第15話 とある幽霊少年4
ピンポーン。
インターホンの音が、誰も周りにいない午後の住宅街で響く。中でゆっくりと歩いているのか、なかなか応答はこなかった。だが10秒と少し経つと、ちゃんとドアが開いた。
玄関から出てきた老婆——渡瀬雫さんは玄関から外を見て、首を傾げた。なぜなら、そこには誰もいなかったからだ。すると——
『…………』
「…………!」
雫さんは目を見開く。その目の前には、一人の幽霊がいた。二十代ほどの若い男の姿をしており、その輝くような眼は真っすぐに、ただ老婆だけを見ている。
「あ、あ、そんな……どうやって…………」
雫さんはあたふたと困惑するが、よく見るとその口角がやや上がっていた。
「今になって、あなたに会えるなんて……私は、夢でも見ているのでしょうか……」
それに対して幽霊は、首を縦にも横にも振らず、ただ佇んでいるだけ。
雫さんと幽霊の目が交錯して数秒。幽霊は声を出さずに、わずかに口だけを動かした。その動きを、雫さんは必死になって追いかけた。
「な、し、う、り、や、ま。……梨瓜山、梨瓜山!」
雫さんは何度も言葉を繰り返し、自分の頭へと刷り込んでいく。そして幽霊は雫さんに背を向けて歩き出し、フェードアウトするように見えなくなっていった。雫さんもそれを追いかけようとして走り出した。
そう、そのタイミングで——
「うわっと」
「あっ!」
俺、登場。
「あ、す、すみません……。すこし、年甲斐もなく前を見ずに慌ててしまいました……」
雫さんは俺に頭を下げ、謝ってきた。
「いやいや、そんなに謝られることじゃありませんって。俺だって前方不注意ですし……」
その声で、雫さんは自分がぶつかったのが前家にきた俺だと気づいたらしい。ああ、と納得するような顔を見せた。
「どこかに行くんですか? 慌てていましたけど」
俺はわかりきっていることを聞いた。
「ええ……、ちょっと梨瓜山まで。何十年も前にはよく行っていたんですけどねえ……ここ二十年以上行けていませんけど」
「そうなんですか。そういえば十年ほど前から、道が変わっているはずですよ。大丈夫ですか?」
俺の言葉に、そんな……と肩を落とす雫さん。俺は見かねたような顔と声を
「それなら、俺と一緒に行きましょう。道ならわかります」
「……いいのですか? あなたの予定もあるでしょうに……」
「いいんですよ。そもそも梨瓜山は、俺のジョギングコース内です。ジョギングがちょっとした散歩に変わるだけですよ」
俺はそれじゃあ、行きましょう、と有無を言わせず先を進んだ。後ろから足音が聞こえることを確認しながら、歩幅を調節する。
そう、これが俺の作戦だった。
俺は雫さんの一瞬の隙を見て、角の先にいる幽霊少女に視線を飛ばす。同時に、あっちからも頷くという反応が見えた。
雫さんを一人で連れ出すにには、二つの大きな障壁があった。
まず一つ目が、初対面にほぼ等しい俺が雫さんを警戒させずに連れ出せるのかというもの。そして二つ目が、俺が行動を起こせる五時過ぎという時間帯には、家に愛喜さんがいること。これは翼真から聞いたことだ。面倒なことに、雫さんが消えると家にいる愛喜さんが何かするかもしれない。
だが俺は、それら二つを同時に解決する手段を思いついた。それが、幽霊である杜島さんの手を借りるという方法だ。
雫さんの前に現れた男の幽霊の正体は、実は杜島さんだ。渡瀬翼真が猫に化けたように、昔雫さんと駆け落ちした男性の姿になってもらった。
まず俺がインターホンを押し、出るまでの時間で全力ダッシュする。そして不思議そうにしたところに、杜島さんが現れるというシナリオだ。
ちなみに、その写真も杜島さんに探してもらったものだ。やはり実家の方には残っていなかったが、雫さん本人が大事にしまっていたらしい。そしてその中でも特に思い出のものと思われる写真が、今向かっている梨瓜山で撮られたものと思われるのだ。失踪事件が起きた頃よりも、もっと昔のフィルムカメラで撮られたものだったが、化けるには十分だった。
もちろん、声はわからない以上寄せられない。だから、杜島さんには口パクで意味深にメッセージを残し、それを俺が連れて行くという方法を採った。
