第29話 とある作成者 その正体

「ど、どうも。僕が奈々さんと結婚する予定の……」


 本当にいた。実際俺はこの瞬間まで、姉の恋人が本当に存在しているのかさえ半信半疑だったのだが、まさかイマジナリーボーフレンドじゃなかったなんて。


「あ、あの……僕の話聞いてます? 僕があなたの姉の奈々さんと結婚する予定の……」


 姉が聞いたら憤慨するだろうが、正直姉が恋人を作れる人間だと、ましてや結婚できる人間だとはこれっぽっちも思っていなかった。見た目は間違いなくいい方だが、いかんせん不器用すぎる。異性への興味の薄さもさることながら、人の心を扱うのに慣れていない。特に『好きな人を大事にする』なんて繊細なことは出来ないと思っていたのに!


「……絶対聞いてませんよね。っていうか一体どこを見て」


 ふう、一旦落ち着こう。最近は失踪事件だの虐待だのメンヘラ彼氏だので疲れたんだ。たまにはこういう平和な非日常があったっていいじゃないか。そう考えると落ち着いてきた。それにしても、姉の心を射止めるとは一体どんな人物なのだろうか。いや、この家にいるのだから自分で確かめれば良いのだが、それでも不思議だ。一体どんなマジックを使ったのか、とまで思ってしまう。


「話を聞いてください!」


「うお!」


 うわあ、急に声をかけるなよ。びっくりするじゃないか。


 俺はそんな抗議の年をこめて男を睨んだのだが、帰ってきたのは呆れた表情。解せぬ。一体俺が何をしたっていうんだよ。


「ご、ごほん。それじゃあもう一度改めて言うけれど、僕が奈々さんと結婚する予定の──」


 ブロン、ブロンと外からけたたましい排気音が聞こえた。目の前の男が言おうとした言葉はかき消され、後には妙な沈黙が残った。


「…………」


「…………」


「えっと、とりあえず座ります?」


 すでに食卓には、夕食が用意されていた。だから俺が沈黙に耐えかねてそう提案すると、なぜか妙に諦めたような表情で、彼は頷いた。




「──と言う経緯で奈々さんと……」


 彼は俺の母親に、食事中に姉との馴れ初めや恋バナなどを話して聞かせろと言われ、今こうして1年ほど前のことから話している。


 いや、どうしよ。なんか名前聞かずに話が進んでる。流石にこれは失礼か?

 だが、今更名前を聞く勇気もなかった。さっき気まずい雰囲気になったことが原因か、妙に話しかけづらい。


 そして夜9時を周り、名前を聞かないまま彼は帰ってしまった。いや、ほんとどうしよう。


 はあ、と俺はため息をついた。


「どうしたの、ため息なんてついて」


 みかねた母さんが心配するように言ってきた。

 

「いや、なんだか気まずくなっちゃったから──」


「なるほど、お姉ちゃんが取られて悔しいのね」


 違う。


「でも、お姉ちゃんが決めたことだもの。素直に応援してあげないと」


 違う。


 俺はまた特大のため息をつき、自分の部屋に──


 ピロン。


 一通のメールが届いた。


『from goostgirl: 理事長が資料室に侵入しました。どうやら泥棒の仕業に見せかけようとしているようです』


「んなっ!」


 それは杜島さんからの連絡だった。

 まずい、このまま資料を取られると、『作成者』につながる手がかりは途絶えてしまう。

 ここから学校までは、自転車を使っても十分はかかる。だが、資料を探すのにどれほどの時間がかかるだろうか? 40年前のものから特定の1人の生徒を見つけ出すというのは、なかなか難しいことではないか?


