第5話 とある手記3

「D組?」


 僕は聞いた。そんなクラスはこの学校にないはずだ。


「ああ。いじめにあった生徒がいつでも逃げ込めるように、退避場所として死んだ生徒が作ったとか。まあ眉唾だが、面白そうだろ?」


 そう那久良は笑ってみせるが、那久良の『面白そう』は信用できない。いつも、やったことないことがあれば、それは『面白そう』になるのだ。


「あのう……それで、どうやったらその教室に入れるんですか?」


「知らん」


「「え?」」


僕と杜島さんの声が重なった。『知らん』? 下調べはしてたんじゃないのか?


「その自殺したやつってのもよくわからねえしな。ま、不祥事だから揉み消されてるのかもしれねえけど。まあとりあえず、学校を歩き回ろうかとな」


 さすがに無計画すぎる!

 いや待て。実はとてつもない意図があるのかもしれない。例えば、歩き回ることを目的とすることで、杜島さんと一緒にいる時間を引き延ばそうとか? それなら『見つからなかった』と諦めるまでの時間も短くなる。色恋大好きとはいえ、まさか以外にも策士なのか?

 僕は那久良の方を見た。彼は用意周到なのか、背負ったリュックから何かを取り出し──


「あ、懐中電灯忘れた」


 ……訂正しよう。那久良は策士でもなんでもない。まちがいなく純度100%の馬鹿の阿呆の安本丹あんぽんたん極楽蜻蛉ごくらくとんぼだ。


「ほら、僕が持ってきたから」


「さすが朝霧。頼りになるぜ」


 先が思いやられる。僕ははあ、とため息をついた。




そこから先のことは、ちゃんと考えていたらしい。学校に忍び込むルートだけはちゃんと確保されていた。


「いいか、正面から入るのはかなりリスキーだ。閉じられた校門を越えるのには無駄に時間がかかるし、誰かが通った時に言い訳ができない。だから、裏にあるフェンスの裂け目を使う。ちょうどあそこは木の裏で、破れているのに気がつかれていないらしい」


 言葉通り、僕たちはすんなりと侵入できた。


 校内は、暗く静まり返っていた。近くに街灯も何もないから、懐中電灯がないと何も見えない。そしてあっても、見えるのはほんの少しだ。


「うう……怖いですね……。怖くて後ろを振り返れません……」


ストップ! そんなこと言われたら後ろが気になるから!

 僕たちは廊下を進んだ。スニーカーを履いているのに足跡が響き、懐中電灯を持つ手が震える。

 そして角を曲がった瞬間──


「君たち、なんでこんなところにいるのかな?」


「うわあああああああ!」

「幽霊だああああああ!」

「きゃあああああああ!」

「あ、ちょっと!」


 僕たちは一目散に駆けだした。なんだか引き止めるような声が聞こえたけど……


「と、ま、り、な、さい!」


「ぐえっ」


僕の口からカエルが車に轢かれたような声が出た。どうやら、首根っこを掴まれているらしい。おそるおそる後ろを見ると……


「それで朝霧くん。深夜の学校に忍び込んだ言い訳を、どんなふうにしてくれるんですか?」


 そこには、真っ黒い笑顔の菜々美先生がいた。


「な、菜々美先生っ! こんな時間にどうして……」


「どっちのセリフだと思ってるんですか。今深夜時2時ですよ。確かに、残業があるとはいえ私も遅いです。でも校門も閉まってますし、どこから入ってきたんですか?」


「…………」


「だんまりね。それで、あと二人は誰? 那久良くんと杜島さん?」


 ……正解だ。これが教師の勘なのか。


「合ってるみたいね。それじゃあ、早く合流しましょうか」


「はい、それじゃあ……って、連絡手段があるわけじゃないんですから」


 最近はPHSなるものがあるらしいが、一高校生には手が出せない。


「なら、適当に探し回りましょうか。どうせ肝試しでもしてたんでしょう?」


 僕たちはまた歩き出した。一応那久良には予備の懐中電灯を渡しているが、杜島さんには渡していない。もし二人がはぐれていたら、かなり面倒なことになるだろう。


 その時。


「え……?」


 急に、明かりがついた。いや、どちらかというと「明かりがある場所に突然放り込まれた」なのか。視界が急に彩度と明度を増し、僕は目を眩ませる。


「ど、どういうことでしょうか。電気は消されてるはずなのに」


「あれ……先生、あれを見てください!」


 僕は近くにある教室を指差した。そのドアプレートには、2Dと書かれていた。その瞬間、那久良の言葉を思い出す。


「と、とりあえず開けてみましょう」


「そ、そうね……それがいいわ……」


 よし、ドアを……、

 …………?


「どうしたんですか先生。生徒の後ろに隠れたりして」


 菜々美先生は僕の体を盾にして、ガクガクと震えている。なまじ僕よりも身長が高いから、すごくアンマッチだ。


「いやその、生徒にはあまり情けない姿を見せたくないんですけど……私ホラーダメなんです…………」


 ……先生が頼りにならない。最悪だ。せっかく仲間がいると思ったのに、足手纏いじゃないか。

 僕は本日二回目のため息をつき、ドアに手をかけた。

 教室の中は、意外と普通だった。西日が差し込み、いかにも放課後の教室といった雰囲気で……


「え、今2時ですよ? 何が起こってるんですか……」


 言われてみれば、。教室の中、いや廊下も含めて時が止まっているような……


「駆け込み寺はいつでも開いてる、ってことかな……」


 逃げ込む部屋には、誰もいない。ただ二つだけ、黒板にメッセージが書いてあった。


『使い方。この部屋は、いつでもここにあります。どんなものからも隠れられるし、どんなことでも隠せます。この部屋が使われていない時、初めに使った人が部屋の《管理人》になるので、部屋の改造はその人にお願いします。その人が、全員がここから退出することになるので、注意してください』


そして隣にもう一つ、大きな字で『0』と書いてあった。おそらく使用中の人数だろう。

 どちらもかなり汚い字だ。チョークを使い慣れている教師が書いたというよりも、生徒が頑張って書いたような。


「これ、本当なんでしょうか……」


「わ、わからないですけど早く二人と合流しましょう! 朝霧君だけだと不安です」


「誰が誰に言うんですか……」


 僕はハットトリックとなるため息をつき、部屋から出た。すると、今度は明かりがなく、真っ暗な廊下に戻っていた。


「よし、それじゃあ……あ、電池切れました」


「いやあああああああああああああああああ!」


 明かりがなくなったとたん、菜々美先生が悲鳴を上げた。悲鳴で二人もこちらの場所がわかってくれるだろうし、初めて菜々美先生がいてよかったと思った。


「大丈夫か!」


 野太い那久良の声がしたと同時に、廊下の角から光が向かってきた。


「さっきの悲鳴は……うぉ!」


「うわあああああああああああああああああ! 来てくれてありがとうーーーー!」


 菜々美先生が、那久良に抱きついて泣き始めるというまさかの行動に出た。教師としての尊厳とか権威とか、そういうのが音を立てて崩れている。

 キャラ崩壊しすぎ……


「ちょ、ちょっと……まじで何があったんだ?」


「とっても泣いてますね……」


 当然呆れ顔の二人。


 ──こうして、僕たちの肝試しは幕を閉じたのだった。

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