第13章 予測は寸分の狂いもなく

 銀座2丁目にあるBVLGARIブルガリタワー、8階にある特別フロアは、招待客しか足を踏み入れられない、豪華なプライベートサロンだった。


 その夜、BVLGARIブルガリのプライベート空間は『創智未来産業コーポレーション』の貸し切りになっていた。

 20名が着席できるディナーテーブルと、30名が収容できるラウンジフロアに、バーカウンターが併設された広い空間を、この日はたった5名の客のためだけに使われていた。


 一面のガラス張りで、銀座の夜景を一望できるラウンジでは、世界的オペラ歌手がピアニストを従えてアリアを響かせていた。

 ディナーテーブルには、BVLGARIブルガリレストランの有名シェフによるフルコースが用意され、テーブルの中央には、ピエモンテ州バローロ地区から取り寄せた“イタリアワインの王様”が赤く光っている。

 

 この夜は、最近ユウジの会社に5億円を投資した、製薬会社の社長夫妻と役員夫妻。そしてホストを務めるユウジが座っていた。


「高山社長、本当に最高のおもてなし。……これは感動ですわ」


 華麗なイブニングドレスに身を包んだ社長夫人が、目を潤ませながら言う。


BVLGARIブルガリレストランは、よく利用しましたけど、まさか、こんなプライベートルームがあるなんて、今まで存じませんでした」


 と、役員夫人も合わせる。


「恐縮です。こういう場を設けるのは、私の楽しみでもありますから」


 ユウジは落ち着き払った微笑みを浮かべ、グラスを口に運んだ。

 姿勢、言葉、振る舞いのすべてが“品位”を演出し、ユウジの男っぷりが二人の夫人を酔わせていた。


 製薬会社の社長は、酔いが回り、少し舌をもつらせながら言った。

「凄いねえ、高山くん。たった10日で配当が300万なんて……! 過去最高、最速リターンだよ」


「まだ口は残ってますか?」


 と、隣の役員の男が言い、製薬会社の社長が続けた。


「あと10億、任せちゃおうかな。これだけの成果見せられちゃったら、ね。文句のつけようがないよ」


「ありがとうございます。ですが、あいにく、10億分の口は、もう残っておりません。昨日でほぼソールドアウトです。1〜2億の口なら、なんとか都合できるかもしれませんが……」


