恥辱の構図──捕らわれの美術準備室

理央

第1話ー序章

北朝鮮では、韓国ドラマを観ただけで処罰されるという。


そんな話を聞けば、多くの日本人は眉をひそめ、「ありえない」と笑うだろう。


だが――かつて、この国にも、笑えない時代が確かにあった。


しかも、ほんの数十年前のことだ。


高度経済成長の余韻に浮かれながら、心の自由だけが置き去りにされた1980年代初頭。日本列島がまだ“空気”で人を縛っていた時代。


その管理教育の最前線――いや、象徴とまで言われたのが、名古屋市の公立中学校だった。


本作の舞台は、まさにその名古屋。


1980年代前半、沈黙を強いられた教室、従順を刷り込まれる生徒たち、そして“教育”の名のもとに行われた数々の暴力。


これは、そこで本当に起きた出来事をもとに綴られる物語である。


モデルとなったのは、筆者が中学生だった頃、実在した一人の美術教師―― 彼の存在は、今でも筆者の記憶に、濃密な「異臭」のようにこびりついている。


その男――長野諏訪男(ながの・すわお)という美術教師は、今なら即座に教育現場から排除されるような、数々の不適切な指導を平然と繰り返していた。


やがてその悪名は学校という小さな檻を越え、新聞の社会面を飾ることとなる。


筆者自身も、彼の「教育」によって心に傷を負ったひとりである。


そして歳月を経た今、記憶の奥に沈んでいたその痛みを掘り起こすうちに、あの時代の教育の異常さ――いや、“狂気”とも言うべき構造を、物語として遺す意味を痛感するに至った。


なにより諏訪男という人物は、現実と虚構のあわいにゆらめくこの作品において、最も濃密で、最も危うい素材である。


彼の存在そのものが、1980年代という時代の歪みを凝縮した“アートピース”なのだ。


諏訪男の美術の授業では、「芸術」の名を盾に、教師という絶対的な権力をまとって、女生徒たちに対する不適切な“指導”が当たり前のように行われていた。


その行為は教育ではない。ただの支配であり、嗜虐であり、そして……倒錯だった。


本作は、そんな彼と、ある一人の少女のあいだで交わされた、ねじれた関係を軸に展開する。


少女との関係を描いた「官能的な描写」のみは創作の要素も含まれているが、舞台となる中学校で実際に起こっていたこと――その根幹は、限りなく事実に近い。

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