第21話 とある幽霊少女4

 がらんどうの上にプラスチックの膜を貼り付けたような、冷えた目に射すくめられて動きが止まる。俺の身長は170cmとそこまで低いわけでもないのに、相手の身長が高いせいかとてつもない威圧感だ。


 いや、絶対にそれだけではない。人を人として見ているとは思えない、ハイライトの消えた瞳。嫌悪や軽蔑では表現しきれない純粋な悪感情が、その目に塗りたくられていた。


『……そう。見えてるんだ。何だか妙に行き先がかぶるなって思ったけど、つけていたのかな』


 執月は別に非難するようでもなく、ただただ淡々とセリフを読むように言う。

 そして和綺の方を向き、冷たく言い放った。


『……君、誰? とっても葉月に似てるけど』


 そうか。『部屋』に逃げた和綺は、誰の記憶にも残らない。だから、葉月の家族だとしても知らないのか。


『……妹よ。あなたは知らないでしょうけどね』


『そうなのかい? そんな妹がいるなんて、今まで聞いたことなかったけど……腹違いか何かなのか……まあ、いいや。君は僕と葉月の蜜月を邪魔でもしようとしてるのかな?』


『……全然、そんな良いようには見えな』


 べシィ、と和綺の頬が勢いよく叩かれた。


『何を言ってるの? 僕は彼女のことを愛して離さない。彼女は僕から離れない。このどこに、そうは見えない、なんて言葉を差し込む余地があるのかな』


 無茶苦茶だ。それはただの独占欲に過ぎない。本人の意思を無視したエゴイズムだ。

 そんな反論が頭をよぎるが、声に出せない。喉と腹の間で、行き場もなくぐるぐると回っている。


『そこの君は誰か知らないけれど……スズメバチの君。彼女とは、いったいどういう関係なの? 僕の邪魔をするんじゃなければ、すぐにでもここから去ってもらってかまわないけど』


 もし、そうじゃないのなら──

 そんな脅しが、言外に含まれていた。


『……だんまり? まあいいかな。ちょっと葉月、ここ来て』


 するとそれまで路地裏の外で、傍観者として存在していた葉月が、こちらにやってきた。


『役立たず』


 ──っ!


 執月は、葉月のセミロングの髪を片手で大きく掴むと、そのまま壁に叩きつけた。あまりにも当たり前のように行われた行為に、俺は声の一つも出すことができなかった。


『彼女が君の本当の妹なのかはわからないけど、もしそうなら躾はしっかりしないといけないでしょ。そうしなかったから、こんなに反抗的になっちゃって。甘やかし過ぎたんじゃない?』


 まるで子供を優しく叱るような口調で、明らかなDVは続く。


『だからさ、今日はちょっとお仕置きをしないといけないと思うんだよね。30年間経ったら、僕が知らないくらい交流が浅かったら、もう妹は姉離れしてるって思うのはわかるけれど、ちゃんと確認する義務があるよね。だから』


 執月はさらに髪を掴む手を強くして一瞬。さらに葉月の顔を壁に叩きつけた。


 これはおかしい。間違いなく、間違っているのはこいつだ。

 ──ここで動けないでいるなんて、そんな胸糞な自分であってたまるか!


 俺は恐怖を頭に置いてきぼりにして、執月に殴りかかった。その時俺は、そいつが幽霊であることすら忘れていたから、その拳はただ空を切る。


『なに? 君も何かしようって? もう、嫌だなあ……それじゃ』


 執月は走りだした。俺は追おうとしたが、ちょうど人の波が来て通れない。幽霊である執月と葉月は、そのまま人間の壁の向こうへと行ってしまった。


 後には俺と、恐怖で膝が動かなくなったようにへたり込む、和綺だけが残された。


「……大丈夫じゃなさそうだが、とりあえず立ってくれ。俺の手はすり抜けちまうから、お前が立たないと」


 彼女は弱々しく頷いたように見えたが、一向に立ち上がる気配を見せない。


 数分ののちに彼女は話せるほどには回復したようで、


『……あいつが、執月よ。はあ、全く変わっていなかったわね』


 彼女は余裕そうには振る舞っているが、指の先が震えているのが見て取れる。生前にも同じ光景を、目の当たりにしていたのかもしれない。


「……とりあえず、あいつが最低なやつだってことはわかった。お前の姉が酷い目にあっていることも」


 俺は震える声を押し殺して言う。


「だから、俺はお前に協力する。あいつは俺から見ても度を越してる。俺は……あいつが嫌いだ」


 けど、と俺は続ける


「俺にはあいつをどうすることもできない。だから──」


 俺は、彼女に『作戦』を伝えた。


「これも大概許されるようなものじゃないかもしれないが……まあ、その辺は俺の自己責任だ。安心しろ」


 けど、一つだけ──


「なあ、最後に確認なんだが」


 何? と彼女は聞き返した。


「いつからなんだ? いつから、そんなことをしてるんだ?」


『はあ? 質問の意図がよくわからないのだけど……』


 彼女は『はあ?』を具現化した


「もしかして、30 ──も、お前の復讐の一端──いや、それが本当の狙いだったのか?」


 彼女は目を見開いた。どうやら、を理解したようだった。

 



 よし、見つけた。顔の割れていない杜島さんが手伝ってくれたから、意外と早く見つけられた。といっても、もう午後7時過ぎだが……


 姉と親? まあ、放任主義だから大丈夫だ。


 そして俺の目の前には、執月がいた。


『君……何でまた来たの?』


 彼はとても怪訝な表情をしている。軽蔑を通り越して呆れ顔だ。


「まあ、別にいいんだよ。俺はお前と葉月の恋路を邪魔しようってんじゃないんだ。メンヘラくん』


『──へえ? じゃあ何をしようって言うんだい?』


 俺の挑発的な言動に、彼は眉をひそめる。


「あいつはな、ただ姉に最後の挨拶をしようと思っただけなんだ。30年も霊としてさまよって、そろそろ成仏しようかと思っていたらしい。そして俺は、お前と葉月を見つけて伝えるための、メッセンジャーってわけだ」


『じゃあ、何で僕たちをつけたの?』


 執月はまだ疑いの目を向ける。


「なに、今後の2人のデートプランでも探れたらと思ったんだ。予定が被ったらお別れどころじゃないだろ?」


 もちろん大嘘だ。だが、彼はそれを信じたようだ。


『そう、なら悪いことをしちゃったね。僕が知らないぐらいだ、きっとあまり交流は深くなかったんだろう。それでも、本当に消えてしまう前には会いたかった。良いじゃないか』


 だから、と俺は言った。


「俺と一緒に来てほしい。葉月さんの妹──和綺が通っていた南梨能学園に」


 俺は心の底で意地悪く笑った。そこに待ち構えているのは、だけだと、そう言いたくてしょうがなかった。



 ◇◆◇



 同時刻。郷田隆は、夜にもかかわらず学校に赴いていた。


(いやあ、まさか宿題全部忘れちまうとはな)


 彼は学校に宿題のプリントを忘れてしまい、それを取りに来ていたのだった。

 もちろん学校が空いているわけがないから、部内で伝わる『フェンスの割れ目』から校内へと侵入する。


 彼はまだ、この学校が今まさに復讐の場として用いられようとしていることを、知るよしもなかった。

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