占い部には魔女がいる
なすみ
第1話 「知らないままでいるの、もったいない気がして」
購買部で買ったパンを片手に、
手に塗っていたハンドクリームを、貰ったウェットタオルで拭き取っている所だった。
椅子を引き、スカートに気を配ることなく足を広げた彼女は、後ろ向きに座る。
そして、予め置かれていた
しかしそんな横暴に、鉄二は何も言わず、むしろ申し訳無さそうな動作で、更に弁当箱を手前に寄せる。きっと、普段から狭い机のスペースを二人で使っている——半ば彼女に占有されている為である。彼自身、それを当然のこととして受け入れつつあった。
昼休みの教室は、あちこちで弁当の蓋を開ける音と、笑い声で賑やかになっていく。空調の効いた教室に夏の日差しが差し込み、カーテンの色を透かしていた。
「あたしさ、ちょっとおもったんだけど」
沙夜が焼きそばパンに、自前のマヨネーズを絞りながら言った。鉄二と遥は、それぞれの弁当を口いっぱいに頬張ったまま、無言で頷く。
「さっき、購買言ったのね。で、帰り道に廊下で……一年の子だと思うんだけど、ぶつかっちゃってさ。勿論すぐに”ごめんね、大丈夫?”って声は掛けたんだけど……あの子、逃げるように走ってっちゃって」
二人が口の中にあるものを飲み込むのを待つようにして、彼女は続ける。
「あたし、そんなにビビらせちゃったかなって思ってさ」
少し大袈裟に落ち込む素振りを見せる沙夜に、遥は苦笑いを浮かべる。その隣から、鉄二が余計な一言を挟んだ。
「だって団子ちゃん、眼付き悪いもんね。メンチ切られたって思われたんじゃないかなあ」
「はあ? 怖かねえだろ?」
沙夜のトレードマークである、お団子ヘア。それになぞらえて、遥が中学の頃から勝手に呼び始めたあだ名だ。彼女も初めは、ちゃん付けで呼ばれる事に気恥ずかしさを感じてか、あるいは別の理由で怒っていたが、今ではもうすっかり慣れてしまっていた。
そんな団子ちゃんこと、沙夜の眉が寄せられる。キャップを閉めたマヨネーズを振り上げ、鉄二を睨みつけた。
体格差は座高にも現れており、座っていても頭一つ分は座高に差があるが、それでも鉄二はすかさず椅子を引き、大きな肩を丸めた。
「ほ、ほらあ、そういう所だよ。そうやって、ぼくの事も殺すんだ」
「殺さねえわ、少なくともあの子は!」
「ぼくは?」
遥はそのやり取りを横目に、思わず想像する。マヨネーズを振り上げて、ぶつかった相手に威嚇する沙夜——ではなく、ぶつかった一年生から見た、彼女の姿を。
幼く見える顔立ちと、平均より少し低い身長から、それに慣れ親しんだ自分などは、怖いという印象はそれほど抱かない。しかし、鉄二の様に制服をきちんと着る訳でもなく、おまけに校則など頭にないかのような金髪。そして耳に空いた、複数のピアス。
「ねえ、遥。あんたはどう思う?」
遥は口に手を当て、目を逸らしながら答える。
「ごめん、団子ちゃん……。俺も鉄二と同意見」
「お前もかよ。なんだこいつら」
沙夜は乱暴に一口目をかぶりつくと、口の端に着いたマヨネーズとソースを、親指で拭った。その所作すら、さながら喧嘩したヤンキーが、口の端から垂れる血を拭う様が重なる様だった。
「と、も、か、く。あたしが怖がられてるって話じゃなくて。……あたしとか鉄二と違って、遥ってさ。誰とでも分け隔てなく、仲良くできるタイプでしょ」
「え、俺は……」
巻き込まれた鉄二は一瞬、不服そうに声を上げたが、すぐに沙夜の眼光に閉口した。そしてすぐに、一理あると納得する。
彼もまた、体格が大きく、色黒な見た目からは想像が着かない程の内気な性格により、人付き合いを苦手としていた。
「だから、そういうのが羨ましい? っていうのかな」
言った後で、気恥ずかしそうに笑うと、パンの残りを口に押し込んだ。
「まあ団子ちゃん、短気だし」
言ってから、鉄二はすぐに焦った様子で弁当を頬張る。視界の端に、こちらを睨む彼女の顔が見えた。
