第22話 とある幽霊少女5

 俺は薄く街灯で照らされた道を、学校に向けて歩いていた。


『──それで、そこに今葉月も向かってるんだね? 杜島とかいう協力者にたのんでいるとか』


「ああ。だから多分、同時ぐらいに着くだろう」


 ──半分ぐらいしか、本当じゃないけどな。

 

 俺の心の声が聞こえない執月は、俺に気さくに話しかけてきた。


『君はなんで、あの和綺っていう子を手伝ってるのかな。そもそも、僕は彼女のことを今の今まで聞いたことがないぐらいだし』


 彼は自分にとって俺が脅威でないと判断した瞬間に、急に馴れ馴れしくなった。葉月をいたぶったときのあの態度とは打って変わって、人に好かれやすそうな雰囲気に変貌する。

 俺はますますこいつが嫌いになった。


「ちょっとしたよしみだ。うちの学校のOGなのと、ちょっとした約束のせいで、こんなふうにしてるだけだ」


『へえ、約束ねえ。幽霊と生きている人が約束するなんて……幽霊になって連れ添おうとでもしてるの?』


 お前と一緒にするな! と俺は叫びそうになった。

 彼女と俺の約束は手伝いの代わりに情報を得るという極めて健全(復讐の手伝いが健全かは置いておいて)なものだし、誰もがメンヘラだと思われるのは不快だ。


 俺は薄皮一枚で心の声を隠し、『どうでしょう』と曖昧な返事を返した。


 そのとき、俺のスマホに一件のメッセージが届いた。


『from NK:こちらは準備完了よ。協力はちゃんとしてくれるとのことだから、あとは重役のお出ましね』


 NKとは、野仲Nonaka和綺Kazukiが俺にメールを打つときにこの名前を使うと決めておいたものだ。『重役のお出まし』と皮肉が書いてあるのだから、俺のことを首を長くして待っているかもしれない。

 そうだ、こんな与太話をしている場合じゃない。俺だって毎日毎日の予習があるし、こんな場所に長居はできないんだ。


 幸い執月を見つけた場所は学校に近かったから、すぐに着いた。前のようにフェンスをくぐり……

 おや、と俺は思った。フェンスの周りにある草が、強く踏まれていたのだ。しかも、とても新しいものに見える。


 まさか俺以外にも夜学校に侵入する悪ガキがいるのか、とやや不安になったが、怪しまれると困るので俺は平然と彼を案内した。


『高校かー……何だか懐かしいな。葉月のことは高校の頃から知っていたし、好きだったんだけどねー、大学生になるまで話すことすらできなかったよ。まあ、今は僕と彼女はまさに一心同体ってところかな?』


 …………。


 俺は黙って校内に入り、2年生の教室があるフロアへと先導した。今日は懐中電灯を持ってきていないが、月がよく出ているから廊下は真っ暗というほどではない。


 さらに──


『え……今、夜7時なのに……。何で急に明るく……? ちょっと、説明してくれないかな──』


 俺はそれを最後まで聞かず、執月の後ろをただ指差した。その方向に執月が体を向けると、そこには野仲葉月と野仲和綺の2人がいた。


『ああ、葉月と、その妹さん。どうやら僕が遅れちゃったらしいね。ごめんごめん。それで、お別れは済んだの?』


 彼は猫撫で声で目の前の2人の幽霊少女に語りかける。


『ええ。それじゃあ、姉はあなたに返すわね』


 彼女が一歩下がってそう言うと、執月は待ってましたとばかりに自分の思い人のことを抱きしめた。


『ああ、ごめんねちょっと離れちゃって。妹さんとのお別れが済んだんだったら、僕と葉月はずっと2人きりで、ずっと一緒だ!』


 その時


『やっぱり、見下げ果てた男ね』


『……は?』


 この場の雰囲気が、一気に変わった。


『まだお別れができていなかったのかな? 嘘はつかないでね。僕が彼女を愛する気持ちは本物なんだし……』



 彼女はそう言うと、の頭を、ちょいちょいと触った。標的を締め上げる大蛇のような、そこ知れぬ笑みを浮かべて。


 そこから起こったことは単純だった。ただ、が、おかしなことを言うだけだ。


『え……葉月お姉ちゃんの彼氏さん……? え、何で私……?』


 一瞬この西陽に照らされた廊下が、絶対零度にまで冷やされたように感じた。勝ち誇った笑みを浮かべる和綺と、顔を幽霊でもなれないような真っ白にする執月。そして、何もわかっていない。状況は混沌を極めると言った感じだった。


