第25話 とある日誌 その不可思議

「本気で、言ってるんですよね」


「もちろん。むしろなんで君がそういうのか、それが僕にはわからないくらいだ」


 沼田さんは当然のことだと言わんばかりに、単調に言う。


  どういうことなんだ? 俺は確かにこの『手記』を読んでいたし──


 俺はカバンを開け、『手記』が入っていないか探した。嬉しいことに、ちょうど入っていた。


「ほら、このページを見てくださいよ!」


 俺は『手記』の一ページ目、前置きの部分を開いた。そこには以前の記憶と全くたがわず、『この手記が僕以外の誰かに読まれているのならば、』という書き出しで始まっている。


「どう見ても白紙じゃないか。君は……一体何を見てるんだ?」


 うまく、息ができない。今まで自分が絶対的なものだと信じていたものが、一度に崩れ去っていく感覚。


 俺はまともに頭を動かすことすらできず、ただ「帰ります」と言って席を立つことしかできなかった。


 これは、一体……


 俺が家に帰ると、たまたま早く帰ってきたのか、ちょうど姉が家にいた。


「……なあ、ちょっといいか?」


「どうしたの弟よ。何だか疲れているみたいだし──顔も青白くなってるよ」


 そうか、俺はそんな酷い顔をしているのか……。

 それを意識すると、さらに惨めな気持ちになった。


「ちょっと、これを見てくれねえか?」


 興味津々な様子で、姉は俺が差し出したノートを読み始めた。


「なんだか古ぼけてるけど……ただの、白紙のノートだね」


 姉も、沼田さんと全く同じ回答だ。それでも相変わらず、俺の目には端正なシャープペンシルの文字が映る。


「……ちょっと、出かけてくる」


 俺はそう言い残し、学校へと歩いた。

 あそこには、杜島さんがいる。


 俺は歩きながら、手記に貼られた写真を見る。これだけは、沼田さんにも見えていたはずだ。集合写真を詳しく見ていけば、杜島さんや渡瀬、野中さんなどの顔も見つけられる。


 そして1人の男子生徒の顔を捉えた時、俺の思考は止まった。そして再起動したパソコンのように、一気に処理を始める。


 その男子生徒は、おそらく那久良蒼汰だ。なぜわかるかというと──


 俺と、完全に同じ顔だからだ。


 他人のそらにや親兄弟どころの話ではない。俺から見て那久良蒼汰は伯父に当たるが、それがここまで遺伝することがあるのだろうか?


 何度見ても、そこに自分が写っているようにしか思えなくなっていく。

 脇の下や背中を嫌に冷たい汗が流れた。俺は何かを振り払うように、前もろくに見ず走り出した。




 ──俺と、那久良蒼汰との関係は、果たしてただの伯父と甥であるだけなのか?


 体を思いっきり動かしているのにも関わらず、俺の頭の片隅では気味の悪い推測が動き続けていた。


 だが、これでは


 俺は、なんであの手記を見つけられた? その原因は、もはや一つしか思い浮かばなかった。


 学校に着くと、すぐにあの廊下に行くことができた。俺の感情が乱れに乱れているのを杜島さんが察したらしく、


『大丈夫ですか?』


 と言ってくれた。


 ああ、優しいんだな。俺はなんの感情もこもっていない感想を抱いた。


「……なあ、これ、読めるか?」


 俺は『手記』を、杜島さんに見せた。するとすぐに、『はい。この手記が誰かに読まれているのならば──ですよね』と不思議そうに言った。


 やっぱり、幽霊には読めているんだな。俺は、


「これ、他の奴には読めてねえんだよ」


『……なるほど、この部屋の隠す作用が、文字にもギリギリ働いているみたいですね。それなら──』


 あくまで杜島さんは冷静に分析する。それに俺は「そうじゃない!」と叫んでしまった。


「なあ、俺は── 那久良蒼という『俺』は、

 

 ヒートアップした脳細胞は、ついにそんなところまで行き着いていた。


「例えば、俺がもしも幽霊だったなら? 俺はモノに触れているから、何かに取り憑いているのだろう。それがたぶん、本当の那久良蒼だ。もしも俺が、『那久良蒼』になる前があって、その時に 葉月さんが和樹さんにそうしたように、俺が俺を騙して自分は『那久良蒼だ』と思い込んでいるのだとしたら?」


 俺は頭の中の疑念をすべて杜島さんにぶつけた。


 根拠はない。感情に任せたような適当な理論だ。だが、見えていないものが見えているということ、そしてそれが。これが、俺にはまるで絶対の法則のように見えていた。


 俺はこれまで、俺があの部屋に入れたのも、杜島さんに会えたのも、あの『手記』が原因として根底にあると思っていた。それは、杜島さんも肯定している。


 そう、


「俺は……生きてるのか? 死んでるのか? それともそれ以下なのか? 俺は30年前に自殺してに来て、今になってこんな一人相撲をしているだけなのか?」


 俺はもはや、泣いているようだった。認めたくない考えがいくらでも湧き上がってきて、自家中毒に陥っていた。


「俺は……」


 その瞬間、俺は頬に強い衝撃を感じた。何が起きたのか全くわからなかったが、すぐに杜島さんにはたかれたのだと気づいた。


『……痛いですか。もし痛いなら、それが生きている証明になりませんか』


「そりゃあ、叩かれたからな……。でも、俺が那久良蒼汰の肉体を得ているのだとしたら、そんなのは全く根拠に」


 その先を言わせまいとするように、またもや平手が飛んでくる。


『そんなに生きている自分が嫌なんですか……。それなら』


 杜島さんは俺の腕を唐突に掴んだ。今度は捻り上げでもするのかと思うと──


 杜島さんは、俺の手のひらを彼女の方に向けさせて、それを自分の左胸に押し付けた。

 ──!?


 理解が追いつかず、俺はそのまま固まってしまった。

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