沙夜はゆっくりとマヨネーズを振りかざすと、今度こそ鉄二の頭を叩いた。
そんなやり取りに笑いながら、思わぬことを言われたと、遥は心の内で驚愕する。
誰とでも分け隔て無く、仲良く。
それは正に彼の信条であり、祖母からの言いつけでもあった。
——誰かを嫌いになった瞬間、その人からは何も学べなくなる。
——他人の良い所も悪い所も、自分の糧にしなさい。
当時、小学校高学年だった遥に、祖母は何度も説いた。思い返せば、その時期に丁度、両親が離婚した。それも関係していたのかもしれない。
父方に引き取られ、母と離れてしまった事を思い出す。
それでも母を嫌うな。
自分に害を成す人間を嫌うな。
酸いも甘いも嚙み分けろ。
そう言ってくれていたのだと、気付いたのは最近になってようやくだった。
そもそも、小学校高学年の児童には、早すぎる信念である。
遥は、楽しそうに応酬を繰り広げる二人——丁度鉄二が、沙夜に弁当の唐揚げを盗まれて肩を落としている所だった——を横目に、教室の隅へ視線を向けた。
関根燈子。彼女はいつも、昼休みになると教室を離れる。
食堂に居るのか、或いはどこか別の場所で過ごしているのか。
思い返せば、高校二年生になって、早二ヶ月が経とうとしている今日この頃。これまで一度も、恐らく自分を含めた誰も、彼女とまともに会話している所を見たことが無かった。
無論、遥自身も何度か挑戦したことがある。
クラスメイトの殆どと親睦を深めた四月の後半。誰からも彼女の名前が挙がっていないことに気付き、話しかけに行った時の事を思い出す。
見たことが無い本を読んでいたので、どんな内容か。面白いのか。そんなことを聞いたことを憶えている。
しかし彼女は、そんな遥の言葉に対し、素っ気ない返事を返すばかりだった。
それでも諦めずに会話を続けようとしたのだが、彼女の端的な返事は、まるで血の通っていない物に思えた。会話を拒絶しようとしているのが、相手に伝わることを厭わないように、血の通っていない言葉。
不快感こそ抱かなかったものの、結局すぐにその場を離れてしまった。
初めの内は、自分の様に、数人が彼女へ近付き、同じように話しかけている場面を見た。けれど、その誰もが同じように追い返され、気付けば皆の意識からすっぽりと抜けている。そんな立ち位置に落ち着いていた。
素性も趣味も、昼をどこで過ごしているのかも知らない。そんなクラスメイト。しかしその雰囲気が、逆に遥の知的好奇心をくすぐった。
人と仲良くするのは、昔から得意だった。
口下手という訳でも、空気を察するのが苦手な訳でもない。顔を見れば、相手が何を考えているのか、なんとなく理解出来る。そんな自信があった。たまに空回りしてしまう事もあるが、周囲と仲良くしている為に、それを救われたこともある。そんな過去の経験から、やはり誰とでも、程度の大小はあれど、仲良くしておく。というのは、彼にとっては必要なことに思えた。
「関根さん、ってさ」
先ほど頭を叩かれていたマヨネーズを借り、自分の唐揚げに絞っている鉄二と、メロンパンの袋に手をかけている沙夜に、ふと遥は問いかけた。
他のクラスメイトと違い、鉄二とは高校一年生の頃から。沙夜に至っては、小学6年生の頃から付き合いがあった。それ故、この二人は特に、遥にとって、大切な友人だった。一緒に過ごす上で、仲良くしようと意識していなくても良い程の、気心が知れた仲。
「どんな人なのかな」
その言葉に、二人とも手を止めた。
「関根……? ああ、あの子ね」
鉄二は上を向いて考えていたが、思い出したように彼女の席を見た。
「正直、あんまり気にしたことないかな。話しかけることもないし、誰かと話してるのも見た事無いよ」
沙夜も共感するかのように、首を縦に振った。
「あの子、別にみんなで無視してるとか、そんなんじゃないと思うんだけど。でもなんか、話しかけづらいってより、そもそも接点がないって感じ」