「えー、そりゃないでしょう。うちの社長は、おたくで一番の大口でしょ? なんとか便宜図ってくださいよー」


 と、役員の男が、社長におもねるようにユウジに懇願する。


「そうは言われましても……」


 彼らに冷静な表情を見せつつも、ユウジの心の中は興奮で狂喜乱舞していた。

 来週、10億が入れば、全体で粗利が25億近くに達する。

 目標額を確実に超える。もう手仕舞てじまってもよい。


 これだよ、この感覚。生きているという実感──。


 ユウジは、自分が目指した目標に達した高揚感と達成感に酔っていた。

 そして、この夜は珍しく酒の酔いに身を預ける気になっていた。




 BVLGARIブルガリの食事会からオフィスに戻ったユウジは、まだ会社で残業をしていたミナを社長室に呼び出した。

 そして、リボンがあしらわれた小さな箱をミナに差し出した。

 BVLGARIブルガリのロゴが刻まれた箱の中には、ダイヤモンドが付いたペンダントチェーンが収められている。


「……え、これ、私に?」


 ミナは一瞬、戸惑いの表情を見せ、箱を開けてから頬を紅潮させた。


「受付として頑張ってくれてるからな。これは俺からの感謝の気持ち」


「え……すご……」


 そこへ、文也が現れ、二人のやり取りを見て、驚いた表情を浮かべる。


「兄貴……ありがとうございます! ミナのことまで気にかけてくださって」


 文也は感謝に満ちた、今にも泣きそうな目でユウジを見つめる。

「ユウジはミナを嫌っているのでは?」という懸念をずっと抱え、密かに悩み続けていただけに、このシーンは文也の胸を熱くした。

 ミナはうっとりとした表情でペンダントを見つめ、箱に刻まれたBVLGARIブルガリのロゴをいつまでも指でなぞっていた。


 それから数日間、ユウジは二人を連れて、たびたび高級レストランを訪れた。


 都内でも屈指の、予約困難な店ばかりだった。

 カウンター越しに握られる季節の寿司、個室で供されるジビエのフレンチ、星付きの中華料理店。

 どれもが、ひと皿ごとに、壮大な物語を感じさせる、見事な料理ばかりだった。


 ユウジは料理について語りながら、常にミナの様子を観察していた。

 高級レストランに、馴染みがない文也とミナは、最初こそ遠慮がちだったものの、回を重ねるごとに、素直に楽しむようになった。


 皿の上の芸術、デザートの細工に「すごい……」と喜び、「やっぱり美味しい!」と、声を上げるようになっていた。


 ワインのグラスを傾けながら、ユウジは遠くを見ながら語った。


「俺が将来、家庭を持つとしたら——

 その人には、最高の贅沢をしてもらいたいと思ってる」


 ミナは、グラスの縁を指でなぞるように撫でていた。

 頬には微かに朱が差し、口元には笑みを浮かべているが、瞳の奥には、ユウジに対する好奇心が宿っていた。


 イケメンでお金持ちなのに、なんでこの人、彼女がいないんだろ──。


「……兄貴の奥さんになった人、絶対幸せだろうね」


 文也の言葉に、ミナは目を伏せた。

 これから現れるであろうまだ見ぬユウジの妻に、なぜか嫉妬心が湧いていた。


 ミナの目の動き、自分を見つめる様子に、ユウジは確信を持った。


 落ち始めているな、こいつ……。


 いよいよ次のステップに移る段階だった。




 ユウジは、アパートに刑事が訪れて以来、一度も中野の家には戻っていなかった。

 今は毎日、赤坂のホテルの部屋に寝泊まりしている。


 ある日の午後、ユウジはホテルのカードキーを文也に預け、こう言った。


「これお前にも渡しとく。今日明日の打ち合わせは、俺の部屋でやろう。

 それからミナに伝えてくれ。俺のモバイルバッテリーが、会社に置きっぱなしなんだ。後でミナに持ってきてもらいたい」


「わかりました」


 その夜、ユウジは部屋で、ミナの到着を待っていた。


 ユウジの特異な能力の一つに、“タイミングを読む力”がある。

 それは、人の性格と周りの状況を、正確に察知できるからこそ導き出せる、高度な判断力だ。

 数分の差、時には数秒のズレもなく、人は必ず、ユウジが予測した位置に収まる。


 この能力は、ユウジを優秀な詐欺師に仕立て上げている要素の一つだった。

 ユウジの攻める時と引き際のタイミングの計算は、まさに神レベルだった。

 そして今、この能力は、“ミナ排除計画”に活用されている。


 ミナがスイートルームの部屋をノックし、ユウジは中に導き入れた。


「ありがとう。忙しいのに悪かったね、飲む? それともこっちがいい?」


 ユウジはミナに、ペリエの小瓶とシャンパングラスの両方を差し出した。

 ミナは迷わず、シャンパングラスを取った。


「……なんか、すご〜い部屋! ここで一人暮らし?」


 ミナは、このホテルのトップスイートを見回しながら、グラスを口に運ぶ。

 トップスイートに移ったのは、ユウジは今日初めてだった。

 ユウジにとって広すぎる部屋は落ち着かず、実は、あまり好きではない。だが、この部屋は、今、舞台装置として必要なものだった。


「とりあえずな。いずれ引っ越す」


 沈黙が一瞬落ち、ミナが不意に笑う。


「……ユウジさんって、女の人、興味ないの?」


「……タイプがある」


「じゃ、私は?」


 その声の響きに、誘惑の色が滲んでいた。

 ユウジは一拍遅れて口元を歪める。


「……正直、タイプじゃない。でも——今夜は別かもな」


 そう言って、ユウジはミナの肩に手を伸ばす。

 ミナは拒まなかった。


 ふたりの唇が触れ、部屋の灯りが落ちた——。



 1時間後——。

 トップスイートのドアが静かに開いた。

 カードキーを手にした文也が、中野から、ユウジに必要な私物を運んできたのだ。


 ユウジが計算した通りのタイミングで、文也はキングサイズのベッドで眠る、ユウジとミナを目撃することになった。


 ミナは何も気づかず、眠りこけていた。

 ユウジはもちろん起きていたが、寝たふりを続けた。

 

 文也は静かに、そのまま部屋を出ていった。


 こんな時でさえも、二人を起こさないように気遣う文也が、とても愛しくそして哀れで、ユウジの胸はキリキリと痛んだ。


 ──ごめんよ、文也。でもこれがお前にとって、最善なんだ。

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