そしてもう一つの障壁だが、学校で杜島さんが言っていた『暗示』なるものを使ってもらっている。これで雫さんの所在を、かなり長い間気にしなくなるそうだ。
けっこう凶悪な気がする……。
まあ、それはいい。こうして無事に連れ出せたのだから、あとは……
少し、不思議な感じがした。俺にぶつかったとき(俺の工作だが)の柔らかい物腰など、虐待をしていた母親とは、到底思えないところがあったのだ。
「……あの、梨瓜山に、何か特別な思い出があるんですか?」
「うーん、そうねえ」
雫さんはゆったりと、昔を懐かしむように話し始めた。
「私がまだ20ぐらいの時ですかね。私にも若い時があって、ちゃんと好きな人がいたんですよ。那久良くん、でしたよね。那久良くんにも、そういう女の子が、いるのかしらねえ」
余計なお世話ですよ、と俺は少々呆れ顔。まるで自分の色恋沙汰を語りたい惚気たJKみたいだ。女性は何歳になっても女性だって聞いたことはあるけど。
「彼は勉強も運動もできました……。私だけではなく、どんな人にもに優しくて……私たちはみんな、憧れたものでした。そしていつのことでしたっけ。私は、彼に告白したんです。私と彼は、晴れて恋人になることができたのですよ」
雫さんはくすくすと、恥ずかしそうに笑う。
「私は彼と結ばれるんだなって思っていましたし、彼もそう思っていてくれていたみたいでしたねえ。ですけど……私の父がそれを良しとしなかったんですよ。理由は至極理不尽なもので、彼の一家が“新参者”だから。それだけだったんですよ だから、よくあの山に行って、誰にも茶々をいれられない、二人の逢瀬を楽しんでいたものです」
結局は、駆け落ちも失敗してしまいましたけどねえ。もう、ずっと昔の話です。
「……それで、再婚されたんですよね。そのお相手の方は……」
俺は、さらに踏み込んでみた。
「仲は……良くも悪くもないと言った感じでしたかねえ……。ただ、あまり夫婦の親交も深まりませんでしたよ」
「それじゃあ、お子さん……翼真さんはどうですか?」
雫さんは首を傾げて、はて? と呟いた。
「郷田という男の子も、同じことを言っていましたね……。あなたも、不思議なことを言うのですね。そんな子供は、私は産んでいないんですけど……」
ですが、と雫さんは続けた。
「今覚えば、それが正しいのかもしれませんね。なぜあの部屋を私は使えていないのか……なぜあの部屋に、妙に懐かしいという感情を覚えるのか……」
そして、彼女は己の下腹部に手を当てる。
「……愛喜は安産だったはずなのに、なぜ私のお腹には、切開の痕が残っているのか……」
切開の、痕……! そんなところにも証拠が隠れていたとは。目から鱗だ。
だが俺の頭は、そんな程度のことでスッキリするような状態ではなかった。
この雫という女性は、本当に虐待なんてことをしていたのか?
考えれば考えるほど、ドツボにハマって行く感覚。その感じは抜けず、15分ほどで梨瓜山まで辿り着く。
「ああ、着きました着きました。ありがとうございました」
いえいえ、と俺は返すが、何とも言えない不安が俺の心にまとわりつく。何が、俺は一体何を不思議がっているんだ?
そういえば、渡瀬翼真はどこにいる? この辺りには見たらない。ちゃんと作戦実行前に、『梨瓜山に行く』と伝えていたはずなのに。何かに化けているのか?
俺は周りをきょろきょろと見渡した。その行動の意味を察したのか、杜島さんは俺に言った。
「ここに、幽霊はいませんよ。もし何かに化けていても、私も幽霊なので見分けられます」
もしそれを信じるとしたら、一体彼はどこに行ったんだ?
──あ。
俺の心の中に、ある一つの仮説が舞い降りた。もしこれが、正しいのなら……
「──雫さん!」
「な、何でしょうか……急に大声を出されると……」
雫さんは俺の勢いに少しビクッと震えた。だが、今はもっと大変なことが起ころうとしている。
「お願いです! 自宅の──愛喜さんの番号に、今すぐ電話をかけてください!」
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