どうやら自分以外も、そう思っているらしい。遥は改めてその姿を思い出す。
「っていうか、無表情過ぎて怖いのよね。あたし、初めの頃、何だったかな。用事があって話しかけたのよ。でも、全然こっちを見ないし、声もなんていうか、か細くって。……怖がってる感じじゃなかったからね」
先手を打つかのように、鉄二と遥に睨みを利かす。二人して、顔の前で手を上げた。
「それこそ、あの子に話しかけてるあたしの方が怖かったっていうか。元が綺麗な顔立ちなのに、人形みたいに無表情じゃない? なんか、感情が伝わって来なくって」
そう言われて、遥は気付いた様に目を開く。
確かに、彼女に感じている一番の違和感。近寄りがたさはそれだった。
何を考えているのか、感情の色がまるで見えない。だから、今の発言が彼女にどう響いたのか。次は何を言うべきなのか。そんな会話の中で当たり前に行われる、相手の反応を伺うという事が出来ないのだ。
「何でそんなこと、気になるの?」
鉄二が食べ終わった弁当箱を丁寧に片付けながら、遠慮がちに言った。
遥はどう伝えるべきか、少しだけ言葉を頭の中で考える。
それから、少し頬を緩めた。
「知らないままでいるの、もったいない気がして」
「はい?」
沙夜が苦笑する。遥自身も、発言がおかしくて笑ってしまう。
鉄二だけが、何か納得するように頷いていた。
教室のざわめきに混ざって、チャイムの音が聞こえる。
昼休みの終わりを告げる音が、頭の中に描いていた関根燈子という像を片付けていくようだった。
「遥、悪いんだけどね。少し薬局で、湿布を買ってきておくれ」
昭子。と書かれたスマホの画面に向かって、遥はリュックサックを背負いながら返事をする。
「分かったよばあちゃん。また腰やったの?」
「そうだ、わたしも年だね。もう長くは無いよ。早く孫の顔でも見せておくれ」
「またそんなこと言って。ばあちゃんは気が早いんだから」
笑いを含みながら言うと、祖母、三井昭子は明朗に笑った。
「何を言ってんだい。あたしの寿命はともかく、あんたももう高校生だろ。そろそろ子作りのひとつ——」
プッ。
慌てて電話を切り、遥は溜息を吐く。その横で同じように身支度を整えていた鉄二と沙夜は、遥と目が合う。
「なんか、遥のおばあさん、凄い人だね」
恥ずかしそうに目を逸らす鉄二の隣で、沙夜は苦笑いを浮かべた。
「凄いんじゃなくて、ただ古臭いだけだよ」
二人はそれぞれの部活へ行き、それを見送った遥は、駐輪場に自転車を取りに行く。同じように校舎からは、部活動をしていない生徒たちが校門へ向かっていく。この学校は、それほど体育館や空き教室がある訳でも無く、どちらかと言えば手狭で、設備も古い。創立からもうすぐ80年を迎えようとしていた。その為、部活動はあまり活発的に行われておらず、結果として空き教室が、誰も使わないままになっている。
遥自身、特に面白そうな部活動も無く、存在していたら文芸部に入りたいと思っていたのだが、小説を書くだけなら家でも何処でも出来る。そう思い、帰宅部を選んでいた。
非現実。それを望む彼にとって、この高校で過ごした一年と二か月。それは大半の高校生が享受したものと大差なく、良くも悪くも平和そのものだった。
「薬局……ってどこだ?」
自転車のカゴにリュックサックを入れ、ワイシャツのボタンを一つ外す。外の暑さに、顔を顰めながらスマホで地図アプリを開いた。
調べてみると、いつも自分や、祖母の昭子が立ち寄っている商店街。そのすぐ近くに、一つあると知る。それよりも家の近くに、有名なチェーン展開している薬局もあったが、こちらは今回、候補から外れていた。
古臭い人と町。そう憎まれ口を叩きながらも、昭子がこの町を愛していることを、遥は知っている。どこか現実主義者というか、無理なものに固執するタイプではない彼女は、時代の移り変わりに即してきた。近所に住む、自分と同じくらいの世代である知り合いが、スマートフォンの操作を、年寄りだからと諦める中、彼女はいち早くそれを憶え、使いこなしている。