 別にこれは、大それたことじゃない。ちょっとした使い古されたトリックの焼き増しでしかないのだ。

 俺は“和綺”に質問をしたときのことを思い出す。




『お前は、野仲葉月なんだろ?』


『一体何の話を……いえ、言った方が都合がよさそうね。あなたも作戦の協力者なんだもの』


 彼女は一瞬言い逃れをしようとしたが、すぐにやめた。


『ええ、そうよ。私は


 完全に、俺の予想通りだった。


『私は、あの男に無理心中させられたのよ。そしてちょうど幽霊になっている妹と川で逢った。たまたまあの男が目を離していたからよかったわ。でも問題だったのは、私が彼女のことを全く知らなかったことよ。『葉月お姉ちゃん』って呼ばれて、とっても不思議な気持ちだったわ』


 つまりそのとき、妹はすでに『部屋』に逃げ込んでいた。


『よくわからなかったけれど、それが私に魔を差したのよ。知らなかったから、知らない奴が酷い目にあっても、復讐の駒に使っても、心は痛まないと思った。だから……』


 おそらく彼女がやったことは、『入れ替わり』だ。使われた手口は『暗示』だろう。杜島さんが前の事件で雫さんが家にいなくても愛喜さんが気にしなくなるような暗示をかけていた。それと同じ要領で、『自分は葉月で、執月の彼女』というふうに暗示をかけた。幽霊は姿を自由に変えられるから、見た目も変えさせたのだろう。


 和綺を自分の見た目にし、自分を和綺の見た目にした。そしてその動機は──


『もしも最も私を愛していると豪語して私を殺した彼が、愛するべき人を誤認していたなんてわかったら、どれだけ絶望するんだろう、って思ったのよ。それが、あいつに対する最大の復讐になるって。はあ、そういえば、何で気づいたのよ?』


 そう俺は聞かれた。実際のところ『ちょっと引っかかるな』と思っただけで、それ以外はカマをかけるようなものだったが。

 まあ、一応根拠はある。


『その靴紐、変な結び方だと思って気になってたんだが……それ、外科医結びだろ?』


『……よく知ってるわね。感服よ』


 外科医結びとは、外科医が使う解けにくい紐の結び方のことだ。『葉月は医学部』と言う情報もあったし、もしかしたら外科医になろうとしていてそれを練習していた癖がでたのかも、と思っただけだ。




 とまあ、意地の悪い復讐が、これにて成立したのだ。

 本当の和綺には申し訳がなさすぎるが。


『は、う、あ、あああああああああああああああああああああああああああああ!』


 執月は絶叫した。それに追い打ちをかけるように、


『自分の好きな人もわからないで、よくあんな行為ができたわね。やっぱりあなたは──』


『黙れっ!』


『キャッ!』


 執月は和綺──本当は葉月──を殴った。俺は間に割り込もうとしたが、激昂した執月を葉月から引き剥がせない。


『葉月! なんで俺を騙すようなことをしたんだ! 俺はお前をこんなにも愛してるのに!』


 執月は両腕で葉月の首を絞める。その万力のような握力は、俺が太刀打ちするには強すぎた。わざわざ俺が介入できるここを使ったのに、全く計画倒れだ。

 これは、本格的にまずい。そう思った時──


「あ、那久良じゃねえかよ。ここ、一体どこなんだ? それに────何で、男が女の子の首を絞めてるんだ」


 想定外の闖入者が現れた。まるで鬼のように顔を怒らせている彼は、

 郷田だった。

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