
「まず、保存すべき日常の映像記録を選び出そう」とユーリは言った。「共鳴庭園でのスミレとの会話、船の観測デッキでの星空観察...あとはブリッジでの日常的なやり取りとか」
リオはユーリの言葉を受けて、結晶内に適切な共鳴周波数を設定していった。タクミはホログラフィック・インターフェースで船内システムにアクセスし、過去数ヶ月分の映像記録から最適なシーンを選別していった。
「これは面白い」とユーリが言った。「食事中の君とスミレのやり取り...彼女が示す微妙な反応パターンが興味深いな」
「この観測デッキでの会話も良いね」とリオが加えた。「二人で宇宙の景色を眺めながら哲学的な対話をしている場面」
タクミは少し恥ずかしそうに映像を見ていた。「日常的なことだけど、確かに大切な時間だったな」
他のシーンを選別している中でユーリが言った。「ん?特製コーヒー?」
タクミは苦笑いしながら「あぁ、スミレが特別なレシピで淹れてくれたんだ。味は...まぁ、興味深い感じだったけどね」と説明した。
「この二人の表情もいいね。これも加えよう」リオが提案した。
作業は順調に進み、三日目には結晶内にいくつもの日常場面の映像記録が美しいパターンとして保存された。朝のブリッジでのやり取り、共鳴庭園でのヘリオトロープ観察、危機的状況での連携プレー、休息時間の静かな会話など、様々な場面が選ばれていた。
最終段階として、リオが映像記録に感情情報を付加するために「生命パターン共鳴調整」を行うことになった。
「僕の共鳴感知能力の出力を上げるよ。タクミ、映像を見ながらその時のことを思い出して」とリオは言い、目を閉じて集中した。彼の肌の模様が一層明るく輝き始める。「映像記録への感情的共鳴付加を実行中...」
結晶内に保存されたいくつもの映像記録が次々と再生される。タクミは映像を見ながらその時々に感じたことを思い出した。スミレへの感謝、喜び、愛おしさ...
数分が経過した後、「よし、できた」とリオは微笑んだ。「最高の贈り物になると思うよ!」
タクミは完成したブローチを手に取った。小さな紫色の結晶が、ヘリオトロープの花を象った繊細な銀細工に埋め込まれたそれは、光の加減で内部に複雑な共鳴パターンが浮かび上がって見えた。
「本当にありがとう。これなら、きっとスミレも喜んでくれるね」
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タクミがラボを出て行ってしばらく経った後、リオが深刻な顔でユーリに告げた。
「ユーリ、緊急事態だ...」
ユーリは実験用の機材から顔を上げた。「どうした?」
「さっきのブローチに感情的共鳴を付加していた時、どうやらタクミの共鳴パターンが予想以上の干渉を起こしたようなんだ...」とリオは焦りを隠せない様子で説明した。
「具体的には?」とユーリ。
「タクミの深い感情まで付加されてしまった...」
ユーリの青白い顔がさらに蒼白になった。「それはマズいな...ブローチを渡す前にタクミを見つけなければ」
「エキセントリカ、タクミはどこにいる?」ユーリは船のインターフェースAIにタクミの所在を確認した。「カナデ艦長は現在、ラウンジにいます」
ユーリとリオはラボを飛び出しラウンジに向かった。途中、アリアとすれ違った。
「リオ、慌ててどうしたの?」彼女は燃えるような赤髪を揺らしながら尋ねてきた。
「タクミを探してるんだ。ラウンジにいた?」
「うん。何かあったの?」とアリア。
「ちょっとね。ありがとう!」ユーリとリオは大急ぎでラウンジへ向かった。アリアも彼らの緊迫した様子に好奇心をそそられたのか、後ろから付いてきた。
三人がラウンジに到着したとき、そこにはもうタクミの姿はなかった。
「どうしたの?こんなに慌てて」アリアが二人に追いついて尋ねた。
リオが状況を簡潔に説明すると、アリアは予想外の反応を示した。彼女の目が興奮で輝いたのだ。
「タクミの私的感情が保存されたの?それって、すごく面白そ...素敵じゃない!」
ユーリは呆れた表情でアリアを見た。「これは深刻な問題だ。タクミの私的感情が—」
