第13話ー美術準備室
【美術準備室の聖痕】
放課後の廊下はしんと静まり返り、蛍光灯の明滅が老朽化した校舎の脈拍のように点滅していた。
美香は、四階の美術室の奥、準備室の扉をそっと開けた。重い引き戸の音が、空間の静けさを裂く。
美術準備室――
そこは細長く、使い込まれたイーゼルや石膏像、木炭の匂いに満ちた、時間の止まったような部屋だった。
窓のカーテンは半分ほど閉じられ、外の光はそこに浮かぶ埃を照らすばかり。
だが、南向きのガラスをいっぱいに開け放てば、眩しいほどの午後の陽光が差し込み、陰影の輪郭を際立たせた。
諏訪男はすでにそこにいた。白衣のようなスモックを羽織り、机の上に一枚の写真を置いていた。
「……座れ。補習をはじめる」
彼が差し出したのは、かつて授業で何度も取り上げたマイヨールの
その女性像は、縄に縛られながらも、どこか甘美な苦悶を湛えていた。
「描くのではない。今日は……“見る”側ではなく、“在る”側を体験してもらう」
美香は眉をひそめた。
「モデルに、なる……んですか?」
「そうだ。お前はまだ本当の意味で“描く者の視点”に立っていない」
諏訪男の声は、決して怒気を含まない。むしろ、教師としての熱意のようなものすら帯びていた。
「この像のポーズを、再現してくれ。自分がどう“かたち”として空間に在るか、知るには、それが一番手っ取り早い」
言い訳のような、しかし周到に準備された台詞だった。
美香は戸惑いながらも頷いた。諏訪男が示すものに、まだ明確な悪意は見えなかった。
ただ、胸の奥で何かが鈍く警告を発していた。
「それと……服装だが」諏訪男は目を細めた。
「授業でも言ってきたが、人体の構造を学ぶには、ジャージのような余分な布では意味がない。“夏服”でないと」
その言葉は、かねてより彼が美術の授業で繰り返してきた理屈だった。
「“夏服”が一番、線が見える」
美香はわずかにためらった。
しかし、それは命令ではなく“指導”であり、反論の余地を与えられたふうを装っていた。
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