第28話 とある作成者 その資料

 俺は息を殺して、二人の会話を聞いていた。


「40年前ですか。かなり資料を探すのが難しいと思いますけど、手伝いましょうか?」


「いえいえ、そんな苦労を掛けるわけにはいかないので。私一人で探します」


 ……残念。さすがに、一緒に探してあわよくば資料をコピーしておく、ということはさせてくれないか。


「そうだ、少し終わらせたいこともあるので、少し待ってください」


 そう言って秋川先生は、カウンターに座った。俺に足が当たらないように、しっかりと配慮してくれた。


「ええっと、あれはどこに……」


 秋川先生が、俺のいるところに何かを探している風に装って、腕を突き出してきた。その手には一台のスマートフォンが握られており、俺の目の前で親指がせわしなく動いた。。


『どうしてほしいのかをこれに書いて、書き終わったら私の足をつついてください。そうしたら、私がその文章を読みます。一旦はこれで意思疎通を取りましょう』


 なかなか大胆なことをするんだな、と思いながら、俺はそのスマートフォンを取った。

 俺が今、校長先生にしてほしくないこと──間違いなく、資料を取られることだ。だが、それをどうやって止められる? 資料を得られなければ、と危機感に駆られているのだから、よっぽどのことをしなければ止められないだろう。

 俺はなにか、使えるものがないかと荷物を漁ってみた。

 ──沼田さんの名刺が見つかった。

 ならこれで、と俺は思った。

 校長先生の目を、他の方に向けてやればいい。


『資料室からできるだけ意識をそらしてください。30年前の失踪事件の時には、記者に詳細な情報が伝わっています。なので今回も資料を渡した、というふうにしてください。個人情報の漏洩だと言われるかもしれませんが、校長先生は今大概ピンチですし、そんなことを言える立場じゃありませんもし必要だったらこの名刺を使ってください。気を逸らすのに役立つはずです』


 俺はそう打ち込むと、名刺とスマホを一緒に渡した。


「いやいや、すみませんね。私もこんな歳になると、何かを探すのも一苦労で」


「ええ、ええ。わかりますよ。私も最近は腰も肩もよろしくない。それで、どうですか。仕事が終わったのなら、資料室を開けて欲しいのですが」


 さて、どうなるか──


「それがですよ」と秋川先生は話し始めた。


「実を言うと、先ほど確認していたのは、資料の行方なのです。相手の名前を思い出せなかったんですよ」


「相手!? それは、誰かに渡してしまったということですか!?」


「はい。沼田という記者に」


 秋川さんは実にあっさりと嘘をついた。ここまで悪びれることもないなんて、さすがは老獪だ。


「ぬ、沼田!? 嘘や、冗談ではないのですか」


「はい。この通り、名刺もありますよ。先ほどはこれを探していたのです」


 カウンターの天板の上を、紙が滑る音がした。


「こ、これは重大な不祥事ですよ! 仮にも40年も前の生徒でも、外部に情報を漏らすなど……」


 よし、ここまでは想定通りだ。

 わかりきっていた言葉に、秋川先生は全く同様する様子もなく言葉を返す。


「まあ、私もことの重大さはわかっていますよ。ですが、今は緊急事態なのではないですか? 生徒が何の前触れもなく消えていると言いますし、それを警戒しろとおっしゃったのは職員会議での理事長でしょう。それに、30年前のことは理事長が漏らしたと聞いていますが?」


 うっ、と喉を詰まらせた音がした。

 いや、俺は全くそんなこと知らなかったのだが。


「……わかりました。私は沼田というその記者にあたってみます」


 まさかあの男がまだこの事件を追っているなんて、と聞こえた気がした。一応追っているのはその息子だが、そんなことはどうでもいい。


 沼田さん、ごめんなさい。俺はあなたを囮に使いました。


 俺は心の中で形だけでも謝った。




 校長先生が出ていくと、「もう出てもいいですよ」という声が聞こえた。


「これで、あなたの望み通りでしょう。感謝してください」


「はい、それは本当に」


 俺は深く頭を下げた。


「それにしても、よく沼田さんと校長先生の関係をしていましたね」


「ああ、知りませんでしたよ」


 ん? 知らない?


 そええじゃあまさか秋川先生、カマをかけたのか? だとしたらすごいな。いくら歳をとっているからといって侮れない。


「それで、資料を見ていくかな? 少なくとも那久良くんは、悪用しないと信用しているけどね」


 そうします、と答えようとしたが、同時に姉からのラインの通知が来た。校長先生がいる時じゃなくてよかった。


『今どこにいるのか知らないけれど、とりあえず家に帰ってきてくれる? 大至急だよ。マルハラするぐらいには大至急だよ。』


 本当だ。文章の最後に句点がついている。


「ええっと、帰らなくちゃいけなくなったみたいです。よっぽど緊急の用事みたいで。なので、明日の朝一に来ようと思います」


 わかったよ、と秋川さんは言った。

 俺は図書室、学校を出て帰り路を歩いた。




「はーい弟よ。ちゃんと帰ってきたみたいだね」


 俺が家に帰ると、姉がそう迎えてくれた。耳を澄ませると、奥から父さんや母さんの声が聞こえる。


「それで、何の用だったんだ? 俺もそこそこ大事な用事をやってたんだが……」


「いや、もっと大事なことだよ。だからマルハラまでして呼んだんだし」


 そんなことがあるのか? オカルトの解決よりも大事なことなんて、そうそう——


「ちょっと遅くなったけれど——私の婚約者。結婚相手を紹介しようと思ったんだよ」


 ……確かに、オカルトなんかよりも大事だった。

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