しかし、段々とシャッターが下りていく、昔ながらの商店街に思い入れが無い訳では無いらしい。可能な限り、その商店街で買い物をするようにして、少しでも長く続けば。そう思っている一面もあった。
そんな祖母の考えを思い、自分もたまには。そんな、ちょっとした気まぐれだった。
関根薬局。商店街の近くにある、恐らく個人経営のそこへ目的地を設定し、ポケットへスマホを突っ込むと、遥はペダルを力強く踏み込んだ。
古い自転車のチェーンが僅かに軋み、錆びたロボットが動いているかのような頼りない音を立て、校門の風景を後ろに流していく。
果たして、その薬局にはものの10分程で到着した。
家への帰り道を、少し右奥に逸れた先にある商店街。その駐輪場へ自転車を止めると、リュックサックを肩に掛けながら関根薬局へと向かう。
午後の日差しがアーケードの幌を抜け、所々が破れた場所は、光の柱が通っていた。雨の日はそこを避けて歩かなければならず、補修が望まれている一方、ここを使い慣れている住民は、無意識にでも避けて通ることが出来た。
地図アプリが経路案内終了とポップアップを出し、顔を上げる。金物屋、駄菓子屋と続いた先に——どちらも随分前にシャッターを下ろしていたが——白い暖簾を出しているのが関根薬局だった。
少し曇ったガラス越しに、狭い店内と、そこへ所狭しと配置された棚。様々な薬、湿布、シャンプーなどが並べられ、まるで迷路のように店の奥は視線が遮られていた。
遥は、初めて入るであろうその店の前で、少し躊躇した。コンビニやチェーン店の薬局へ入店するのとは違い、こういった個人経営の、小さな店へ入る時、独特の緊張感がそれを拒んでいるような気配を感じる。
渋々、ドアに手をかける。自分は冷やかしではない、ちゃんと湿布を買う。誰に言うでもなく心の中で呟いて、古びた持ち手に手をかけた。
自動ドアなどという文明の利器は採用していないらしく、アルミのフレームに嵌められた手動の引き戸は、しかし思いの他滑らかに動く。わずかな音を立てて開き、独特な薬の匂いが鼻を掠めた。
後ろ手にゆっくりと扉を閉め、未だ落ち着かない様子を見せながら、店内を見渡す。
生憎、この通路にはこれが置いてある、というような案内が掛かれたポップなどはなく、遥は適当に通路を進む。
しかし入った場所は石鹸や文房具が置いてあり、そのまま奥へ進むとカウンターが見えた。
——仕方ない、店員に聞こう。
そう思って顔を覗かせるが、しかしそこに姿は見えない。思わず辺りを見渡したり、他の棚で出来た通路を覗き込むが、どうやらどこにも店員の姿や、他の客すら見当たらなかった。
一瞬、営業していないのかと疑う。しかし店を明るく照らす蛍光灯が、その可能性を否定した。地図アプリを立ち上げ、営業時間を確認するが、閉店は午後19時半となっている。
どうしたものか。悩んだ末、遥は渋々、咳払いをした。
「す、すみませーん」
店の奥、恐らく居住スペースに繋がっているであろう扉に向かって、控えめに声を上げる。それから数秒待ってみたが、返事は帰って来ない。
思わず、眉を寄せた。こういう時、祖母の昭子なら迷い無く店の奥へ入り、知り合いであろうとそうで無かろうと、店員を連れてくるのだが、高校二年生になったばかりの遥に、そんな芸当は真似出来ない。そもそも、昭子はこの商店街や近くに住んでいる殆どの人と面識があり、それ故の行動だった。
溜息を吐き、目を伏せる。嫌々、今度はさっきよりも腹に力を入れ、大きな声で呼んだ。
「すみませーん!」
狭い店内に自分の声が響く。もしかして、誰もいないのではないか。帰って来ない返事に、そう思った次の瞬間。
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