第33話 とある“一番目” その動機

「なんでわざわざ、こんな面倒なことをしたんだ? 俺には、それがわからない」


 俺はそう聞いた。動機がわからないままなのは、やられた側としてはやりきれないものがあった。


『それを話すのは、まあ義務なんでしょうね。私は——』


 菜々美さんは、己の過去と動機について語りだした。


 ◇◆◇


 私は昔、教師になろうと志しました。理由は単純で、昔の恩師に憧れたというものです。

 梨能市には大学がなかったので、私は教育学部がある都会の四年制大学に進学しました。実は偏差値的には入れるか入れないかだったんですが──できるだけ遠くの大学に行きたかったんです。私は地元から遠くに行きたいという気持ちもあったんでしょうね。


 私は大学の四年間でいろいろなことを学び、私は無事教員免許を取りました。そのままそこで教師をやって生活する、というのも考えましたが、梨能市に残してきた家族や姉のことも心配でしたからね。私は梨能市に戻ってきました。


 ああ、姉についてですか? 私のことは忘れていますが、二人の子供を産んで今は夫と幸せに暮らしていますよ。そういえば、次男が那久良君の姉と結婚する予定でしたか。


 閑話休題、私が梨能市に戻ると、家族は喜んでくれました。南梨能学園という就職先をすぐに得られましたし、これで『立派な教師になる』という夢の第一歩は完全に完了したわけです。


 ——第一歩は、でしたけど。


 教師という仕事は、生徒の皆さんが思っているよりも大変だというのは聞いたことがあるでしょう。実際大変です。

 ですが、南梨能学園は私立なので、給料が4%増える代わりに無限残業、という地獄はありませんでしたが、それでもです。


 深夜残業は当たり前で、生徒たちのおかしな親と対決しないといけない時もありました。 

 ですが、私は頑張ろうと決めていました。私は新任ながら、特進科の担任になることが決まったからです。これはひとえに、私がこの特進科出身で割と有名な大学に行ったからでしょう。


 正直、私のようなペーペーに務まるのか、とても不安でした。ですがみんなは明るく、私を受け入れてくれました。


 入学間も無く起こった『肝試し事件』についてはすでに知っているでしょう。朝霧くんと那久良くんがおバカなことをして、そして私が醜態を晒す時ですが──あれはあれで楽しかったです。


 人に泣きつくなんて初めての経験でしたけどね。那久良くん──那久良蒼汰くんには迷惑をかけました。それでも、あの一件は私にとってとても大事な記憶です。いい日々でした。


 お察しの通り、それまでは。


 杜島さんの両親が夜間外出に気づいたのは、まさに寝耳に水でした。どうやらランニングをしていた住民が、彼女の両親に告げ口したようなのです。

 そしてこの件でも、田舎の悪さが発揮されました。どんな些細なことでも噂が立ち、それが町中に広まってしまうという。


 実際、しょうがない事だったのかもしれません。深夜に綺麗な少女が出歩き、しかもクラスの男子に合っていたと分かれば、不純異性交遊だと言われるのは当然でした。


 もちろん、B組にもその噂は広まりました。さらに色々な親たちも、クラスに詰めかけてこようとします。


 生徒への理解、信頼が深かった以前の理事長は、強硬な保護者たちを止めようと色々と頑張ってくれましたし、私も奔走しました。地道に多くの保護者、地域住民への話し合いを繰り返し、杜島さんの御両親に誤解を解いてもらえるよう、何度も説明しました。


 そしてついに事態の収拾が見えてきたその時、事件は起きました。


 それは事件と呼ぶには、とても曖昧なものです。もはや始まりも原因も、何もわからない。

 それは、新たな噂でした。


『菜々美という教師は、生徒たちをたぶらかして未成年淫行、乱行に及んでいる。深夜2時でありながら学校にいたのは、そのためだ』


 ふざけた話です。そもそも私がそんな時刻まで学校に残っていたのは、PTAから押し付けられた無理難題を捌いていたからなんですけどね。それでも午前2時は異常ですが、それは学校が異常だっただけです。


