三人目:萩野谷 秋介 ~天才ゆえの悩み~ 秋介視点

 自分で言うのもなんだが、オレは小さい頃からなんでもできた方だった。野球もサッカーもテニスもバスケも水泳もその他のありとあらゆるスポーツもできたし、勉強だって文系だろうと理系だろうと苦手科目は特になくてテストの点数はクラスで上位だった。

 萩野谷はぎのや君は何をしてもすごいね。そう言われて嬉しかった。


 だが、どれも人よりも少しできる程度で終わってしまう。飲み込みが早いから他の人よりも早くできてしまうのだが、それを突き詰めることはしなかった。ある一定のところまでは誰よりも早くできてしまうのだが、それ以上に上達することはなかった。そうこうするうちに、オレが越えられなかった天井を越して至高の領域に達する奴が出てきた。

 野球がとてつもなくうまい奴はプロ野球の世界で活躍していたし、得意科目は理科しかなかった奴は今や人を救うすごい薬を開発していると聞く。

 オレはきっと器用貧乏なんだろう。だから全てが中途半端で終わってしまう。

 一芸に秀でた奴が活躍する裏で、オレは夢という夢もなく高校に進学した。そこで出会ったのが演劇だった。その世界ならどんな役にもなれて、ひとつの舞台が終わればまた別の役が回ってくる。オレは短期間でいろんな役を演じた。貴族、町民、兵士、歌手……全てを難なくこなしてきた。その面白さにオレはのめり込んだ。

 だが、それも全て中途半端だった。

 有名劇団の舞台に立っていた、高校の同級生だった一里塚七星を見た。

 圧巻だった。頭からつま先まで、全てが演じている役に染まっていた。世界観に飲み込まれる感覚を初めて味わった。演じるために生まれてきた奴なんだと思った。

 オレはやっぱり中途半端だ。何もかも。全部中途半端で放り投げて次から次へと手をつけて。無駄なことばかりだった。演劇から身を引こうと思っていたオレの目の前に、七星が現れた。


「で、今日も懲りずにスカウトにきたわけ?」

「君が首を縦に振るまではね」

「諦めが悪いねぇ」

「それは君がよく知っていると思うけど」


 ふと高校の頃を思い出した。七星が廃部寸前だった演劇部を復興するために、毎日勧誘活動をしていたことがあった。断られてもめげずに毎日ビラを配ったり声をかけたり、人一倍動いて動いていた。オレも勧誘されて演劇部に入った。

 七星の懸命な勧誘活動のかいもあり、部員が集まった演劇部は廃部の危機を乗り越えた。そして七星が高校三年の夏。演劇のコンクールで上位入賞を果たした。


「今回も高校時代と同じで、めげずに勧誘活動をしているわけだ。それで、団員は増えた?」

「ふたり増えた。そして今、三人目が増えようとしている」

「よせって。高校の頃とは違ってオレは入らないから」


 七星はそこでいつも、どうしてか分からないというような不思議な顔をする。逆にオレが、どうして七星がオレを勧誘しにわざわざ来るのかよく分からない。一流を極めた七星の周りにいくらでも凄い奴はいるだろう。


「聞きたいんだけど、七星はオレに何を期待して勧誘してる?」

「劇団トゥルナンにふさわしい精鋭達を集めたいんだよ。そこで、秋介しゅうすけに是非とも入ってほしい」

「精鋭って。オレはそこまで凄い演技できないけど?」

「私は秋介以外に、器用に全ての役を演じ切れる人を見たことがない」

「演者なら与えられた役を演じるのは当たり前だろう」

「その当たり前ができるのが、秋介の凄いところなんだ。シリアスな役もコメディな役もこなせるのはひとつの才能といっていい。秋介はどんな役でも変幻自在に演じ分けられる。まるで主役を引き立て、時には主役以上に味わい深い印象を残す名脇役のような。それは並大抵の演技力では不可能だ。役柄への理解はもちろんだけど、秋介はいろんなことを経験しているから、その役の心情や台本には書かれていない裏の設定なんかを、自然と考えて役作りしているんじゃないかなと思っていたんだけど、どうかな」


 ——萩野谷君、雰囲気変わったね。今度はどんな役だったかな。


 高校の時、役柄が変わるたびに必ずと言って良いほど七星はオレにそう言って声をかけてきた。

 オレ自身は雰囲気を変えたつもりはあまりないのだが、七星にはそう感じたらしい。

 自分が演じる役の裏の設定を考えるのは好きだった。それは好き勝手に考えたわけじゃない。台本を読み込んでいると、自然とその役の感情や過去が頭に入ってくる。

 七星の言うとおりなのかもしれない。

 オレは、今まで手をつけては手放していたもの全ては無駄だとばかり思っていたが、誰も得られたことのない経験値こそがオレの強みだったのかもしれない。

 野球しかしてこなかった奴は、数学の計算し尽くされた見事な方程式を解き終えた感動を知らないし、理科しか得意じゃなかった奴はスポーツで強豪と一進一退の攻防を繰り広げている時の緊迫感を味わうことはない。


「私が立ち上げた劇団トゥルナンには、君の柔軟な演技ができる俳優が必要だ」


 七星はそう言って右手をさしだした。高校の時の勧誘と同じだ。


「演劇は主役だけが目立っても仕方がない。出演する演者みんなで最高傑作を作り上げるんだ。だから、誰ひとりとして欠けたらいけない。一緒にこの世で一番の舞台を披露できる劇団を作ってほしい」


 みんなで、か。そういえば、高校の時に勧誘された時も、七星は同じようなセリフを言っていた気がする。オレはいつしか、オレ自身が一番にならなくてはと思い詰めてしまっていた。輝く舞台で活躍する奴らを見て、オレには無理だとオレ自身を諦めてしまっていた。

 主役だけが全てじゃない。みんなで作るから、その舞台は輝くんだ。忘れていた。

 それに、七星の諦めの悪さはよく知っている。これでオレが何度断ろうと、こいつは地獄の果てまでついてくるだろう。なぜ七星がここまで躍起になっているのかはだいたい想像がつく。だからオレは、両手を空へと突き上げた。


「降参だ。分かったよ。オレが必要なんだろう? 劇団トゥルナンだったっけ。入団するよ」

「ありがとう、秋介」


 差し出された手を改めて握ると、七星はホッとしたような顔をした。


「それで、オレに声をかけたってことは、ひいらぎもなんだろう?」


 七星の顔が一瞬で強張った。まだ、しこりが残っていたんだろう。だからあの有名な劇団を辞めて新たに劇団を立ち上げたことくらい、オレには分かる。


「秋介は、ひいらぎ真冬まふゆの居場所、知っているのか?」


 不安気なその問いに、オレは躊躇うことなく頷いた。

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