クジラの詩

@nanashinosakka463

第1話 邂逅

子供の時、俺は一度だけ神様を見たことがある。


白く巨大な体躯、圧倒的な存在感とすべてを飲み込むような恐怖感。

無感情のような瞳。

大人になった今だからこそその存在が何だったのかは理解している。


シロナガスクジラ、世界最大の哺乳類とされる大型のクジラだ。


俺はその存在と、すべてを奪った海に惹かれて……いや、心酔といってもいい

それほどまでに俺の心はずっと囚われている。


二十五年前とある海難事故が起きた。 


整備の点検ミスによる岩礁への座礁事故により沖合で小型旅客船が沈没。

乗船していた人間は俺を残して全員死亡。

唯一の生存者となっちまった。


「母さん…父さん…」

今でも鮮明に思い出せる。

あの時両親が着せてくれたライフジャケット

食料品が入ったリュックが偶然岩礁の浅瀬に引っかかっていたこと

いくつかの偶然が重なり俺は生き残ってしまったのだ。


海に投げ出された俺は衝撃で一度深く沈む。

浮き上がっていく直前に見てしまった、いや魅入ってしまったのだ。

シロナガスクジラを。


息を忘れる。圧倒的なその姿に呑まれてしまう。白く大きく優雅なその姿。

クジラの鳴き声。目が合った気がする。

恐怖で叫ぶも口からは空気の泡しか出てこない。

鳴き声が身体に響く、痛くないのに痛い気がする。


気づいた時には海面に浮上していた。

必死に岩礁まで泳ぐ、浅瀬にしがみつき泣きながら岩上に登る。

「…あれ、なに?」

シロナガスクジラが海面から跳ねる。


恐ろしいはずだったのに何故か目が離せない。

「かみさま…」

そう小さく呟いて俺は魅入ってしまったのだ。


「お腹すいたな…」

しばらく岩礁地帯で過ごすが誰もいない。周りは海しかない

あたりを見回す。見覚えのあるリュックが浅瀬の岩場に引っかかり漂っていた。

泳いで取りに行く。中身は保存食、水が入っている。

船に備え付けられていたものだった。

乾パンの蓋を開け食べる。


「おとうさぁん、おかあさぁん…」

涙が止まらない。それでも食べることは辞めない。

必死に生きようと子供ながらに生きようと必死だった。

二日。あっという間に食料は尽き俺は限界寸前だった。


身体よりも先に心のほうが限界だった。

気力が尽きかけたころヘリコプターの音がする。

船と連絡がつかなかったため様子見に来たらしい。


俺は気絶してしまったためどう助けられたのかは記憶になかった。

助かった奇跡の子などとメディアが騒ぎ立てたりしたが子供の俺はそんな大人の同情や奇特な物を見る目が嫌で仕方なかった。

インタビューには何も答えず、事情聴取なども何も話さなかった。何も話したくなかった

ずっとクジラの声が耳から離れなかった…

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