 ですが、それを言い出した彼らにとっては、そんなことはどうでもよかったようです。一度騒ぎ出した以上、誰かを悪者にしなければ面子が保てない。そんなくだらない理由だったんじゃないかと、死後になってから思いました。


 そう、死後です。私はこのうわさが原因で様々な嫌がらせを受け、逃げて——自殺してしまったんです。


 本当にひどいものでした。脅迫状のようなものが届くのはいつものことで、家族に石を投げつけたり家に汚物をかけたり。私は、耐えられなかったんです。


 今思えば、とても軽率でした。私が自殺したと知れれば、もはやその噂を認めたのと同じになっていしまいます。あの部屋があったのは、ある意味幸運だったかもしれません。私が完全に忘れられたことで、家族への嫌がらせも消えてなくなりました。


 ですがそのせいで、あの部屋が人を引き込むようになりました。意識が残っていた杜島さんまでは、まだ幸運です。現に那久良蒼汰くんと杜島さんは、自分の意志で成仏していきました。渡瀬くんと野仲さんは姿を消してしまいましたけど。


 私は生徒たちに合わせる顔がないと、いつも後悔していました。ですが、部屋を閉じることはできませんでした。いなくなった二人にも何かが起こるかもしれませんし——いえ、これは言い訳ですね。私は、私の過ちを認めたくなかったんです。これでも問題ないと思うために、そのままにしておいたのでしょう。


 そして30年がたった『あの日』、私はあなた——那久良くんに出会いました。


 最初は、そのまま私の姿で警告しましたね。そして那久良くんがあの場からいなくなる直前、那久良くんが那久良蒼汰くんと生き移したということに気が付きました。


 たぶん、二人を重ねてしまったんです。私がこんなことを起こしたのだと知られたくない、幻滅されたくない、姿そんな思いで、私は『2回目』に彼女に化けました。


 杜島さんの姿を借りることにした理由は、さっき言ったように彼女が成仏していて、化けるのに都合がよかったからです。


 そして私は、他の人たちに注意を向けさせようとしました。もしもこの事件を那久良くんが追えば、きっと私にたどり着いてしまう。だから、どこにいるのかもわからない渡瀬くんと野仲さん、そしてすでに成仏している那久良蒼汰くんに注意を向かせました。まさか、ひと月も持たずにこうなるなんて、思ってもいませんでしたが。


 そういえば、『作成者』——郷田くんにはあったんですか? ——そうですか、それはよかったです。彼が野仲さんの騒動の時に迷い込んできましたけれど、その時那久良くんが外に出てから、少しの間話していたんです。だから、一瞬ぼーっとしている郷田君が見えたでしょう。


 その時に、私の正体を明かさないという約束を取り付けました。きっと彼は那久良くんを信用していて、この結末がベストだと思ったから、そんな約束を受けてくれたのでしょう。


 あなたも彼も、本当にすごいですね。菜々美さんはそう結んだ。


 ◇◆◇


「……それで、どうするつもりなんだ? 部屋は閉じるのか」


『そう、しようと思っています。いつかは、そうしなければいけなかったことですから。私も、それに合わせて逝きます』


 そうか、と俺は返した。


『それでは、また来世で逢えることを楽しみにしていますよ。次は騙し合うような関係じゃなくて……そうですね。いい友達になりたいです』


「違いねえ」


 俺は、豪快に笑った。もうすぐ目の前からいなくなってしまう人を、未練なく見送るため。一抹の寂しさを吹き飛ばすために。


『……もしかしたら、あり得るかもしれませんね。時期的にはギリギリですが……』


「?」


『いえ、何でもないです。それじゃあ、さようなら』


 そして菜々美さんは、俺の目の前から消えた。

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