第27話 とある作成者 その記憶

 秋山先生は一つ前の理事長の代から、この学校の図書室や資料室で司書をやっていた先生だ。『手記』を見つけた時にもいたあの先生と、またこんな風にめぐり合わせることになるとは。人生は本当に予想がつかない。


『ああ、確かに私がいたときにもいましたね、秋山先生』


 杜島さんは合点がいった様子で言った。


「40年前なら、秋山先生は間違いなくいる。あの人、定年とか関係なく働いてるしな……」


 秋山さんは、あの仕事が好きだと聞いたことがあるが——大概ワーカホリックなのだ。さすがに年によって体にガタが来て、そこまで長く働くことはなくなったらしいが、それでも六時まではいる。だから今行っても、図書室にいるはずだ。


 俺はさっそく、図書室に通じる渡り廊下へと向かった。


 予想通り、図書室のカウンターに秋山さんは座っていた。人が来なくて暇だったのか、やや古めの文庫本を読んでいる。


 秋川先生は俺に気づいて、「おや、こんな時間にどうしたんだい?」と聞いてきた。


「そのセリフ、こっちから言いたいくらいですよ……」


 ははは、そうですかと秋川先生は静かに笑った。


「私はここが好きなもので。まあ、最近は体がちゃんと動いてくれなくて、早く帰るようにしているんですけどね。それで、何かご用ですか? そろそろ帰ろうと思っていましたが、滑り込みセーフということにしておきましょう」


「それなら、話は早いです。秋川先生は、40年ほど前のことを覚えていますか?」


「ええ、私はまだまだボケていませんから。もちろん、完全に思い出すのは不可能ですけれど」


 秋川先生はわずかに顔を上に傾け、どこか遠くを見たような気がした。」


「あの頃は、私もまだまだ新人に毛が生えたようなものだったね。それに南梨能学園だって、出来てすぐの高校だった。だから、もうこの学校は私の一部みたいなものだ」


「それで、40年ほど前に何か事件があったと思うんですけれど」


 思い出話が加速しそうな雰囲気があったので、俺は早めに情報を引き出すべくそれとなく話を進める。


「おやおや、思い出話は嫌いかい?」


 普通にバレた。

 勘のいい司書は嫌いだよ。


「まあ、そうだね。確かに、事件があった。確か男の子が1人、身を投げてしまったんだ。詳しいことは、覚えていないけれど……痛ましい事件だったよ。だが、当時はこれがあまり問題にされなかった──いや、色々な力が絡んで、何も出来なかったというのが最も適切かな」


「いろいろな力ですか?」


 それは学校側から、問題にしないよう圧力をかけられた、ということだろうか。

 それとも──


 俺は目線でその先を促した。


「まずこれは、今よりも特に梨能市が閉鎖的だった頃の話なんだけれどね……どこかのシングルマザーの家庭──もう、顔も名前も覚えていないけれどね──が、地域のコミュニティから爪弾きにされていたんだ。そして自殺した生徒は、そこの子供だった。不幸なことにその原因を作った生徒たちは、梨能市でも古参と言われる家の子供だったんだ。それで、学校やその母親に、多大な圧力がかけられた。……止められなかった自分が悔しいね」


 秋川先生は、わずかに目を細める。


「それでも、学校側やあの母親も抵抗していたんだよ。母親は最終的に、この街から出ていってしまったけれど──先代の理事長は、自殺の原因を作った生徒たちを、無罪放免なんてことにはしなかった。ちゃんと、ある程度の罰は与えられたんだ──まあ、本当にずっと前の話だけれど。今の理事長は、学校よりも地域社会に貢献しようとしているしね」


 秋川さんは自分がこんな皮肉を言ったことが面白かったのか、声をひそめて笑った。


 それが──、『D組』ができた経緯なのか。俺は妙に納得したような心持ちだった。

 そして同時に、人間の特に醜い面を見たようで嫌な気分だった。

 いや、『ような』ではない。本当に、醜い面だろう。あの『日誌』にも杜島さんの親が深夜の外出を咎め、それで大騒ぎになった、というような描写もあった。


 それでは一つの事実を知れたところで、もう一つ聞くべきことがある。

 俺は秋川先生に聞いた。


「昨日、ここに誰か来ませんでしたか? それも、夜7時以降に」


「その時には、もう帰っているけれど……誰か来たのかな」


 秋川先生は、不思議そうな顔で首を傾げるばかり。なら、と俺は質問を変える。


「資料室に、誰か入ってきたような形跡はありませんでしたか?」


「はは、まるで探偵か刑事だね。そんな質問を受けるなんて、思ってもいなかったよ。でも、私は基本この部屋の鍵全てを預かっているし──これはちょっと悪いことだけれど、私が個人で保管しているからね。合鍵もないから、絶対に入れないはずだね。ところで、なんでそんなことを聞いたのかな」


 合鍵──それを校長先生が持っていなかったとすると、あの時校長先生は資料室に入れなかったのか。そうしたとき、俺が校長先生ならどうするか──


「それで、どんな理由なのかな。私が質問に答えたのだから、那久良くんが答えるというのは道理だと思うよ」


「そうですね。ちょっと話しづらいことなんですが……校長先生──正しくは理事長が、夜中に職員室をあさっていて、『次は資料室だ』のようなことを言ってい──」


「隠れてください」


 唐突に、秋川先生はそう言った。同時に、渡り廊下の先を指差す。

 ──そこには、校長先生がいた。


「あちらからこちらは、まだ見えていません。だから今のうちに、カウンターの下へ」


 俺はカウンターの下の、本来椅子と足が入るスペースに隠れた。


 そして三十秒ほど経った時、図書室のドアが開き、遠慮のない野太い声が聞こえた。


「秋川先生。資料室を開けてくれませんかね」


「おやおや、どうかなされたんですか。あなたはこの学校の歴史に興味があるなんて、思ってもいませんでしたよ」


 一瞬、両者の言葉が止まる。

 今の秋川先生のセリフは、校長先生への宣戦布告とも取れる皮肉だった。今の校長先生は学校の改革しようとし、この学校の大事な伝統を無くそうとしたことがあった。

 校長先生はごほん、と咳払いをした。どうやら舌戦は秋川先生の圧勝のようだ。


「……とある、40年ほど前の生徒を調べているのです。当時の私は、彼について関わりを持たなかったので、顔も名前もわからないのですよ。それで、もちろん開けていただけますよね」


 校長先生は言った。自信満々なその顔が、目に浮かんでくるようだった。

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