 これも、希望的観測に過ぎないが……まあ、やるしかない。


「ごめんちょっと出てくるから」


「あらぁ、まさか本当に健人けんとさんと決着をつけるの?」


 違う。っていうか健人っていうんだ。


 とりあえず母さんの言葉は無視し、俺は自転車に乗り込んだ。




 この学校は私立だ。だから割と設備が整っており、窓ガラスなんて割れば即アラームが鳴る。だが、資料室の窓は叩き割られており、中から明かりが漏れていた。おそらく、警備装置を勝手に解除したのだろう。


 よし、まだここにいる。そう思った瞬間、杜島さんも現れた。


『間に合ったみたいですね。早く、あの人を止めないと!』


 よし、と俺は窓に駆け寄った。そして出来るだけ大きな声で叫ぶ。


「お前えええええええええええええ! 何やってんだ泥棒おおおおおおおおおおおお!」


 懐中電灯の明かりが大きく震えた。動揺しているらしい。


 俺は窓から室内に侵入した。同時に、校長先生の逃げる背中が見えた。


「待てえええええええええ!」


 ってまじで待て! 足以外と早えな! お前六十歳だろ!

 だが、俺もサッカー部の端くれ。足で負ける道理なんて……


「っぐ、痛っっつ!」


 俺の足に、激痛が走った。どうやら窓から侵入した時に、足を挫いてしまったらしい。


『だ、大丈夫ですか!?』


 杜島さんが血色を変えてこちらにくる。


「──まあ、これで全力疾走したら手術ものだな」


『そんな! 早くどうにかしないと!』


 その心遣いはありがたいが、今は校長先生を止めないといけない。

 なら──

「まあ待って。杜島さんは──」


 俺は作戦の概要を伝えた。


『……わかりました』


 そういうや否や、『俺』は走り出した。待てえええええと叫びながら校長先生を追う。


「はっはー! 私が走れないと思って油断していたのかぁ! 私はこれでも健康のためジムに通っているんだぞ!」


 いや知らんがな。そんなことを思っている間にも、校長先生と『俺』は走り続ける。

 まあ、そんなことはどうでもいいんだけどね。

 俺は


 よし、作戦完了。


 ん? 何が起こったのかよくわかってないって? 簡単なことだよ。

 まず俺は走れない。だから、杜島さんに校長先生に姿を見せた上で『俺』に化け、走ってもらった。そして校内を一周して俺のところに戻ってきたところで、本物の俺が足を引っ掛けるという寸法だ。


「は、はあ!? お前、なんで廊下の先に……」


「そんなことはどうでもいいんですよ。あなたは一体、何をしているんですか。場合によっては責任問題ですよ」


 俺はできるだけ冷たい口調で詰めよる。


「き、君はこの学校の生徒だろう? なあ、私のことは見逃してくれないか? 今は緊急事態で……」


「失踪事件ですか。それとも、40年前の自殺事件ですか」


 校長先生が息を呑む音が聞こえた。


「なんでまた、こんなことをしでかしたんですか。泥棒をして幽霊がいなくなるなら苦労しませんよ」


「こ、これは怨念なんだ! そうとも社会の力によって生きる道を歪められた少年が、みんなを引き摺り込んで……」


「小学生の噂と同レベルじゃないですか。そんなものを信じていたんですか?」 


 はあ、と俺はため息をついた。少なくとも俺が追っている幽霊騒ぎよりも明らかに情報の角度が低い。


「沼田さんはどう言っていましたか?」


「な、お前あのやりとりを聞いていたのか!?」


 名刺は俺のだしね。


「とりあえず、資料はもらいますね。それじゃあ、PTA会合を楽しみにしていてください」


「ま、待て! 私はお前が足をかけたことで怪我を……!」


 俺は無視して資料室に行った。さてさて、どんな奴が、『D組』なんてものをつくったのかな。


 俺は40年前の資料を漁った。『作成者』は自殺しているのだから、卒業しているメンバーの中に入っておらず、留年歴がない奴を探せばいい。


 俺はパラパラと資料をめくる。1人ずつ漁っていって──


「……は?」


 俺は呆けた、実に間抜けな声を出した。

 いや、違う。たまたまだ、たまたま。こんなの偶然の一致だろう。


 俺は震える手で卒業者名簿を上から下まで確認する。何度も何度も確認したが、


 俺は立ち上がり、捻った足を引きずって走り出した。


『ま、待って──』


 杜島さんの言葉は、俺の耳に届かなかった。


 その資料に書かれていた名前。それは──




 ──郷田、隆。

 名前だけじゃない。記録されている容姿や性格なども含めて、おれの友達である郷田と全く同じだった。

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