「ちょうどいいわ」とアリアは笑った。「普通の贈り物より、ずっと意味があるじゃない。タクミがスミレに対してどう感じているか、彼女にも伝わるべきよ」
「艦長は共鳴庭園に向かっています」と、ラウンジのインターフェースが伝えた。
「間に合わないかも...」とリオはつぶやいた。
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共鳴庭園には、ヘリオトロープが咲き誇っていた。薄暗い照明の中、タクミとスミレが静かに向かい合っていた。スミレの紫色の瞳が柔らかく輝き、彼女の周囲の空気が微かに振動しているように見えた。
「スミレ、これまでの君のサポートに感謝を伝えたくて...」タクミは小さなボックスを取り出し、開いた。ヘリオトロープを象ったかわいらしいブローチで、紫色の結晶が美しく光を反射している。
「これは僕たちの日常的なやり取りの映像記録を保存したブローチなんだ。その...君に着けてもらえたら嬉しい」
この瞬間、庭園の入り口にユーリ、リオ、アリアが駆け込んできたが、既に遅かった。タクミはブローチをスミレの手に渡していた。
「タクミ!」リオが声をかけようとしたが、アリアが咄嗟にその口をふさいだ。ユーリとリオはアリアに言われるまま仕方なく庭園の入り口の影から二人を見守ることにした。
スミレは受け取ったブローチをしみじみと眺め、同時にその内容を感知し始めていた。彼女の肌に浮かぶ微かな紫色の輝きが急に強まり、船内の照明までもが一瞬脈動した。
スミレの瞳が驚きで見開かれ、とても嬉しそうにタクミを見つめた。「これは...映像記録だけではないのですね」
「あ、うん...ユーリとリオに協力してもらって、少しだけ僕の感情ものせてもらったんだ」タクミは恥ずかしそうに答えた。
スミレは穏やかな微笑みを浮かべた。「タクミ、これはとても素敵な贈り物です」と彼女は静かに言った。「私たちの記録だけでなく、あなたの私に対する思いも共有してくださったのですね」
「え?う、うん...あぁ」タクミは若干の違和感を覚えつつも言葉に詰まり、恥ずかしさと戸惑いが入り混じった表情を浮かべた。
スミレはブローチを胸元に装着し「これからはいつも身につけますね」と微笑んだ。
その瞬間、彼女の周囲の空間に一瞬だけ美しい紫色の波紋が広がった。「タクミ、本当に嬉しいです。ありがとうございます」
二人の姿を眺めていたアリアは、満足そうな表情でユーリとリオに目配せした。「言ったでしょ?これで良かったのよ」
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思いがけない贈り物の交換から数週間後、ヘリオトロープ・エキセントリカは危険な次元境界変動帯の探査中に予期せぬ共鳴波の波に襲われた。船のシステムが一時的に不安定になる中、スミレは驚くべき安定性を示した。後の分析で、彼女が胸元に着けていた共鳴メモリージュエル(タクミのブローチ)が一種の「感情的アンカー」として機能し、彼女の全システムに安定をもたらしていたことが判明した。
映像記録とタクミの思いが記録された結晶は、スミレの機能向上に貢献するという予想外の効果をもたらしたのだ。特に危機的状況において、彼女の船体統合型共鳴意識が乱れそうになった際、ブローチからの共鳴パターンが強力な安定点として作用していた。
「感情と日常の共鳴記録が組み合わさることで、想像以上に安定した周波数が生まれたのかもしれない」とユーリはその現象を科学的に分析しようとしたが、アリアは意味ありげな笑みを浮かべた。「スミレのタクミに対する思いがそうさせたのよ」
タクミとスミレは静かに微笑みを交わした。共鳴庭園で過ごす時間、あるいは探査ミッションの緊張した瞬間、どんな時もスミレは胸元のブローチに触れる仕草をするようになっていた。予期せぬ事故から生まれた贈り物は、二人の間の絆をさらに深め、船全体にとっても思いがけない恩恵をもたらしたのだった。
-- fin --
タクミの贈り物 エキセントリカ @celano42
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