第11話ー反省文
【反省文という名の抑圧】
補導の翌週の月曜日。予感は、裏切られることなく現実となった。
案の定、美香は職員室に呼び出された。
(ああ……やっぱり、来たか)
その思いには、驚きも怒りもなかった。
ただ、予定された儀式が静かに幕を開けただけのこと。ため息にすらなりきれぬ、無味乾燥な確認の声だった。
放課後の職員室は、まるで消し忘れた火事現場のようだった。
煙が低く垂れこめ、光の筋が白濁している。昭和という時代の名残が、天井の蛍光灯をくぐもらせ、タバコの臭気とともに漂っていた。
諏訪男は、書類の山の奥に沈むように座っていた。だがその目だけが、煙の帳をかき分けるように、ゆっくりと美香をとらえた。
そして、乾いた声で告げた。
「反省文を書け。千字以上だ」
命令というより、判決に近い声だった。
諏訪男の眼差しは、彼女の内側にある“書かれるべきもの”をすでに見通しているかのようだった。
【ただ歩いていただけ】
美香は自室の机に向かい、ペンを握ったまま、しばらく指先だけが宙を彷徨っていた。
原稿用紙の罫線は冷たく、無言のままこちらを見返してくる。
——私は、何を反省すればいいのだろうか。
繁華街にいた。ただそれだけのことだった。
何かを盗んだわけでも、誰かを傷つけたわけでもない。
ただ、家に居場所がなかった。だから歩いていた。しかも制服ではなく、私服だった。
それを――教師たちは「校則違反」と呼び、諏訪男は「反省文」を命じた。
罪の自覚もないまま、裁かれることの理不尽。
それを千字で語れと?ペン先が止まったまま、美香はふと、クラスメイトの真理の顔を思い出した。
彼女は最近、女子グループに目をつけられ、からかいや暴力にさらされていた。
髪を引っ張られ、教科書を隠され、時には机に押し倒されるほどの仕打ちもあった。
真理は、助けを求めて諏訪男に声をかけた。だが、彼は言った。
「子ども同士のことに、教師が関わるのはよくない」
——何も変わらなかった。何も守られなかった。加害者たちは今日も笑い声を響かせ、真理は机の陰で目を伏せたままだ。
なぜ、暴力をふるう者たちは咎められず、ただ歩いていただけの自分が、こうして“犯罪者”のように裁かれているのか。
怒りではない。悲しみでもない。
美香の中にあったのは、言葉にすらならないほどの詰まりだった。
喉の奥に、小石のような沈黙がこびりついている。深く、どこにも行き場のない不条理が、熱も音もなく、心の内に居座っていた。
それでも美香は、どうにかして原稿用紙を埋めた。
見せかけの後悔と、空っぽな誠意をつづりながら。彼女は最後の句点を打ち、用紙を伏せた。
そして、ぽつりと心の中でつぶやいた。
(こんなんじゃ、却下されるかも....)
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