第7話 とある日常と、その終焉

『きっと僕も──』


 俺はそこで読んでから、『手記』を閉じた。

 いつの間にか、今は朝8時。俺は、起きてからずっとこれを読んでいたのだ。


 いくら休日とはいっても、もう起きないと。さっさと朝飯作って食べよう。


 俺は自室から出て、キッチンに向かった。

 その時、姉の声がした。


「お、蒼。起きたんだ」


「おう、おはよ……」


 俺には、姉が一人いる。那久良奈々という、現在実家住まいの二十三歳だ。いつも、朝はこうして挨拶を交わしているのだが、今日は少し声が詰まってしまった。なぜなら。


「おい。俺は朝シャワーを否定する気はないが、ちゃんと服着ろ」


 姉はバスタオルを軽く体に巻き付けただけで、しかも隠すべきところを一切隠せていない。


「おやあ? 私の弟は姉の体に欲情するのかな~?」


「うるせえな。それ以前の問題だ」


 確かに俺の姉はスタイルがよく、郷田に『お前の姉と付き合いたい。紹介してくれ』と言わせたほどの人物だが。

 そういえば、と思って、俺は姉を見た。

 だいたい下腹部のあたりを。


「ちょ、ちょっと! 本当に私の弟はシスコンだったの!?」


 姉はびっくりしたように、バスタオルを体に強く巻き付けた。

 いやちげえよ。

 

「いや、と思って」


「──ああ、そういうこと。そりゃまあ十三週ぐらいだし、まだまだだよ。十月十日ぐらい知ってるでしょ」


「まあ、そんなもんか。もう籍は入れたんだっけ?」


「いや、せっかくだし結婚式の日にしようと思ってて。だからまだ私は那久良だよ。まあ、回文の姉を楽しみにしてて」


 姉は今、妊娠している。その相手とはまだ会ったことがないから知らないけれど、相思相愛なのは間違いないらしい。(母談)


「それはともかく、さっさと課題しなよ? 私の記憶が正しければ、そろそろ特進は忙しくなるでしょ?」


 へいへい、と俺は生返事を返した。




 月曜日、俺が学校に来ると、郷田が話しかけてきた。

「よお、ちょっといいか?」


「いいけど、なんだよ」


「頼む! お前の姉ちゃんを紹介してくれ!」


 そうだった。郷田は姉に惚れているのだが……まだ郷田には姉のおめでたを伝えてなかった。どう説明しようかな……。

 まあ、直球しかないか。


「ごめんな。もうお前に、チャンスはないんだ……」


 なんだと!? と郷田は聞き返す。


「今すぐ電話をかけてくれ、今すぐだ!」


 姉は今頃会社だ。絶対無理。

 

「相手は誰なんだ!?」


「さ、さあ……。でも、もう妊娠してるぞ……」


「畜生ォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!」


 俺は「ははは」と笑った。どんな時でも愉快なこの親友は、ついに人生初の失恋を経験したのか。


 ふと周りを見ると、みんな笑っている。嘲笑うような笑いではなく、和やかな笑い。このクラスは今日も良好だった。


  


 ——そして、この日常が壊れるのは今日から三日後。木曜日のことだった。




 ん? なんか変だな。そう思ったのが最初だ た。

 俺は今日、日直だった。それで出欠確認をしているのだが、どうにも数が合わない。この「影山」という生徒が、


「なあ、影山って知ってるか?」


 俺は郷田に聞いてみた。


「ん? ハイキューか?」


「いや、このクラスにいるんじゃないかって」


 郷田は不思議そうに首をかしげて



 は…………?

 おかしい。これは異常だ。郷田は「俺クラスのやつ全部覚えてるぜ!」と豪語するようなやつだ。

 ——もしかしたら?

 俺の頭の中に、最も不吉な想像が浮かんだ。


 放課後。俺は二年教室の前の廊下で立っていた。もしも、《《日誌に書いてあったことが本当なら——。

 ぼーっとつっ立ってみるが、周りの喧騒は消えない。もしかしたら、あの時はたまたま入れただけだったのか。


「なら──」

 

 あの部屋は逃げるための部屋。なら、逃げ込もうとすれば入れるはず。

 俺は、今一番起こってほしくないことを思い浮かべた。


 さらに失踪者が出る。

 郷田みたいな友達が失踪する。

 僕が失踪する。

 僕がみんなの記憶から消える。

 大事な人がいたとしても、記憶ごと消えてしまう。


「……嫌だ」


 俺はつぶやいた。そんなことは起こらないと目を逸らすように。その瞬間。


「──入れた、みたいだ」


 そこには俺の記憶通り、いつもの放課後の音の群れが存在しなかった。ただ暖かな雰囲気と西日が差す廊下。そしてD組だけがある。


 俺は、深く息を吸い込んだ。もう一度『彼女』に会えれば、もし彼女が味方をしてくれるのなら……!


「誰か! ちょっと前俺に声かけたやつがいるだろ! 話があるんだ!」


 俺の叫び声は、反響すらすることなく消えていく。


「いいか! また、あの失踪事件が起こったんだ! そして俺は、それについての手記を持ってる。だからお願いだ。が俺を止めてくれたってことは、これ以上被害を出したくないんだろ? 俺に協力してくれ!」


 必死になって張り上げた声も、まるでこの空間が騒音をかき消そうとするように、不自然なほど壁や床、空気に飲み込まれて──


『あなた……また、来たの』


 返事が、あった。

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